正道有理のジャンクBOX

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― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

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憲法前文は平和主義・国民主権という理念の変更を認めてはいない,

憲法改正論議を阻害してきた9条改憲

 憲法第96条は、あくまでも憲法の「改正」を規定したものであり、憲法の理念を覆すような自民党の「改憲」は憲法が認めていない。憲法前文の成立過程はそれを証明している。

立憲民主党の登場によって現実的には「改憲」そのものに絶対反対という勢力(いわゆる護憲派)は少数派になりつつある。

ただ、これまで「護憲派」と言われてきた人々は憲法の改正(修正)に絶対に反対だったのだろうか。現在は方針を転換したかに見える日本共産党だが、天皇制に反対していた当時、象徴天皇制を規定した憲法を望ましいと思っていただろうか。社会党社民党自衛隊違憲論と容認派の間で揺れ動いたとき、憲法の矛盾に整合性を求めようとしなかったのだろうか。

あるいは、国家公務員法という法律が、憲法の規定する公務員の規定、つまり国民による選定と罷免の権利(憲法第15条)を満たすものではないが、この矛盾をどうするのか。

また、NHK出身の極右の参議院議員和田正宗氏が改憲を言う時によく持ち出す憲法第11条と第97条の重複も、その指摘自身は間違ってはいない。

憲法第11条)
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 
憲法97条)
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

「この憲法が(日本)国民に保障する基本的人権は」「侵すことのできない永久の権利として」「現在及び将来の国民に」与えられる、という部分は全く同じである。

 97条は、基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ」て勝ち取られたものだという事を強調したかったに違いない。それがGHQの意思だったとしても不思議ではない。しかし、憲法の理念は前文に表現されているのだから、今日的に見た場合、敢えて97条が必要なのかというのは論議を必要とするだろう。

このように、憲法自体の見直しが必要なことは、論理的にも語学的にも絶体的に否定すべき事でないことは自明のことだ。

では、何故「護憲派」と言われてきた人々が、「改憲」に是が非でも反対を貫こうとしたのか。

それは改憲を主張してきた自民党の主要な狙いが、9条の改憲=軍隊と交戦権の容認にあることが明らかだったからだ。
護憲派の人々が、憲法96条に改正手続きが規定されていることを知らなかった訳でも、また憲法は未来永劫一切の改正も許されないものだと考えていた訳でもないだろう。

戦後一貫した保守支配体制の中で、うっかり改憲論議に加われば9条改憲に道を開くかもしれないという護憲派の危機意識が憲法全体を見直す改正=修憲のための論議をタブー化してきたのである。

 ところが、最近では自民党日本会議に所属する議員の中に、戦争放棄を規定した第9条の改憲のみならず、ブルジョア革命=市民革命以来続いている近代国家の在り方そのものを否定し、基本的人権国民主権は「自主憲法」を作るうえでの障害だと言い出す者まで現われる始末である。

また「緊急事態法」も、人民は国家の意思に従うのが当たり前という人権意識を下敷きにして出されてくるのは明らかである。

そこで、ここでは憲法前文の成立過程の検証を通して、憲法の理念を変えるような「改憲」はこの憲法が認めていないという事を明らかにしたい。

憲法制定に至る総司令部と日本政府の攻防

 はじめに憲法成立過程の流れを資料に沿って整理しておきたい。
(以下の図表は衆議院憲法審査会事務局 資料。詳細はリンク先参照)   http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf 

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【1】松本四原則  1945年12月8日

 松本烝治国務大臣衆議院予算委員会において、憲法問題調査委員会の調査の動向及びその主要論点を述べたもので、政府側が憲法改正問題について具体的に述べた最初のものである。

  • 天皇統治権を総攬するという原則には変更を加えない
  • 議会の権限を拡大し、その結果として大権事項を制限する。
  • 国務大臣の責任を国務の全般にわたるものたらしめ、国務
    大臣は議会に対して責任を負うものとする。
  • 人民の自由・権利の保護を強化し、その侵害に対する救済を完全なものとする。

【2】 松本案 (「甲」案) 1946年1月

  松本国務大臣憲法問題調査委員会の議論を参考にして起草した憲法改正私案を骨子として、宮沢俊義委員(東大教授)が要綱化(後に甲案と呼ばれる)、さらに松本国務大臣が更に加筆して総司令部に提出するための「憲法改正要綱」【3】を作成した。

尚、この案とは別に、憲法問題調査委員会の小委員会は、総会に現れた各種の意見を広く取り入れた改正案を起草し、これが後に乙案と呼ばれた。

甲・乙両案とも明治憲法に部分的に改正を加えるものであったが、取り上げた改正点は乙案のほうが多く、また乙案には条文によっては数個の代案があった。

ところが、この松本案(いわゆる甲案)は正式発表前の 1946 年 2 月 1 日、毎日新聞にスクープされ、それによって松本案の概要を知った総司令部はその保守的な内容に驚き、マッカーサーは 2 月 3 日、ホイットニー民政局長に対し三つの原則【4】示し、独自の憲法草案作成を命じた。

日本政府側も甲案にさらに加筆した憲法改正要綱」を2月8日に提出したが、GHQは既に原案作成作業を始めており、これは拒否されたのである。

  〈甲案の主な項目〉

  • 明治憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスを「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と改める。
  • 軍の制度は存置するが、統帥権の独立は認めず、統帥も国務大臣の輔弼の対象とする。
  • 衆議院の解散は同一事由に基づいて重ねて行うことはできないこととする。
  • 緊急勅令等については帝国議会常置委員の諮詢を必要とする。
  • 宣戦、講和及び一定の条約については帝国議会の協賛を必要とする。
  • 日本臣民は、すべて法律によらずして自由及び権利を侵されないものとする。
  • 貴族院参議院に改め、参議院は選挙または勅任された議員で組織する。
  • 法律案について衆議院の優越性を認め、衆議院で引き続き三回その総員三分の二以上の多数で可決して参議院に移した法律案は、参議院の議決の有無を問わず、帝国議会の協賛を経たものとする。
  • 参議院は予算の増額修正ができないこととする。
  • 衆議院で国務各大臣に対する不信任を議決したときは、解散のあった場合を除くのほかその職にとどまることができないものとする。
  • 憲法改正について議員の発議権を認める。

 

【3】 憲法改正要綱 1946年2月8日 GHQが拒否 

<主な内容>

  1.  改正の根本精神 ポツダム宣言第10項(民主主義、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重)の目的を達しうるもの
  2.  天皇
    (1)天皇の大権を制限し、重要事項はすべて帝国議会の協賛を要するとし、国務は国務大臣の輔弼をもってのみ行いうる。
    (2)国務大臣帝国議会に責任を負う。
  3.  国民の権利及び自由
    (1)あらゆる権利、自由は法律によらなければ制限されない旨の一般規定を設ける。
    (2)行政裁判所を廃止し、行政事件の訴訟も通常の裁判所の管轄に属せしめる。
    (3)独立命令の規定、信教の自由の規定を改正し、非常大権の規定を廃止する。
    (4)華族制度、軍人の特例等、国民間の不平等を認めるがごとき規定を改正・廃止する。
  4.  帝国議会
    貴族院参議院と改め、皇室、華族を排除し、衆議院に対し第二次的な権限を有するにすぎないものとする。
  5.  枢密院
    枢密院は存置するが、帝国議会の権限の強化及び帝国議会常置委員の設置に伴って、従来の枢密院の国務に対する権限は排除され、政治上無責任のものとする。
  6.  軍
    (1)「陸海軍」を「軍」と改める。
    (2) 軍の統帥は内閣の輔弼をもってのみ行われる。(3) 軍の編制及び常備兵額は法律をもって定める。
  7.  その他
    (1) 皇室経費について、議会の協賛を要せざる経費を内廷の経費に限
    (2) 憲法改正の発議権を帝国議会の議員にも認める。(3) 従来、憲法及び皇室典範の変更は摂政を置く間禁止されていたのを解除する。

【4】 マッカーサー三原則  1946年2月3日 

  • 天皇は、国家の元首の地位にある。皇位の継承は、世襲である。天皇の義務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う
  • 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段とし戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない
  • 日本の封建制度は、廃止される。皇族を除き華族の権利は、現在生存する者一代以上に及ばない。華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。予算の型は、英国制度にならうこと。

