正道有理のジャンクBOX

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― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

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レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート(最終回)

 

【専門化・分散化、集中化と分業論に関する考察】

一般に「なにをなすべきか」の学習レポートや解説で、この「集中化、専門化」ということの意味についてあまり深く検討されているものは少ない。しかし、この節の表題を「組織活動の規模」とし、それを実現する方法は分散と専門化―集中化であると提起していることは興味深い。

レーニンは、1890年―1900年当時、一方で組織建設の計画に着手しつつ、他方で急速に発展を遂げるロシア資本主義についての詳細な分析をおこない、マルクスの『資本論』をも引用しながら経済学としての理論的検証もおこなっている。「いわゆる市場問題について」(1893年)や、1896年~99年までの3年をかけてまとめた労作「ロシアにおける資本主義の発展」などの著作がそれである。

その中で、資本主義の飛躍的発展と工業化が生産工程の細分化=工場内分業、大規模生産とその結果が不可避につくりだす市場との関係=社会的分業についても全面的な解明と研究を行っている。

「手労働の機械労働による交替には、なんの『不合理さ』もない。反対に、ここにこそ、人間の技術のあらゆる進歩的な働きがある。技術がより高度に発展すればするほど、人間の手労働は、ますます駆逐されて、よりいっそう複雑な機械によって取ってかわられる。……全発展は一様に分業によっておこなわれるのである。そして、これらの契機のあいだに、『本質的』な差異はない。それらのあいだに現実に存在する相違は、技術の進歩の種々の段階の差異に帰結する。資本主義的技術のより低い発展諸段階―単純協業とマニュファクチェア―はまだ生産手段のための生産手段生産を知らない.それは、高度の段階―機械制大工業―のもとでのみ発生し巨大な発展をとげる」

……「そして市場の大きさは、社会的分業の専門化の程度と、不可分にむすびついている」

「……(分業と私的所有は)交換の出現とともにはじめて発生する。その基礎には、すでに発展しつつある社会的労働の専門化と市場における生産物の譲渡とがある。たとえばアメリカ・インディアンの原始共同体の全成員が、彼らに必要なあらゆる生産物を共同でつくっていたあいだは、私的所有もまたありえなかった。ところが、共同体のなかに分業が侵入し、その成員が各個になんらかの一生産物の生産に従事するようになり、そして、その生産物を市場で売るようになったとき、そのとき商品生産者のこの物質的孤立性の表現が、私的所有の制度だったのである。」(レーニン全集第一巻「いわゆる市場問題によせて」)

 マルクスは、分業はやがて人間労働を駆逐し、人間を疎外するものであり、共産主義社会においては分業が廃絶されなければならないとしている。レーニンは、それをふまえながら、あえて分散・専門化と集中化というかたちで、組織建設に分業の手法を提起している。これは、資本主義が用意した、その条件の中からしか、あたらしい社会を生み出すことはできないという弁証法的かつ実践的な提起としてレーニン主義を学ぶ場合には興味ぶかいものがある。

 資本主義は社会主義への遺産として、かならず、一方では、古い、数世紀にわたってつくられた、職業上の、または手職のうえの分業を労働者のあいだにのこし、他方では労働組合をのこす。…やがては、これらの産業別組合を通じて、人々のあいだの分業を廃止し、あらゆる方面に発達し、あらゆる方面で訓練された人々、あらゆることができる人々の教育、訓練、養成にうつってゆくことができるし、またそうなるだろう。…だが、それも長い年月をへてはじめてそうなるのだ。…完全に成長し、成熟した共産主義のこの未来の結果を実際に予測しようとこころみることは、四才の子供に高等数学をおしえようとするのと同じである。  われわれは、空想的な人的資材や、とくにわれわれがつくりだした人的資材をつかって社会主義をつくりだすのではなくて、資本主義がわれわれに遺産としてのこしたものから社会主義をつくりはじめることができる(また、そうしなければならぬ)。…だが、この任務を別な方法ではたそうとすることは、すべて不まじめなものであり、とくにとりあげる値うちはない。(『共産主義における「左翼」小児病』第6章)

(なお、共産主義社会における分業の廃絶をめぐっては、理論的にも未解明な部分があり、それ自身としての研究が必要な分野ではある)

5)「陰謀」組織と「民主主義」

 レーニンが手工業性に反対し革命家の組織をつくることからはじめるべき、いっさいの秘密の機能をできるだけ小数の職業的革命家の手に集中することで継承性をもった革命運動をすすめうる、と主張したのに対し、手工業主義者は「人民の意志主義だ」「陰謀的だ」「反民主主義的だ」と非難した。  レーニンは「ツァーリズムに対して断固たる戦争を布告する戦闘的な中央集権的組織を考えたりすると、何でも『人民の意志主義』だと呼ばれる」とし、こうした批判が敵を利する反動的なものであることを指弾したうえで「人民の意志」派の誤謬は「専制政府との断固たる闘争」をめざしたことではなく「全然革命的理論でない理論」をよりどころとし、自らの運動を「発展しつつある資本主義の内部における階級闘争」と結びつけられなかったことにあると述べている。

 また「陰謀的」だという非難に対しても、政治闘争を陰謀にせばめることは反対してきたが、組織形態についていうなら「専制国のばあいにはこのような強固な革命組織は『陰謀的組織』とも呼べるが、それでどうだというのか」「民主主義の原則に反する」などという非難は、専制が支配するロシアにおいては「空虚で有害な遊びごと」に過ぎないと一蹴した。

 なぜなら、中央集権的な組織、機密活動の訓練をつんだ革命家の組織の必要性は、少しまじめに専制との闘いを考えるなら、必然であったからである。そして、形式上だけの「民主主義」のおしゃべりをするくらいなら、党員間の同志的信頼が保障されている組織をどう作るのかを真剣に考えることの方が、党にとって大切なのだと言っているのである。

 「われわれの運動の活動家にとっての唯一の真剣な組織原則は、つぎのものでなくてはならない。すなわち――もっとも厳格な成員の選択、職業革命家の訓練。これらの特質がそなわっているなら、『民主主義』以上のあるものが、すなわち革命家たちのあいだの完全な同志的信頼が、保障されるのである」(p208)。            

 そして、レーニンは「革命家たちのあいだの完全な同志的信頼」こそ、「われらにとって絶対に必要なものなのだ」と述べている。綱領と規約にもとづく意思の一致、そして実践的活動を通じての「同志的信頼」関係こそ必要であり、形式的な「民主主義」のおしゃべりにレーニンは大きな意義をおかなかったのである。

→「民主主義以上のあるもの」を保障する前提は、同士的信頼関係である。それがあってはじめて「不適当な成員を取り除く」ためのあらゆる手段が許されるということであり、その逆ではない。もし、同志的結束を図るという口実のもとにあらゆる手段を用いて「不適当な成員」を取り除いたのなら、それは粛清でしかない。

 いわゆる「民主主義的」手続きの制限された組織においては、一にも二にも同志的信頼が築かれない中での組織問題の正しい解決はありえないということである。

→レーニンを批判する人はこの「中央集権制」が、ロシア専制下の特殊なものであったとしても、それがスターリン主義的な一党独裁の根拠をなしてきたかのように主張する。たしかに、非合法下と合法下では、党組織のあり方は異なってくるし、日本のような合法下の党の「民主的あり方」は、当然違ってくるだろう。形式上は日本では、レーニンが指摘するドイツのように「完全な公開性と選挙制と全般的統制」が実現されるならば、「自然陶汰」によってより民主的な党の運営が保障されるはずである。

 しかし、法律上、合法化されているからといって、階級対立が解消されているという事を意味するわけではない。革命党の存在がますます資本主義的支配を脅かすようになれば、権力がいつでも時期を得て容易に一網打尽にすることを狙っており、「合法」であるがゆえに日常的な組織実態把握、情報収集(もろもろの口実をもうけた、これまた「合法的」に行う捜索をも含めた)を周到に進めているのである。

つまり、革命党は本質的に非合法であるということ、たとえ合法化されていても、権力に与える情報を極力少なくするよう努めることは義務でなければならない。

6)地方的活動と全国的活動

 手工業性に対する批判の最後として、レーニンは全国的な党の活動を地方的な活動に優先させるべきこと、地方的な分散主義に陥ってはならないことを中央機関紙と地方新聞を例に出して説明している。

 1898年から1900年にかけての約2年半のあいだにロシアでは30号の地方新聞が発行されていた。

 「もしこれと同じ号数の新聞が、ばらばらの地方的諸グループによってではなしに、単一の組織によって発行されたとしたら、われわれは、莫大な労力を節約できたばかりか、さらにわれわれの活動にはかりしれないほど多くの確固さと継承性とを確保できたであろう」