【5】 総司令部案   1946年2月13日 

総司令部は、日本側が提出した憲法改正要綱を全面的に拒否し、マッカーサー三原則に沿った総司令部案を日本側に交付し、これに基づく改正案の作成を求めた。

〈主な内容〉

 総司令部案には前文がついていたが、これについては後半で検討する。

  1. 国民主権天皇について
    主権をはっきり国民に置く。天皇は「象徴」として、その役割は社交的な君主とする。
  2.  戦争放棄について
    マッカーサー三原則における
    「自己の安全を保持するための手段としての戦争」をも放棄する旨の規定が削除された。
  3.  国民の権利及び義務について
    (1)
    現行憲法基本的人権がほぼ網羅されていた。
    (2)社会権について詳細な規定を設ける考えもあったが、一般的な規定が置かれた。
  4. 国会について
    (1) 貴族院は廃止し、
    一院制とする
    (2)
    憲法解釈上の問題に関しては最高裁判所に絶対的な審査権を与える
  5.  内閣について
    内閣総理大臣国務大臣の任免権が与えられるが、内閣は全体として議会に責任を負い、不信任決議がなされた時は、辞職するか、議会を解散する。
  6. 裁判所について
    (1)
    議会に三分の二の議決で憲法上の問題の判決を再審査する権限を認める
    (2) 執行府からの独立を保持するため、最高裁判所に完全な規則制定権を与える。
  7.  財政について
    (1) 歳出は収納しうる歳入を超過してはならない

    (2) 予測しない臨時支出をまかなう予備金を認める
    (3) 宗教的活動、公の支配に属さない教育及び慈善事業に対する補助金を禁止する。
  8.  地方自治について
    首長、地方議員の直接選挙制は認めるが、日本は小さすぎるので、
    州権というようなものは どんな形のものも認められないとされた。
  9. 憲法改正手続について
    反動勢力による改悪を阻止するため、
    10年間改正を認めないとすることが検討されたが、できる限り日本人は自己の政治制度を発展させる権利を与えられるべきものとされ、そのような規定は見送られた。

 

日本側は、突如として全く新しい草案を手渡され、それに沿った憲法改正を強く進言されて大いに驚いた。そして、その内容について検討した結果、松本案が日本の実情に適するとして総司令部に再考を求めたが、一蹴されたので、総司令部案に基づいて日本案を作成することに決定した。

【参考】いわゆる「押しつけ憲法論」について
上述のとおり、総司令部案が提示され、この草案を指針として日本国憲法が作成されたことについて、現行憲法は「押しつけられた」非自主的な憲法であるとの見解がある。
しかし、マッカーサーの3原則が必ずしもそのまま草案化されている訳でない事は比較して見ればはっきりする。むしろ、マッカーサー3原則が「占領統治」という立場を意識したものであるのに対し、出来上がった総司令部案にはより民主的なものを求めようとした意思さえ感じられる。

なお、「総司令部が草案作成を急いだ最大の理由は、2 月 26 日に活動を開始することが予定されていた極東委員会(連合国 11 ヵ国4の代表者から成る日本占領統治の最高機関)の一部に天皇制廃止論が強かったので、それに批判的な総司令部の意向を盛り込んだ改正案を既成事実化しておくことが必要かつ望ましい、と考えたからだと言われている。

もっとも、草案の起草は 1 週間という短期間に行われたが、総司令部では、昭和 20 年の段階から憲法改正の研究と準備がある程度進められており、アメリカ政府との間で意見の交換も行われていた」との指摘(芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法(第 6 版)』(岩波書店、2015 年)25 頁)もある。

【6】 三月二日案   1946年3月4日 

 総司令部案に基づき日本側が起草し、3月4日に総司令部に提出したもの

【参考】3 月2 日案の主な特色(総司令部案との主な相違)

  1. 前文を削除(注)
  2. 天皇の地位に関する「人民ノ主権的意思(sovereign will)」を「日本国民至高ノ総意」と改めた(主権が天皇から国民に移るという革命的な変革を条文上明記することを回避する趣旨)
  3. 天皇の国事行為について、内閣の「補弼及協賛(advice and consent)」を「補弼」に変更
  4. 2月13 日会談で松本国務大臣が「一番驚いた」(何と社会主義的な!)条文である「土地及一切ノ天然資源ノ究極的所有権ハ人民ノ集団的代表トシテノ国家ニ帰属ス」を削除
  5. 院制を二院制変更
  6. 国会召集不能の場合における応急措置に関する「閣令」規定の追加
    芦部信喜憲法学Ⅰ』(有斐閣、1992 年)167-168 頁)

(注) 総司令部案には前文があったが、三月二日案ではこの前文はすべて削除された。総司令部案の前文は国民が憲法を制定するとしているが、明治憲法によれば憲法改正天皇の発議、裁可によって成立することとなっているためである。この「国民主権」をめぐる抵抗は天皇の位置をどう扱うかとも密接に結びついている。

上記「3 月 2 日案」をめぐる総司令部との交渉での主な争点とその結果は以下のようであった。

  1. 前文を省略 ⇒総司令部案がほぼ完全に復活
  2. 「至高ノ総意」 ⇒了承
  3. 「補弼」 ⇒「輔弼賛同」に修正
  4. 「土地ノ国家帰属」を削除⇒了承
  5. 一院制二院制に変更 ⇒了承(ただし、参議院の組織に関する提案は拒否)
  6. 国会召集不能の場合における応急措置に関する「閣令」規定の追加 ⇒削除

 この作業の大部分は、佐藤達夫法制局第一部長(当時)が一人で当たったとされる。
 草案要綱は、その後、総司令部との交渉を経て、幾つかの点に修正が加えられ、これと並行して要綱を口語体の条文として成文化する作業が進められ、4 月 17 日、枢密院への諮詢と同時に「憲法改正草案」(内閣草案)として公表された。

密院で可決された内閣草案は、明治憲法 73 条の定める手続に従い、1946年6 月 20日、新しく構成された第 90 回帝国議会衆議院に、「帝国憲法改正案」として勅書をもって提出された。
 衆議院は、帝国憲法改正小委員会を作り、7月25日から8月20日までの間に13回にわたって秘密会を開き、各会派から提出された修正案の調整を行った。

f:id:pd4659m:20180902154314p:plain 「帝国憲法改正案」には佐藤達夫法制局次長による書込みが随所に見られる。
こうして原案に若干の修正を加えたのち、8 月24 日圧倒的多数をもってこれを可決し、貴族院に送付された。 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/123/123_002l.html

 

 

衆議院における主要な修正点】
国民主権の表現の明確化(総司令部からの要求により修正したもの)
②9条の文言の修正―戦力の不保持を定めた第9条第2項に「前項の目的を達するため」という文言を挿入(この修正によって、この規定は自衛のための軍隊の設置が必ずしも否認するものでないという解釈に道を開いた)
③国民たる要件を法律で定める規定と納税の義務の規定を新設
生存権の規定、勤労の義務の規定、国家賠償の規定、刑事補償の規定を設けたこと、等。

宮澤俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社、1981 年)

 衆議院特別委員会が本会議に提出した修正議決の報告書には、貴族院での修正箇所も一部手書きで記されている。英語のciviliansに対応する用語が、「武官の職歴を有しない者」が「文民」に落ち着いた経過などもこの資料からもうかがえる。


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憲法9条よりも攻防を極めた前文=国民主権の理念

日本政府が考えていた、いわゆる松本案をベースにした「憲法改正要綱」には、改正の根本精神として「ポツダム宣言第10項(民主主義、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重)の目的を達しうるもの」が考えられていたが、「憲法前文」は無かった。

そもそも、日本政府は明治憲法大日本帝国憲法に手を加える形での改憲を考えていたのであるが、大日本帝国憲法に前文はなく、明治天皇が神に誓う告文(つげぶみ)が詠まれた後、勅語が発せられたである。

朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣榮(きんえい=喜びと光栄)トシ、朕ガ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ、現在及ビ将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

意訳(私は国家の隆昌と臣民の喜び幸せとを以て、一番の喜びと光栄とし、私が歴代の先
祖から受け継いだ大権によって、現在及び将来の臣民に対してこの不磨の大典を宣布する。(このあとに、惟ウニ我ガ祖、我ガ宗ハ我ガ臣民祖先ノ協力輔翼ニヨリ我ガ帝国ヲ肇造シ、以テ無窮ニ垂レタリ・・・と続く)

 

 <総司令部案 >   1946年2月13日

 政府ノ行為ニ依リ再ヒ戦争ノ恐威ニ訪レラレサルヘク決意シ、茲ニ人民ノ意思ノ主権ヲ宣言シ、国政ハ其ノ権能ハ人民ヨリ承ケ其ノ権力ハ人民ノ代表者ニ依リ行使セラレ而シテ其ノ利益ハ人民ニ依リ享有セラルトノ普遍的原則ノ上ニ立ツ此ノ憲法ヲ制定確立ス、而シテ

我等ハ此ノ憲法ト抵触スル一切ノ憲法、命令、法律及詔勅ヲ排斥及廃止ス(we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws and rescripts in conflict herewith.)

 

憲法改正草案要綱」  1946年3月6日

日本国民ハ、国会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル代表者ヲ通ジテ行動シ、我等自身及子孫ノ為ニ諸国民トノ平和的協力ノ成果及此ノ国全土ニ及ブ自由ノ福祉ヲ確保シ、且政府ノ行為ニ依リ再ビ戦争ノ惨禍ノ発生スルガ如キコトナカラシメンコトヲ決意ス。乃チ茲ニ国民至高意思ヲ宣言シ、国政ヲ以テ其ノ権威ハ之ヲ国民ニ承ケ、其ノ権力ハ国民ノ代表者之ヲ行使シ、其ノ利益ハ国民之ヲ享有スベキ崇高ナル信託ナリトスル基本的原理ニ則リ此ノ憲法ヲ制定確立シ、之ト牴触スル一切ノ法令及詔勅ヲ廃止ス。

 

憲法改正草案 前文> 1946年4月2日GHQ承認 4月17日、発表

わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

<帝国憲法改正案 前文>(帝国議会に提出) 1946年6月20日

日本国民は、国会における正当に選挙された代表者を通じて、我ら自身と子孫のために、諸国民との間に平和的協力を成立させ、日本国全土にわたって自由の福祉を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が発生しないやうにすることを決意し、ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の崇高な信託によるものであり、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行ひ、その利益は国民がこれを受けるものであつて、これは人類普遍の原理であり、この憲法は、この原理に基くものである。我らは、この憲法に反する一切の法令と詔勅を廃止する。

 

<「衆議院小委員会修正」>

1946年7月25日から8月20日まで13回に亘り非公開で行われた衆議院帝国憲法改正小委員会では、各会派から提出された修正案をもとに討議され、条文の調整が行われた。同時に「憲法前文」はこの憲法の理念、性格を規定する重要な位置を持つもので、実に総司令部との間でも最も争点になっていたものだったのである。

政府は、4月2日に総司令部から草案の承認を受けていたにも拘らず、3月6日の「憲法改正草案要綱」の前文を口語体に変えたものを「憲法前文」として提出している。

これは、国民主権 ②この憲法に反する憲法を認めないという2点をどうしても前文に入れたくないという意図があったか、あるいはその意味を理解していなかったという事なのかもしれない。

しかし、小委員会での論議は政府のこの意図を打ち砕き、今日の「帝国憲法改正修正案」として衆議院に提出されたのである。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/124_1/124_1_001l.html 

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衆議院修正可決「帝国憲法改正案」> 1946年8月21日提出

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

⇒ 帝国議会衆院小委員会で当初案がほぼ現行憲法の形になるまでの文言の書き換えや細部の修正が行われた。その意味では、GHQから押し付けられた憲法に唯々諾々と従ったのではなく、各会派の真剣な議論の結果だったと見るべきなのである。

 これまでの検証を通して憲法前文」にはGHQとの間で、その理念をめぐる対立があり、条文そのものにも増して重要な争点だったことがうかがえる。それは、一つは「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存する」という平和主義の確立と国民主権をめぐる考え方、もう一つは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という理念を排除した改憲をあらかじめ禁じる、という事が焦点だったのである。 

 今日、憲法学者の中には「憲法前文」は条文のように拘束力を持たないという意見もあり、改憲に反対する勢力の中でも「前文の重要さ」が殆んど注目されていない。

私たちは憲法制定過程ではこの前文が極めて重視されていた事の意味をしっかり考えるべきではないだろうか。

遺伝子組み換え食品への道を開いた種子法の廃止

 戦後日本の農政と消費者の食を守ってきた食管法と種子法

4月1日をもって主要農作物種子法が廃止された。
これと軌を一にして、モンサントなどの化学資本による遺伝子組換え食品の安全性をPRする活動が活発化している。

まさに、種子法の廃止は戦後農政を画する重大な農業政策の転換であり、依然日本農業の主流をなす零細な兼業農家にとって、その営農基盤を破壊する攻撃である。

同時に、消費者=労働者人民にとってはこれまでの食の安全と安定供給が根底から脅かされかねない、決して看過できない問題を突き付けられたということである。

種子法は、講和条約発効直後の1952年5月に施行され、主要穀物(コメ、小麦、大豆など)の安心・安全な種子の生産とその農家への安定供給に関する責任を国と都道府県に義務づけた法律である。

この法律の下で、国と都道府県は各種の農業機関(農業試験所など)を創設し、国家予算・自治体予算をつけて、各地域に適合する品種の開発(例えばコメでいえばコシヒカリや秋田小町の開発など)、種子の計画的な生産が進められ、それらは農協(現在のJA)を介して農家に安価かつ安定的に供給された。そして農家はその種子を原資にしてコメを中心に食糧増産を行い、北海道、東北地方を穀倉地帯に変え、食管法(注)の施行の下で、戦後一貫して、労働者人民の食生活を支え続けてきたのである。

(注) 政府による生産者米価の高額購入=農民・農業保護政策の一方で、 食管財政をもって低価格販売を保障することによって労働者の低賃金政策を下支えするという国家独占資本主義政策であった。

 ところで、日本の農政は、以下のごとく占領時を除けば米帝国主義との争闘戦を軸にしてめまぐるしく変化してきたのである。
1947~48年 農地改革(地主制度解体・農地分配と自作農創出)
1954年 日米間におけるMSA協定
1955年 農産物貿易促進援助法の調印(米帝の援助を前提としたコメ生産への特化と小麦・大麦生産の切り捨て)
1960年 日米安保条約(米国市場を前提とした食糧輸入国化と工業製品の輸出立国化へ)
1961年 農業基本法(農業生産の機械化、化学化、大規模化への転換政策)
1985年 プラザ合意(農産物・魚介類・木材収奪のためにアジア諸国への資本進出)
1994年 ウルグアイ・ラウンド(コメの部分自由化受け入れ)
1995年 食糧法(コメの商品化と自主流通米制度の導入)
1999年 食糧・農業・農村基本法(第2の農業基本法
2002年 米政策改革大綱
2012年 アベノミクス政策(商業資本の農業生産への参入の解禁と「農地バンク」政策) 

 しかしこの過程にあっても種子法だけは維持され、その下で安価で優良な種子の安定供給を受けながら農家=農民階層によって農業生産は進められたのであった(なお、この過程における農政の変化に関しては別の機会に検討したい)

 種子に関して言えば、例えば主食であるコメの場合、この種子法の下で開発された品種は357種であり、このうち都道府県開発の品種が261種、国が開発した品種が52種(これらは公共品種と呼ばれる)、民間企業開発の品種(民間品種)が44種であり、公共品種が民間品種を圧倒している(2014年度、農水省まとめ)

それをコメ生産量でみると、民間品種による生産量は0.3%、公共品種による生産量は99%以上であるという(2016年度のデータ)。つまり現在の日本におけるコメ生産は種子法に基づく公共品種の種子に決定的に依存していて、それをわれわれは食しているのである。

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   なぜ種子法の廃止なのか。

TPP協定をめぐる日米対立(主として自動車、牛肉・農産物の関税撤廃問題)でアメリカの農・食・産コングロマリットカーギルモンサントなどの多国籍企業)からは、日本の農・畜産物市場開放が強く要求された。安倍政権はこれに適応させるように国内農業政策の改定・検討を進めてきた。

そして、規制緩和・民営化推進派の「有識者」から成る規制改革推進会議を2016年に立ちあげた。この推進会議は即座に「種子法は民間企業の投資意欲を阻害する」という理由をつけて、これを廃止するよう提案したのであった(2016年10月)。

 それは、上記したデータで見られるように農業生産の現場では民間品種が圧倒的に公共品種(国や地方自治体など)に駆逐されている現実、すなわち種子法に基づく種子市場における公共品種の独占状態という壁(規制)を取り払って民間品種の自由な参入を促進し、やがて公共品種を駆逐するという民間資本の意志の表明であったといえる。

 戦後の日本農業を根本において支えてきた種子市場に規制緩和・民営化路線を貫徹することによって農業への民間資本の参入に道を開こうとしたのである。

安倍政権はこの提案を閣議決定(2017年2月)し、ただちに国会に上程した。

 国会は、与野党間で殆んどと言っていいほど議論のないまま、しかもJA、各種農業団体、そして何よりも直接的な生産者である農家=農民階層の意見を聞くこともなく、したがって大部分の農家=農民階層に知らされる間もなく一方的に種子法の廃止が決定されたのであった(2017年4月)。