【全国的政治新聞の必要性】

 「…いくらか大きな労働者の密集地には…自分自身の労働者新聞が必要である」この「経済主義者」=手工業主義者の主張に対し、レーニンは次のように反論する。

「その土地土地での工場内の状態の暴露のためには、われわれにはつねにリーフレット《=チラシ》があったし、これからもなければならない…」

「しかし、新聞の型をわれわれは高めなければならないのであって、それを工場リーフレットに低めてはならない

「われわれが必要としているのは、『こまごまとした事柄』の暴露よりも工場生活の大きな、典型的《根本的、本質的》な欠陥の暴露であり、とくに際立った実例にもとづいて……すべての労働者とすべての運動指導者との興味をよびおこす」ものでなければならない。そして全国的政治新聞の必要性について次の点をあげている。

① 真に継承性《=権力の弾圧から防衛された》のある全国的政治新聞の発行

② 労働者の知識をゆたかにし、視野を広め目覚めさせる新聞は、地方組織の単位では不可能である。

③ 手工業的な新聞でまにあっているということ自体が組織と運動の規模の小ささを示すものであり「工場生活の細々した事柄」の中におぼれきっていることである。

 

「運動が全面的暴露と全面的煽動の任務をすでに完全に制御し、その結果中央機関紙のほかにたくさんの地方機関紙が必要になる」のであれば、これは「贅沢のしるし」になるが、今はそうではない。

 「地方組織の大多数が、主として全国的機関紙のことを考え、主としてその仕事をやらなければならない。(そうならなければ、紙上での全面的な扇動が)いくらかでも真に運動に役立つことのできる新聞を、ただの一つも発行することはできないであろう。だが、そうなったときには、必要な中央機関紙と必要な地方新聞とのあいだの正常な関係《=役割分担》はひとりでにうちたてられる」

 【全国的政治新聞の性格とそのための組織条件】

 では、全国的政治新聞のはどのようなものでなければならないのか。ここでは市政や市議会に対する暴露ということを例に二つのポイントを挙げている。

①「市政の問題の解明《=あらゆる政治問題の解明と言ってもよいだろう》がわれわれの全活動の適切な見とおしにもとづいておこなわれるためには、まず最初に、この見とおしを完全につくりあげ、それを議論によるだけではなく、たくさんの実例によってしっかりと確立すること……が必要である」(→認識の方法と対応する)

② 「市政の問題をほんとうにうまく、興味ぶかく書くためには、これらの問題を十分に(知識として、あるいは本などによってではなく)知っていることが必要である。……新聞に市政や国政の問題について書くためには、練達した人の手で集められ、まとめられた、新鮮な、多方面にわたる資料をもたなければならない。……そのためには、専門の著作家と専門の通信員からなる幕僚や、いたるところに連絡をつけ、ありとあらゆる『国家機密』に割りこみ、あらゆるものの『舞台裏』にもぐりこむことのできる社会民主主義者の探訪記者の軍隊、『職務上』どこにもいて、なんでも知っていなければならない人々の軍隊が、必要である。そして、あらゆる経済的・政治的・社会的・民族的圧制とたたかう党であるわれわれは、このような、なんでも知っている人々の軍隊を見つけだし、集合させ、訓練し、動員し、進軍させることができるし、またしなければならない」

 →この二つの条件を満たすような組織をつくることを前提として、第5章の全国的政治新聞について展開されるのであり、機関紙問題を第5章だけ切りとって論じたり、組織の団結形成論として語るのは、労働組合の機関誌やサークルの会報の意義を語るのとそう変わらない。

 

【五】全国的政治新聞の「計画」

 この章でレーニンは、全国的政治新聞の計画について述べている。この計画は論文「なにから始めるべきか」によって、すでに提出されていたものであり、前提的にそこで述べられていたことをまとめておきたい。

 まず、レーニンは「現在の瞬間におけるわれわれのスローガンが、『突撃せよ』ではありえず、『敵の要塞の正規の攻囲を組織せよ』であるべきだ」と言って、「経済主義者」(『ラボ-チェエ・デーロ』)が1901年秋おこなった、「『専制の砦』にたいする即刻の突撃」という呼びかけを拒否する姿勢を明確にしている。