 しかし営農活動を99%以上の公共品種に依存して農業生産を続けてきた農民、とりわけコメ農家は、突如として安倍政権により公共品種の供給を絶たれ、生産実績のない、しかも公共品種に比べて高額な、収穫までに手間のかかる民間品種の採用を強制されるという事態に直面することになったのである。

当然、穀倉地帯では農家=農民階層(とくに零細な兼業農家)の怒りが巻き起こり、その結果、全国的な規模で農業生産を支えてきた旧来からの行政システムは大混乱に陥る。しかもその上、種子法廃止に伴って国から地方自治体に支給される関連交付金も削減され、自治体独自の多様な品種改良事業も縮小または打ち切りになる。
 それは地域農業の持続的な経営を阻害し、とどのつまりは当該自治体における地域経済(自立した地場経済)を縮小させ、不可避に農山村の過疎化・廃村化を進めるのは確実である。

 このようなことから、現在、新潟、兵庫、埼玉、北海道、長野、愛知などの各県では、廃止された種子法に準拠した内容で独自の種子条例を制定して、予算を組んで品種改良・開発を続け、農家=農民階層の営農活動の持続的な維持に対応しようとしているという。明らかに、国と農山村の比重が高い主要な自治体は、互いに対立する種子政策(農業政策)を採用してベクトルの異なる方向に動き出しているといえる。

 民間品種へシフトする狙いは何か

 コメを例にとれば、日本では主要には三井化学住友化学、日本モンサントに代表される化学資本によって開発された品種である。
 いずれも国や都道府県が開発した既存の公共品種をベースにして開発され、公共品種に比べて単位収穫量が多いので、大規模化した営農活動には好適と宣伝されている品種である。
 しかし、それは公共品種に比べて価格が最大で10倍はするという高額な品種であり、これまでは三井化学の品種は既に牛丼チェーンの業務米として使用され、住友化学の品種はコンビニの弁当として使用されているという。

 種子と農薬と化学肥料のセット販売

これらの品種は、種子(種もみ)と農薬と化学肥料を1セットにして販売されるところに特徴がある。

種子それ自体はコメの生産経費の2~3%と低額であるが、農薬・化学肥料がそれぞれ10%前後を占めるので、この種子で生産されたコメの場合、種子関連の生産経費だけで25%程度になるという仕掛けになっている。

化学資本は種子の販売と同時に自社の農薬と化学肥料を一体で販売でき、そしてそれに伴うもうけが転がり込むという仕掛けになっているのである。

① この結果、農家にとって民間品種は公共品種に比べてかなり高負担(経費増)となり営農活動を圧迫する事になる。
 しかもこれら民間品種は大規模化した農場経営でこそ相対的に高収益が得られ、品種の特性を生かすことも可能である。

したがって、小規模で分散した農地を持つ零細農家は駆逐され水田の集積化・大規模化に舵を切っていくことは間違いない。

 大資本による大規模農業化と零細農家の放逐

②また、それに伴って直接的なコメ生産では各種農機具の大型化・多機能化が求められることになり、システム化された企業経営・管理機構や収穫・貯蔵・販売・輸送・営業活動のために巨額な営農資金―資本投下が必要になる。

 日本農業は互いに分散する零細な兼業農家が依然として主流であり、これら農家にとって自己資本は無きに等しいのであるから、彼らは金融機関から返済不能な多額の借金でもしない限り、このような民間品種に依存する大規模農業は採用することも参入することも事実上は不可能なのである。

 こうして、大部分の零細な兼業農家は農業生産における生産主体としての社会的な立場を剥奪され、実質的に農業生産から駆逐され、それら法人・企業に雇用される農業労働者に転換するか、または土地権利を売却・貸出して離農し、そして都市部に流入し、その地で小規模自営業者や通常の賃労働者に転換するか、いずれかの道を強制されることにならざるを得ないのだ。

この間、安倍政権が進めている戦略特区づくりと「農地バンク」政策はそのための準備作業であるといえるだろう。

 

ではその民間品種を直接的生産者=農家が自分たちの耕作地の土質、気候条件、病虫害対策や収量増加などの条件に合わせて自発的に改良すればいいではないか、と思うだろう。
 いや、それができないのだ。農家の自発的な民間品種に対する品種改良は許されないのである。それはなぜか?

 種子・農畜産物に関する知的財産権の独占支配を狙うアグリ資本

「種子を制する者は農業を制する」この格言が的を射たものである事は、80年代から世界の種子企業を次々と買収し続けて肥大化した、米モンサントカーギルを始めとする6大多国籍企業(化学資本が軸となったアグリカルチャー資本)が全世界の種子市場の7割以上を独占したことによって証明している。

その過程で、これらアグリ資本は、種子・農畜産物に関する知的財産権(注1)の広大な網を世界に張り巡らせ、自らの開発種子とその関連食材に関する排他的な独占権を確保しており、また自らの知的財産権を守るために、米・独・仏・英などのアグリ資本の国際的な連携・要求を背景にして、帝国主義諸国を先導役として国際的に「植物の新品種の保護に関する国際条約」(UPOV条約)を締結させている(注2)

(注1) 生物・物質特許権であり、かの遺伝子組み換え食品の特許権が重要な位置を占める
(注2)この条約は欧米の先進諸国では批准されているが、多くの後進国・半植民地諸国=農業諸国では現在まで批准されていない

 この条約は1991年に改定され、その結果、新品種開発の企業(=アグリ資本=特許権者)の承認なくしては直接的生産者=種子を実使用する農家(生産主体)がその新品種を採種・改良することは原則禁止となったのである。

そして日本は、このUPOV条約を既に1998年に批准している。また、本年3月に米国を除く11ケ国間で調印されたTPP協定においても、TPP参加各国はこのUPOV条約の批准が義務づけられているのである。

 

 このようなことからして、上記した日本の主要な民間品種の開発企業も、少なくとも種子市場では(したがってその下流に位置する農・畜産物市場においても)このUPOV条約の緊縛下にあり、実質的には国際的なアグリ資本の支配下にあるわけだ。

 つまり、種子法が廃止されてしまった今、民間資本が開発した民間品種を購入して使用する農家=農民階層は、それを自家採種して自らの農業生産に適合するように品種改良することは国際条約違反になってしまうという事なのだ。

このことは、農民が自然と共存し格闘しながら農業生産者として生きる権利と生産主体としての誇りを強制的に奪うことに他ならない。

また、遺伝子組み換え食品の流通に道を開く事にもつながる。

 種子法廃止の彼方には、約300万世帯に及ぶ農家=農民階層の破綻・没落状態―日本農業の崩壊を想像するのに難くない。

それは、労働者人民の食生活環境をも国際的なアグリ資本の支配の下に組み込まれることすら意味している。

種子法の廃止は、消費者であるわれわれを養鶏場の鶏のように、養豚場の豚のようにアグリ資本が開発し、市場に供給する範囲の食糧を摂取するだけの戯画の世界に叩き込もうとしているのかもしれない。 

安倍政権による種子法の廃止に断固抗議し、その撤回―存続を求めて闘うことが必要である

内閣調査室をゲシュタポと化した安倍のおぞましき政治支配

  内調は安倍の私的謀略機関

このところ自民党の総裁選をめぐって、内閣調査室(内調)の暗躍がクローズアップされている。

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自民党総裁選の有力候補と目される石破氏の言動や、誰を推すのかに注目が集まっている小泉進次郎氏の動向、そしてこのタイミングで野田聖子氏の疑惑をリークしたのもおそらく内調がらみだろう。安倍総理は、自分に不都合な人物の動向を公私を問わず監視する恐怖政治を行なっている。しかし、これは今に始まったことでは決してない。安倍官邸が北村をキャップとする内調を私的な謀略機関として利用してきた痕跡は枚挙に暇がない。

   警察組織を使い野党の政治資金を一斉調査

2014年10月 第二次安倍改造内閣で入閣した小渕優子、松島みどりが政治資金問題などで追及され、次々に辞任。これに対抗するように野党幹部の政治資金収支報告書の記載漏れが次々と発覚し、読売新聞や産経新聞にリークされた。

この時期、内調は全国の警察組織を使って野党議員の政治資金の流れを一斉に調査させ、官邸に報告していたという。

   泥酔レイプ容疑の山口氏に対する逮捕を直前で見送らせる

2015年6月 山口敬之氏の泥酔レイプ容疑での逮捕を妨害、山口氏から北村滋内閣情報官(内調トップ)に宛てたメールが週  刊f:id:pd4659m:20180805180638j:plain新潮に誤送信されたことから関与が発覚。

伊藤詩織さんは2015年4月に元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に強姦されたと、警察に被害届を出した。逮捕令状が出され、成田空港で捜査員が布陣を敷き、山口氏の帰国を待っていたが、その直前に逮捕が見送られ、その後証拠不十分で不起訴処分となった。

山口氏は安倍首相に近しいジャーナリストであり、官邸の意思が働いたと考えられる。

 
    翁長沖縄県知事へのデマキャンペーンを組織

2015年10月 ネット上で沖縄県知事の翁長雄志氏に関するデマが流布された。

「長女が中国・上海の外交官と一緒になっていて、もう一人の娘も中国に留学している」と言うものである。翁長知事は、県議会の本会議で「娘のf:id:pd4659m:20180805211221j:plain一人は県内で勤めているし、末の女の子は埼玉の大学に行っている」と全面的に否定した。これは、新垣哲司氏(自民)の質問に答えたものだが、こうしたスキャンダルも官邸が内調にやらせていると考えられる。ネットや週刊誌などにデマを流し、これを議会で保守系議員に質問させて焦点化させ、政治的信用を失墜させることが目的なのである。

    都知事選の流れを変えた鳥越スキャンダル工作

2016年7月 都知事候補の鳥越俊太郎氏へのスキャンダルを工作。

出馬会見で「改憲の流れを変えたい」、安倍首相は「福島原発はアンダーコントロールされていると世界中に嘘をついた」と厳しく批判していた。

鳥越氏の脇が甘かったと言えばそれまでだが、この鳥越潰しを巡る内調の動きはその悍ましさを表している。リテラの記事からその一部を抜粋する。

「昨晩あたりから、内調の関係者がテレビや週刊誌関係者に鳥越氏の女性関係を聞いて回っているようなんです。昨日、内調のトップである北村滋内閣情報官が1日に2回も安倍首相と会っていたのも気になります、・・・まあ、首相が直接指示したかどうかはともかく、強力そうな政敵は内調を使ってスキャンダルを仕掛けてつぶす、というのがこれまでの安倍官邸の常套手段。今回、官邸は鳥越氏が出てくるのを相当嫌がっていましたから、女性スキャンダルを仕掛けるというのは十分あるでしょう。パイプのある『週刊新潮』か『週刊文春』にこっそりリークするというやり口でしょうね」(週刊誌記者)

「どうも、内調は今、鳥越氏のファッションアドバイザー的な役割をしている女性を愛人だと決めてかかっているようです。すでにリークを受けた週刊誌が張り込みを始めたという情報もある。また、仮にこれが不発でも、内調のことですから、過去の別れた元愛人を探し出して、官房機密費を彼女に支払って、週刊誌に告白させるなんて仕掛けもやりかねない」(前出・週刊誌記者)

http://lite-ra.com/2016/07/post-2415.html

 実際、21日発売の『週刊文春』で、【鳥越氏が2002年に女子大生のA子さんに強引にキスしようとし、それが今もトラウマになっている】と言う内容の暴露記事が掲載された。A子さんは既に結婚しており、その彼とは2002年当時から付き合っていた。この時、鳥越氏の件を聞いた彼が鳥越氏を呼び出し、鳥越氏は以後TVには出ないと約束して謝罪したが、都知事になるのだけは許せない、という事で14年目にして衆目に晒されることになった。鳥越氏は都知事選に立候補するまでは、幸か不幸か通常通り政治問題等にコメントすることが許されてきたのであるから、被害者にとっては、特に立候補したことそのものが許せなかったという事なのだろう。勿論、いかなる理由があるにせよ、鳥越氏のこのような行為は断罪されるべきである。

ここでは、メディアを利用し政権にとって目障りな政治家を追放していく陰湿で謀略性に満ちたやり方が、安倍政権の下では特に異様なものであると同時に、こうした内調の暗躍が常態化している事だけを指摘したい。

 投票まで2週間を切るタイミングでこの暴露記事が出された結果、選挙情勢はどう変わったか。ここに、ほぼ小池氏当選の流れは確定したのである。

【記事が出る前】
毎日新聞>小池氏、鳥越氏競り合い 増田氏が追う
日経新聞>小池氏が序盤先行 鳥越・増田氏が追う
産経新聞>小池氏一歩リード 鳥越氏、増田氏が急追
共同通信社>小池氏と鳥越氏が競る 増田氏追走

【記事が出た後】

<読売新聞>小池・増田氏競り合い、鳥越氏が追う
日経新聞>小池氏先頭に終盤なお接戦
中日新聞>小池氏がリード
JNN>小池氏を増田氏が追う展開

  山尾志桜里氏への高額ガソリン代キャンペーン

2016年3月~秋

「保育園落ちた」ブログの一件で安倍首相を追い詰め、2年目にして民進党政調会長(当時)に抜擢された山尾志桜里衆院議員に“政治資金疑惑”が浮上した。

  3月31日発売の「週刊新潮」が書いた山尾氏が代表を務める「民主党愛知県第7区総支部」が計上した12年のガソリン代が230万円にものぼることなど大々的に報じたからだ。

 この「週刊新潮」の記事を受けて、産経新聞夕刊フジが一斉に山尾政調会長への追及を開始する。「なんと地球5周分」「驚愕のガソリン代」と激しく攻撃し、それに歩調を合わせるように安倍応援団・ネトウヨは「ガソリーヌ山尾志桜里」のレッテルを張り、一斉に攻撃を開始した。しかし、これは取り立ててあげつらい、議員の政治生命を断つほどの問題では初めからなかった。

以下、『リテラ』記事を引用する。

・・・全国紙政治部記者が、こう答える。
「いずれの問題も、甘利明元大臣の口利き疑惑などとは比べものにならないしょぼい不正で、自民党の議員にしょっちゅう発覚しているレベルの政治資金報告書の虚偽記載。・・・ガソリン代については、事務所内での架空請求、秘書の使い込みが起きていた可能性があるようですが、これにしても山尾氏はむしろ被害者。・・・被害弁済を求めるなり、横領罪で訴えることで一件落着する可能性が高い」

そもそも、それを言うならば安倍首相が代表をつとめる「自民党山口県第4選挙区支部」が同じ12年に計上したガソリン代はなんと573万2858円(しかも、これは自民党が政権を奪回する前である)と、山尾政調会長の「民主党愛知県第7区総支部」の2.5倍! 山尾氏が地球5周分なら、こちらは地球12周分のガソリンを計上したことになる。それも13年、14年と続いているのだ。菅官房長官にしても同じようなものだ。

  したがって、山尾氏の冷静な対応もあって、この目論見はそれ程成功しなかった。

 とはいえ、これが官邸の仕掛けた山尾潰しの謀略であることは次の政界関係者の声からも明確である。

「山尾スキャンダルが官邸の仕掛けであることは、『週刊新潮』の記事に、官邸幹部のコメントが登場していることからも明らかだよ。実際、官邸と内閣情報調査室は、政調会長抜擢が浮上した2月くらいから、しきりに山尾のスキャンダルを流していたからね。山尾はアニー主演歴とルックスのよさといった話題性もある上、実は相当の実務肌。昨年の衆院法務委員会では、刑事訴訟法改正の問題点を次々と明かして自民党議員をきりきり舞いさせ、民主党案の一部を飲ませることに成功している。官邸は今後、山尾がダブル選挙前に目立った存在になって、自民党政調会長稲田朋美と比べられたらたまらないと警戒。“なんでもいいから山尾をつぶすネタを探せ”と大号令をかけていたんだ。実際、2月の衆院予算委員会で、山尾が『保育園落ちた』ブログを取り上げた直後に、このブログが山尾の仕込みだという情報が流れたが、これも内調の仕掛けだった。もっとも、これは誰が見てもわかるガセで、不発に終わったため、ここにきて、当初、リークしていた細かい政治資金報告書問題をもち出したということだろう。『週刊新潮』と産経は完全に謀略だとわかっていて、乗っかっていると思うね」(リテラより引用)

   山尾氏の身辺調査~不倫スキャンダル

そして、高額ガソリン代計上というスキャンダルのデッチ上げが不発におわった官邸=内調はさらに山尾氏の徹底した身辺調査とスキャンダルの口実探しに奔走する。

その中で掴んだのが、山尾志桜里氏と夫の恭生氏の不和、恭生氏自身の事業展開にまつわるトラブル、そして山尾志桜里氏と倉持弁護士の関係だったのである。内調は山尾氏と夫・恭生氏、恭生氏自身の事業をめぐる対立とトラブルなどの人間関係のもつれを巧みに利用し、そこにつけ込みながら『週刊文春』を通して不倫キャンペーンを繰り広げた。

 民進党野田幹事長の辞任と混乱の仕掛け人は誰か?