 「わが党の直接の任務は……すべての勢力を統合して、名目のうえだけでなく実際に運動を指導する能力のある革命的組識、すなわち、つねにあらゆる抗議やあらゆる燃えあがりを支持する用意があり、それらを利用して決戦に役だつ兵力を増大させ、つよめる能力のある革命的組織をつくりあげる」こと。(二月と三月の諸事件の後ではこういう結論にたいする原則上の反論に出会うことは、少なくなったが)「現在われわれに必要なことは、問題の原則上の解決ではなくて実践上の解決である」。すなわち、a)どういう組織が、b)どういう活動のために必要であるかを、知ることだけでなく、c)すべての方面から組織の建設に着手できるような「組織計画をつくりあげること」、その活動の出発点であり、組織建設の第一歩であるとともに、これを発展・拡大するための導きの糸こそが全国的政治新聞でなければならない、と提起している。

【二月と三月の諸事件】ペテルブルグ、モスクワ、キエフ、ハリコフ、ヤロスラヴリ、トムスクワルシャワ、ペロストクその他のロシアの多くの都市を捲きこんだ1901年2月と3月の学生の戦闘的決起と労働者の行動――集会デモンストレーション、ストライキをさしている。3月4日にはペテルブルグのカザン広場で、兵籍編入に抗議する数千の学生と労働者が参加したデモが行われた。これに対してツァーリ警察とカザックが弾圧をくわえ、デモ参加者は残酷に打ちすえられ、数名が殺され、多くのものが不具にされた。この事件は「イスクラ」第3号(1901年4月)にくわしく報道された。『ラボーチェエ・デーロ』の「突撃の呼びかけ」というのはこの年の秋に出されたものである。

 さらに、「新聞は、集団的宣伝者および集団的扇動者であるだけでなく、また集団的組織者でもある。この最後の点では、新聞は建築中の建物のまわりに組まれる足場にたとえることができる」とも提起している。

 これは先に引用したa)~c)とも対応したものであり、この章で展開される内容は「全国的政治新聞」をとおした組織建設論そのものである。その要点は次のようにまとめることもできるだろう。

a) 「集団的宣伝者、集団的扇動者」として、あらゆる事象についての共通の認識、評価、判断能力を獲得する=理論的同質性を養うこと

b)「集団的組織者」として全国に散在している社会民主主義的な諸委員会、諸サークルの実際的な結びつきをつくり出すこと

c)革命党にとって不可欠な、あらゆる情勢の変化に対応できる「柔軟性」とそのための戦闘組織をあらかじめ準備すること

 また、a)およびb)は第2節、c)は第3節で展開されているが、多くの部分が「なにから始めるべきか」で述べられた内容をさらに詳しく述べたものである。

 

1)だれが論文「なにから始めるべきか?」に感情を害したか? 

(略)この節は、論集「12年」の中に再録された際には筆者の手ではぶかれ、脚注ではその理由について「…この節は『ラボーチェエ・デーロ』とブンド相手におこなった論戦を含んでいるだけだから」だと説明している。

 

2)  新聞は集団的組織者になることができるか

a) 単一の組織の同質性を形成すること

 論文「なにからはじめるべきか?」の要点は、「新聞は集団的組織者になることができるか」という質問を提起して、それに、できる、という解答をあたえたことにある。『イスクラ』は、「新聞を中心として、そのための仕事を通じて人があつまり、組織をつくるであろう」と考えている。

 ところが、これに対してテロリストのエリ・ナデジヂンは「いまどき、全国的新聞から糸を引く組織のことなどを論じるのは、書斎思想と書斎仕事を生むものである」(『革命の前夜』)と言って批判している。この筆者は「もっと具体的な仕事を中心としてあつまり、組織をつくるほうが、はるかに手っとりばやい」と考えている。

 それは、この「計画」のもっとも肝要な言明を見ようとしていないからだ、と批判し、「なにからはじめるべきか」で述べたこと《冒頭の引用》を再度繰り返している。

 強力な政治的組織をそだてあげるという「原則上はただしく、争う余地がなく…しかしまったく不十分で、広範な労働者大衆にばまったく理解できない真理」に引き戻されないためにはどうすべきなのか。レーニンは次のように述べている。

 「近年わが国では、知識労働者もまた『ほとんどまったく経済闘争だけ』を行ってきた。……だが、他方では、知識労働者のなかからもインテリゲンチャのなかからも政治闘争の指導者がそだってくるように、われわれが助けないかぎり、大衆もまた決してこの闘争を行うことを学びとりはしないだろう。そして、このような指導者は、ただわが国の政治生活のすべての側面、さまざまな階級がさまざまな動機で行う抗議や闘争のすべての試みを、系統的、日常的に評価することをもととしてのみ、そだてあげることができるのである……人々がこれらすべてのことについて考える習慣を身につけること、動揺や積極的闘争のありとあらゆるひらめきを総括し、一般化する……『生きた政治活動』は専ら生きた政治的扇動からはじめる以外にはなく、(それは)頻繁に規則正しく配布される全国的政治新聞なしには不可能である」(p238~239)

 このあとに、全国的政治新聞の重要な役割を「導きの糸」(*) を例に述べている

 * 導きの糸:建築技法において「導きの糸」に該当する専門用語は「水糸」と呼ばれている。レンガやブロックを積んだり、一定の高さにセメントを打つ場合に、全体の水平を確保するためには水糸はなくてはならないものである。

 「つねにあらゆる抗議やあらゆる燃えあがりを支持する用意のある革命的組織をたゆむことなく発展させ、ふかめ、拡大することができるような、そういう導きの糸」となるものが、全国的政治新聞だとして次のように解説している。

 「石工たちが、まったく前例のない大建築物のための石材をいろいろの場所に積むときに、一本の糸を引いて石を積む正しい場所を見いだすたよりにし、それによって共同作業の最終の目標を示し、こうして石工たちが、一つひとつの石材ばかりか、一つひとつの石片までも使って、まえに積まれた石とあとから積まれる石とにつなぎ合わせ、その全部が合わさって仕上がりの線をつくりあげてゆくことができるようにする」のは『紙上の』《新聞の》仕事ではないのか。そして「われわれには石もあり石工もいるが、まさに全員に見え、全員がつかむことのできる糸が欠けている」(p239)と指摘している。

 →石工とは職業革命家、あるいは指導者であり、前例のない大建築物とはツァー専制の打倒、あるいはプロレタリア革命、石材とは地方にばらばらに存在する組織、そして石を積む作業は政治的宣伝・扇動とそこでつくられる運動と考えてよいだろう。

 つまり、単一の全国組織が革命という前例のない事業を達成するために、全国の地方組織、サークルから一斉に闘いを開始しようとする場合、それぞれの末端組織は、各々違った勢力、特徴、歴史的条件に則して作業に取りかかるわけである。

 それぞれの持ち場を担当するグループは、それぞれの方法、力量を考えて作業を進めるが、最終的には水糸に届くように調整し、全体を一つの構造物として一体化させるのである。そのためには石工は、今現在積まれている石の位置から水糸に達するまでの空間(容積)を埋める、石の大きさや形、数量、その置き方等々を適切に判断する能力が問われるのである。

 レーニンは、それぞれ別々の地方、組織、グループが、国内的・国際的、政治的・経済的な諸問題を大衆に向かって宣伝・扇動する場合、それらの事柄の捉え方、認識、指針の与え方において理論的水準の一致、同質性が必要だということを言っているのである。

 そうした能力を作り出すために宣伝・扇動の手本となって、あらゆる政治的事象に対してどのように評価・反応すべきかを指し示し、全組織の指導者が同質の政治的判断能力=理論的同質性をわがものとするには、規則正しく発行される全国的政治新聞しかないと述べているのだ。

 ところが今日、革命党を自認する党派の中に全国の地方組織・産別組織に対し「一斉に同じ大きさの石を積み上げよ」と指示することが、あたかも組織の統一性を確保することと勘違いするものが現れている。どのような組織でも、論理性を軽視し、あるいは排除し、実践的目標を絶対的規範に高めてしまったときからカルトへの変質が始まるのである。

 

 b) 単一の組織の実際的な結びつきをつくりだすこと

 次にレーニンは、全国的政治新聞が「集団的組織者である」ことの意味を「建築中の建物の足場」にたとえ、次のように解説している。

 「それは建築の輪郭をしるし、各建築工のあいだの連絡を容易にし、彼らが分業を行ない、組織的な労働によってなしとげられた共同の成果を見渡すのを助けるようなものである。」(p241)