 おりしも、民進党が野田幹事長の辞任とその後継をめぐって混乱していた、大会前の時期とも重なっている。衆院の冒頭解散を狙っていた安倍政権が民主党を貶める絶好のチャンスとして内調、メディア、民主党内の情報提供者が一体になって仕掛けた一連の陰謀と考えて間違いあるまい。

これについては、以前に記述した記事を参照されたい。

⇒ http://pd4659m.hatenadiary.jp/entry/2017/11/04/230629

   文科省事務次官・前川喜平氏へのスキャンダル

2017年5月22日 学校法人「加計学園」をめぐり、「総理のご意向」と記した文書を、前川喜平・前文部科学省事務次官が本物と証言し、野党による国会での追及が続く中、読売新聞の朝刊が「前川氏が在職中に出会い系バー通いをしていた」とスクープ記事として報じた。このスキャンダルは地下鉄サリン事件当時の警察庁警備局長で公安畑を歩み神奈川県警本部長から内閣情報官になった杉田和博官房副長官のもと内調が嗅ぎまわって掴んだ情報であった。事実、前川前事務次官の場合、16年秋の時点で杉田和博内閣官房副長官から呼び出され、”出会い系バー通い”を厳重注意されている。もちろん勤務時間外のことで違法性もなく、前川氏自身もやましい動機に基づくものでなかったのでその時は問題にならなかった。

しかし官邸が勤務時間外の役人の私的な言動を把握するために、公安警察を使って監視や尾行、周辺の聞き込み等の行為を行っていることを如実に物語るものであった。

その中心となっているのが、公安警察出身の杉田官房副長官内閣人事局長)である。

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同じく公安出身の官邸謀略隊、“安倍のアイヒマン”こと内閣情報調査室のトップ・北村滋内閣情報官と共に、もっぱら、官僚の行動を監視しているのが杉田官なのである。

 

 釜山総領事 森本康敬氏の更迭

 2017年6月 韓国・釜山総領事 森本康敬氏の更迭 森本氏がプライベートの席で慰安婦像をめぐる安倍総理の対応に異を唱えたことを内調がつかみ、官邸に報告した結果だと言われている。

先ごろは、新潟県知事選挙においても官邸と内調は選挙終盤において、地元紙を使ってデマキャンペーンを行い、取り返しのつかない打撃をもたらした。

安倍晋三と官邸は、自分に従わない政治家の排除や、公私にわたる官僚の動向を日常的にマークし、少しでも意に沿わないものにはスキャンダルや些細な不正やミスを突いて追放するという恐怖政治を行っている。その私兵となっているのが内調である。

しかし、このような政治手法は遠からず人民を統制する手段、即ち、かつての特高警察が横暴の限りを尽くしたような警察国家へと向かうことは明らかだ。

 

<安倍首相が総裁選に向け「内調」に石破茂の監視をさせていた! 政府機関を私兵化・謀略装置化する横暴> http://lite-ra.com/2018/08/post-4162.html

原発立地自治体の原発課税について

原発立地自治体の財政難を「原発税」で補填

立地自治体には電源三法(74年、原発建設ブーム時に田中政権によって施行された立地自治体へのカネのバラ巻き法=買収法であって、自立的な地場産業の発展を阻害し立地自治体の原発依存体質を強めてきた国家独占資本主義的政策の一環であった)に基づき巨額の交付金補助金が国から支給され、それを原資にして立地自治体は「地域振興」と称して「箱もの行政」を満展開してきた。しかし現在ではそれら支給金も圧倒的に減額し、地場産業も破壊されて少子高齢化が進み、それに加えて3.11以降にあっては自治体の財源であった原発は停止し、そのいくつかが廃炉となり始め、もって立地自治体の収入源が激減し、財政難が恒常的になっていった。

 そのようなことから、多くの原発立地自治体では、税収を確保・増加させるために、各自治体独自の条例をもって、原発それ自体への課税をあの手この手で行っている。

 自治体の「原発税」に先鞭をつけた福井県

 ① 稼働中の原発 ⇒ 核燃料税

原発への課税を最初に実行したのは関西電力敦賀原発など原発13基が立地する福井県である。

福井県は、1976年に県条例で安全対策、地域振興という名目を立てて、稼働中の原発に核燃料が装填されるたびに、その価格、重量に応じて課税する核燃料税(法定外税)を導入した。そして得られた税収を敦賀市などの原発立地市町村に「核燃料税交付金」として分配していったのである。

その後、この課税方式は他の自治体にも波及していき、2010年の時点では、13県で220億円にまで膨らんでいった。

 ② 安全の担保 ⇒ 使用済み燃料への課税

しかし、この課税方式はあくまでも原発の稼働が前提となっており、それは同時に使用済み核燃料を増加させていくことにもなる。そのようなことから、いくつかの自治体は、安全の担保料金として、2003年から使用済み核燃料に対しても課税するようになる。この方式を導入している自治体は、3県4市町で48億円になっているという。

 ところが、定期点検や相次ぐ原発事故などによって度々原発は運転を停止する。とくに3.11以降は全ての原発が運転停止となり、また新たな原発は建設しないという政府の方向が強まると、立地自治体における核燃料税の収入はいずれ途絶することが避けられないという事態に直面した。

 ③ 停止している原発にも課税

このような状況を敏感に感じ取った福井県は、新たに原発それ自体(稼働・非稼働は関係なく)の規模に対応して課税する「出力割」課税方式を導入した(2011年11月)のである。

これも他県に波及して現時点では12県150億円になっているという。

 ④ 廃炉が決まった原発への課税

2014年頃からは、東電の福島第1原発を先頭にして、各電力資本は再稼働を断念した老朽原発廃炉作業を決めていく。原発財政に依存してきた各自治体にとっては主要な財政源が相次いで消えていく訳である。このような現実に直面し、やはり福井県廃炉原発にも課税する制度を導入した(2016年11月)。 この課税方式は4県に導入され、現在その税収総額は48億円になるという。

  原発依存を温存したまま原発収入を追及する自治

 このような原発立地自治体における独自の課税方式(法定外税)は、あくまでも原発に依存しようとする体質を温存し、地域社会に密着した地場産業の育成を阻害するものである。

現行の原発政策が廃棄されずに存続する場合には、原発の変化する動態に対応した形で各種の課税方式を導入し、様々に形を変えながら他の自治体へと波及していくに違いない。

 「原発課税」は電気料金に上乗せして回収

普通、自治体が高額の税を掛けるのは大資本の進出を抑制し、地場産業を守る場合の方策である。それならば、電力資本はやがて原発から撤退するに違いない。停止中の原発廃炉原発にまで課税されると聞けばそう考えたくなる。

ところが、ここにカラクリがある。

これらの「原発税」は原発の所有者=各電力資本に課せられる。当然それは電力資本にとって負担になる。そこで電力資本はその税を彼らの営業活動として計上し、電気料金に上乗せするのである。つまり、「原発税」を徴収される電力資本は、その「原発税」分を含む電力料金を電力使用者=一般消費者から徴収し、自治体に還元するだけであり、決して自腹を切ることはないのだ。

 一般消費者の側からすれば、自分たちは高くなった電気料金を電力資本に支払うことにより、知らず知らずのうちに、原発立地自治体に納税していることになる訳である。政府が原発政策を根本から変えない限り、われわれ消費者は電力資本を救うために、政府と立地自治体の双方に、一方は国税として、もう一方は電気料金として税金を納める事になる訳である。

原発廃炉にしても忌まわしい負荷から誰も逃れられない 

このことは何を物語っているのか。原発は一度作らせてしまえば、廃炉が終了するまで、いや放射性廃棄物の処理・管理を含めれば数百年、数千年と人民に負担を強いるものなのだという現実を改めて認識する事である。

これは本質において、単純に政権が変わればどうにかなるものではない。好むと好まざるとに関わらず、原発を許してきたすべての人々の、こう言ってよければ全人類の責任であり忌まわしい負荷なのである。

 今すぐ、エネルギー転換=全原発の即時停止・廃炉

したがって、たとえ少しであってもその負担を軽減する道は何か。  

  • 自然エネルギーをはじめとした、クリーンでできるだけ費用の掛からないエネルギー政策に一刻も早く転換し、これ以上「核のゴミ」を増やさない事。
  • 新エネルギーへの転換で浮いたコスト分を「原発の後始末費用」に補てんし、少なくとも今以上に消費者に負担を強いることはさせない事。
  • 政府は電源三法の時のように、今度は立地自治体の原発依存から脱却する政策を支援し、奨励する事。
  • 各電力会社は、自治体の「原発税」を電力料金に組み入れるのをやめる事。

「高プロ」法案=残業代ゼロ法案の強行成立を弾劾する!

労働時間の短縮は19世紀から続く労働者の普遍的闘い

18世紀から19世紀の初めイギリスで産業革命が起きた頃、労働者は1日14時間~18時間も働かされていた。この長時間労働に反対する闘いが活発になり、やがて一日の労働を最大10時間とする「工場法」が作られた。その後、1886年5月1日、合衆国カナダ職能労働組合連盟がシカゴを中心に8時間労働制を要求して2万社余りの労働者が統一ストライキを行った。集会とデモには、ニューヨークやボストンなどを含め38万人以上の労働者が決起した。これが全世界に波及しメーデーの起源となったのである。

この時の米労働者のスローガンは「8時間の労働、8時間の睡眠と休息、残りの8時間は自分のために」だった。

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今日、労働基準法に定められている8時間労働制は、こうした全世界の労働者の営々たる闘いで勝ち取ってきたものである。

  • 安倍政権は、労働者が血と汗で闘い取ってきた8時間労働制を再び130年以上前の無権利に近い状態に引き戻す「働き方改革なる労働法制の改悪を進めている。

    そればかりではない。あろうことか、この忘れてはならない労働者の権利の記念日=メーデーを新天皇即位の記念日とすることによって、その歴史的意義をも抹殺しようとしている。断じて許すことはできない。

労働時間の短縮は賃上げと並ぶ攻防の焦点だった

 戦後日本の労働運動の中でも労働時間短縮の闘いは、少しでも労働時間を延長したい資本側とのせめぎ合いとして賃金要求と共に、いやそれ以上に労働者の基本的権利を守るものとして重視されてきた。

 資本の側は休憩時間を厳格に監視しトイレタイムや水飲み、喫煙の回数をチェックする、守衛所に設置されていたタイムカードをより仕事場近くに移動する、始業・終業の整理清掃や準備体操、ミーティングなどを労働時間外にさせる、さらにはQC活動と称して改善提案の為のサークル活動を時間外に半強制的に無給(サービス残業)で行わせる等々、隙あらば僅かの労働時間も延長しようとしてきた。

そのために、節電に名を借りた冷水器の撤去など「些細な事」でも労働者の既得権を侵害するすべての問題が労使交渉―紛争になる場合があった。

死の危険を考える程の超過労働、どこに人間らしさがあるのか

 資本主義的生産の発展にともない、労働者階級が社会的生産の重要な担い手になって以来、その雇用主との労働時間をめぐる闘いはもっとも基本的、根底的なものであった。

他人に雇われて「働くこと」によって賃金を得る以外に生活の手段を持たない労働者にとって、「仕事が終わってから」はじめて「自分の生活」が始まるのであり、その中にこそ家族の健康や幸福があり、文化的生活の実体があるのだ。まさに、人間が人間らしい生活を送るための要求が8時間労働だったのである。

 だから「健康で文化的な生活」の権利を追求するときには、必ず労働時間の短縮―すなわち資本によって拘束される時間を短縮すること、つまり自分と家族が自由に過ごせる時間の拡大―を要求してきたのだ。

 ところが、今や「過労死」が問題にされているのだ。働き過ぎで死の危険を考えるような労働条件のどこに人間らしさを求めることができると言うのか。もはや、憲法が保障する「健康で文化的な生活」以前の話なのだという事をしっかりと認識する必要がある。

 経団連の強い要請とそれを受けた安倍政権の「高プロ」法案=残業代ゼロ法案の強行成立、更に改めて次期国会への提出が狙われている「裁量労働制」、労働者を過労死するところまで働かせるような労働法の改悪策動は、労働者が家畜のように扱われてきた18世紀末の劣悪な労働条件に引き戻すに等しく、時代錯誤も甚だしい。

 原点に立ち返って労働者の権利を奪還しよう

 かつて、社会主義者たちは電化が進むこと(今日的に言えばIT産業の発達)は極めて少ない労働時間と、そして誰にでもできるような単純作業によって社会的富を生産し、残された時間が人民の豊かで幸福な、知的生活の為に使われるに違いない、という理想を描いていた。しかし、それは資本家階級がその利潤を追い求める社会が続く限り、叶わない話である。

 残念ながら、我々が目にしている現実は18-19世紀の初めに戻りつつあるかのようだ。それならば今我われに求められるのは、19世紀の労働者階級が無権利状態の中から立ち上がり、荒々しい階級闘争を通じて働く者の権利を確立してきた歴史に学びながら、もういちど労働者の権利を取り戻す道を拓くことだ。

安倍政権は必ず打倒できるし、しなければならない

 議席数に勝るからと言って、その政権が永遠ではない

 下の表は55年体制以降の各政党の離合集散過程と、それぞれの議席数を記録したものである。

 この間、安倍一強体制の前に打ちのめされ、今の議席数では安倍を不信任に追い込むのは難しいのではないかという敗北主義に陥いる傾向が見られる。

 しかし、この半世紀を超える日本の議会政治の中で、実は自民党が殆どの時期において250議席以上、300議席近くを占めてきたのだ。この過半数から2/3に近い議席を持ちながら、その内閣が存続し続けた事はあっただろうか。いや、それは無かった。

 そして、いずれの政権も、民衆の怒りの中で打倒され、総辞職または解散に追い込まれている

 だからこそ、安倍晋三首相は麻生政権の失敗に習って、完全に追い込まれる前の国会冒頭解散という姑息な手段に訴えて、恰も政権に対するすべての疑念が、総選挙に勝つことを通してご破算になったかのような仮象を描いてみせたかったに違いない。

 安倍政権は、既に先の選挙で政治的に敗北した

 当ブログが選挙直後に指摘したように、安倍政権は議席数でこそ2/3を維持し、マスコミを動員して自民圧勝の大キャンペーンを張ったが、選挙期間中、安倍晋三有権者の怒りの声から逃げ回らざるを得なかった。既に、この段階で議席数の如何にかかわらず、安倍政権の政治的「死」は運命づけられていたのだ。

 そのことは、この間ますます明らかになりつつある。ウソと隠ぺいで国民を欺き、その上に行われた「騙し討ち総選挙」でかすめ取った政権のどこに正当性があると言えるのか。

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 民衆の怒りで自公の動揺をさらに拡大し、安倍政権を打倒しよう

  冒頭に、安倍政権は必ず打倒できると書いたが、残念ながら、その事は直ちに自公政権を打倒できるという意味ではない。

ただ、民衆の烈火のような怒りの強まりは、政権与党の中に「人民の声をある程度尊重しなければいけないのではないか」という空気を必ず生み出すのである。いかに自公が傲慢で尊大であろうとも、民衆の怒りが正当であり、正義性を持っている限り必ず政権政党の中に動揺を生み出すのである。それが現政権を倒す力になるのである。

 安倍を倒せば、直後的には一定の揺り戻しがあり、民主主義的ポーズをとらざるを得ない期間が生じるはずである。これは野党を含めた人民の側が体制を立て直す絶好の機会なのだ。

安倍を倒しても、どうせ野党は政権を担えないからとあきらめるべきではない。ともかく、今は安倍政権を打倒するためにあらゆる知恵と力を結集することが必要なのではないだろうか。

 

安倍政権は選挙では勝利したが 政治的には敗北した

 自民圧勝の空虚なキャンペーン

安倍政権は第48回衆院選直後に「絶対安定多数を確保」「改憲を発議できる2/3を突破」と大々的なキャンペーンを張った。この結果が小選挙区制という、力のある大政党には決定的に有利で小政党には不利な、少数意見圧殺の制度の上にもたらされた結果であり、断じて容認できるものではない。この選挙を通じて、改めて小選挙区制への憤激が起きていることは重要なことだ。

そのことは置くとして、敢えて常軌を逸した冒頭解散を強行してまで総選挙に訴えておきながら、勝利と言うからには解散前と比べて何か決定的に有利な条件を手に入れたと言うことでなければならない筈だった。

しかし、選挙の結果は自民党単独過半数越え、かつ公示前の議席を維持しただけであり、連立の相手である公明党は5議席を減らしている。確かに激減という敗北は回避したものの、選挙前と変わらないのなら、何のために選挙に訴えたのか。

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選挙に賭けた安倍政権の勝算

安倍が冒頭解散ー総選挙を強行した理由は2つある。

森友・加計学園疑惑に対する人民の憤激が高まり、権力を私物化する安倍の国政運営に批判が高まり、政権支持率が急速に低下し始めたことだ。このままでは麻生内閣のように解散の時期を逸しかねない。これが解散を決断させた第一の理由である。

もう一つ、敢えて冒頭解散と言う無謀な方法に訴えたのは何故だったのかと言う問題だ。実は今次選挙を評価する上で重要なのはこちらの問題だ。

 安倍がこの選挙で狙ったものは野党勢力の解体、とりわけ民進党の解体だった。

 1)民進党の混乱を仕掛けた安住淳

野田幹事長の突然の辞任―後任人事の混乱―蓮舫代表の辞任―そして前原代表の選出、その出鼻挫く山尾志桜里氏の「不倫」スキャンダルと幹事長人事の再混乱。相次ぐ離党も含め、こうした一連の動きが、臨時国会の開催を要求している最中に行われること自身異様であった。

都議選の敗北を受けた直後には続投を表明していた野田幹事長が、突如辞任を発表したのは、蓮舫代表に対する不満が強くなる中で、幹事長の辞任によって事を収めようとしたからであった。

 しかし、蓮舫批判の急先鋒・安住淳は、グループ内外の主だった議員に蓮舫からの幹事長要請を受けないよう組織したのである。蓮舫は安住氏に直接幹事長就任を要請したが断られ、結局後任を決められないまま蓮舫は辞任に追い込まれた。

また、安住は伊藤詩織さんに対する昏睡レイプ犯・ジャーナリストの山口敬之逮捕を中止させた元警視庁刑事部長で、現警察庁刑事局組織犯罪対策部長の中村格氏と懇意であった。国会では性犯罪取締法の改正と絡んでこの問題も取り上げられたが、これを中止させたのは安住だと言われている。

また、伊藤詩織さんの代理人弁護士が所属する「松尾千代田法律事務所」の代表弁護士・松尾明弘氏は、山尾志桜里氏の夫・恭生氏が代表を務める会社(セレージャテクノロジー)の監査役であり、松尾氏自身も民進党に繋がりを持っていた。このことから、内調の描いたストーリーの中には「民進党がレイプ被害者の詩織さんを政治的に利用しようとしている、これはセカンドレイプだ」というような印象操作も組み込まれていたというのである。

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山尾志桜里氏のスキャンダルは、そうした背景の中で松尾法律事務所や山尾恭生氏周辺を内偵調査する過程で山尾夫妻の不和に乗じて民進党を貶めるために放たれた毒矢だったに違いない。

前原と安倍はツーカーの関係と言われているが、今回どこまで安倍との意思疎通があったのかは分からない。しかし、いずれにしても民進党の動きは官邸サイドが完全に把握した上で安倍の決断が行われたと考えても不思議ではない。

2)「希望の党」への不意打ちと小池の動揺

安倍が冒頭解散を決断したもう一つの理由は、小池新党の動きである。小池は、すでに春の段階から「希望の党」という党名を商標申請しており、新党の結成は時間の問題であった。しかし、小池は年内解散あるいは年頭解散という読みを持っていたに違いない。もし、解散時期があと数か月ずれていたら、様相はもう少し違ったものになっていただろう。「政権交代可能な政党」として打ち出す以上は最低でも233議席分の候補を揃える必要があった。しかし、結党間もない「希望の党」が全国の選挙区に候補を立てるには資金面は勿論、人選においても、また選挙区の支持の程度を分析するにしても全く間に合う筈はなかった。ここに民進党の議員を「希望」が公認するという強引なまでの苦肉の策が前原ー小池のボス交で決められる事になったのである。全く数合わせでしかないこの方針を民進党内に納得させるために、前原は敢えて無責任な説明で押し通すしかなかった。他方の小池も民進党の内部矛盾をそのまま輸入する訳にはいかず、「選別、排除」を口にするところに追いつめられてしまった。

つまり、ここまでは

民進党の解体と

②対抗する小池新党の出鼻を挫く

という安倍政権の作戦は功を奏したかに見える。

安倍を打ちのめした二つの指標

安倍はこの選挙において、すざましい有権者の批判、怒りが噴出するであろうことをある程度覚悟していた。だからこそ、その怒りを集約し得る野党の力を壊滅させることで議席減があったとしても反安倍勢力、労働者人民の無力感を突きつけることで政権の「危機」(これを安倍は「国難」と言い替えた)を突破しようとしたのである。

森友・加計に象徴される行政権力の私物化、憲法と民主主義を無視した政権運営に対する人民の怒りは、それを乗り切るために強行した臨時国会冒頭の解散―総選挙という暴挙を許すことはなかった。それを如実に示したのが「立憲民主党」の結成と「希望の党」に対する世論の反応であった。

立憲民主党への爆発的な期待と支持者の行動的エネルギー

f:id:pd4659m:20171104204745j:plain 枝野幸男氏が立憲民主党の結成を宣言し、党への結集を呼びかけたのは10月2日であり、選挙の公示までは1週間しかないというギリギリの時だった。

しかし、そこに至るまでの間、民進党・前原やそのグループに対する批判、怒りとともに「枝野はこのまま民進党と心中するのか! 今こそ党を割ってでも立ち上がるべきではないのか」といった叱咤と激励が無数に突きつけられていたのである。

こうして、満を持した形で「立憲民主党」の結党を宣言したその翌日にはtwitterのフォロワー数は7万を超え、5日後には15万を超える爆発的な期待と注目を集める事となった。

「公示日直後に勢いのある党は最後まで伸びる」と言われるが、まさに今回、その点で「希望の党」と好対照をなしていた。

こうした、立憲民主党に対する期待の広がりに対し、自民党・安倍首相の街頭演説は野次と抗議の声に迎えられ、ついには街宣スケジュールを公表できないところにまで追いつめられた。

そして、最終日の21日には体面を保つためにのみ秋葉原で街宣を行なった安倍は、日の丸を掲げた親衛隊を動員し、敗ける訳には

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いかない「こんな人たち」を排除することで己が如何に国民から拒絶された存在であるかを示しただけだった(写真下)

安倍が「敗けられない」と罵った「こんな人たち」が立憲民主党のもとに結集してしまったことは安倍にとって大誤算だったに違いない。

 (写真上は21日の新宿・立憲民主党

そして、選挙が終わった後もツイッター上では「自分たちに何か出来ることはないか」「立憲民主党に入りたいがどうすればいいか」と言った声が続いており、党と民衆の関係に新しい躍動が生まれている。

> 勿論、リベラルの結集を掲げ、また自らを「保守」と宣言する枝野氏の立憲民主党には、未知数な部分もあり、左からする批判があるのも確かである。それは別の機会に論じることとしたい。

②「希望の党」への失望=小池の本質が明らかになるにつけ、急速に支持を失ったこと。

立憲民主党への爆発的な支持とそのエネルギーの発現に対し、それとは逆の意味で人民の怒りを示したのが、「希望の党」への急速な支持の減少であった。

 いわゆる小池の「選別、排除」発言である。

小池は希望の党の公認条件として「改憲に賛成する」「安保法制に反対しない」という踏み絵を突きつけ、この基準で「選別・排除する」「全員を受け入れる気持ちはさらさらありません」と言い放ったのだ。 

 多くの有権者と人民にとって、この小池の言葉が「安倍の姿勢と変わらないものと映ったに違いない。

なぜなら、都議選最終日の秋葉原で「こんな人たちには敗けられないんです」と安倍が叫んだ時、その「こんな人」が抗議していたものこそ、「安保法制反対」「安倍は憲法を守れ」という事にほかならなかったのだ。

こうして「希望の党」への期待は急速に萎んでしまったのである。すでにお分かりのように、希望の党」の失速は他ならぬ安倍政権への怒りの裏返しであり、小池に安倍が投影された姿だったのである

 

「選挙での大勝」という言葉とは裏腹に、国会の会期を短縮するとか、野党の質問時間を議席数で配分とか常軌を逸した対応に血道を上げているのは、安倍政権が選挙を通しても尚、森友・加計疑惑に怯え、逆に選挙を通じて人民の政治的活性化を引き出してしまったという恐怖にさいなまれているからだ。

安倍は選挙で打ちのめされたのだ!