 つまり、「集団的組織者」とは単一の全国的組織の実態的結合を形成していく役割である。ここでの「集団的」というのは、分散状態にある全国の党派、潮流、グループやサークルを指している。これらの諸集団を単一の革命党へと実態的に結合するための全国的政治新聞ということである。 

 「…地方機関紙によっては、専制に対する総攻撃のため、統一闘争の指導のために、すべての革命的勢力を『集合し、組織する』ことはできないだろう」(p244)

  「人々は細分状態に締め付けられて、広い世界ではどんなことが起こっているのか、だれに学んだらよいのか、どうすれば経験を身につけられるか、広範な活動をやりたいという願望をどうして満足させたらよいのか、分からずにいるからである。このような実際の結びつきをつくりだす仕事は、共同の新聞に基づいてはじめて開始することができる」(p247)

「われわれの運動の欠陥は、思想上の点でも、実践上、組織上の点でも、なによりもその細分性にあり、圧倒的多数の社会民主主義者が純然たる地方約活動にほとんどまったく没頭しきっており、この地方的活動が彼らの視界をも、彼らの活動の規模をも、彼らの秘密活動の熟練と訓練をも、せばめているということにある」(「なにから始めるべきか」)

 ここで、建築物の足場とは、革命家の文書の配布や連絡網などの実際的結合の例として出されているのだということ。したがって、より核心的には受任者網を指しているという理解が成り立つ。レーニンは『なにから始めるべきか』や『一同志にあたえる手紙』の中で、受任者網建設という問題意識を非常に強くうち出している。

  基幹要員=カードル形成と受任者網の建設、これを定期的に発行される全国的政治新聞の規則的配布(その配布網=受任者網)を通して建設する、これこそが全国の革命的組織を糾合し、統一した政治的組織と戦闘組織を同時的に形成することなのだと述べているのである。

3) われわれにはどのような型の組織が必要か

 c)全国的政治新聞による柔軟性の確保

 「柔軟性の確保」ということの意味については、次の3点にまとめることができる。

①「革命を見落とす恐れが最も少ない」(P257)ということ。なぜなら「その綱領も、戦術も、組織活動も、一切のものの重点を全人民的な政治扇動」(p257)においており、停滞の時期にも、また燃え上がりの時期においても、常に大衆の動向を正確に把握するとともに、党の方針を大衆の反応によって検証することができる。

② いかなる時期にあっても「行うことができ、また行うことが必要であるような活動」、つまり「全ロシアにわたって、統一的で、生活のいっさいの側面を解明する、もっとも広範な大衆を対象とした政治的扇動の活動」(p259)が、階級闘争の爆発の時期であっても、逆に完全な沈滞の時期であっても必要不可欠なのだということ。

③ あらゆる事態に対応できるあらかじめの準備をもった組織ということ。これはすでに述べられているように職業革命家を中心にした秘密活動の訓練ということでもあるが、ここでは全国的政治新聞の事業を通して、その配布・連絡・大衆の動向の掌握、さらには蜂起の準備にいたるまでのすべてを秘密裏に準備することができるという意味である。

 

 「われわれの『計画としての戦術』は、今すぐ突撃を呼びかけることを拒否して・・常備軍を集合し、組織し、動員することに全力をそそぐように要求すること」(p253)

なぜなのか?「民衆がわれわれのものになっていない」(p255)からである。

 いや、民衆の闘いは沸騰点に向かっているにもかかわらず、党がこの情勢に対応する体制と準備に立ち遅れているために、職業革命家の組織である常備軍が民衆の先頭に立つことができない。これは、民衆の自然発生性にまかせるということに他ならない。  「民衆の前に、その先頭にたつ」とは「民衆の自然力的な破壊力と革命家の組織の意識的な破壊力とを近づけ、一体に融合させる」(p255)能力をもった組織を建設すること。

 それは「真実の突撃が始まるその瞬間まで遅すぎるということはない」(p254)

(→その直前になってからやっても間に合うと言っているわけではない)

「革命が何よりも第一にわれわれに要求するのは、扇動における熟達と、あらゆる抗議を支持する(社会民主主義的なやり方で支持する)能力、自然発生的運動に方向を与え、それを味方の誤りからも敵の罠からも守る能力であろう!」(p258) 

 こうした能力をもった組織、すなわち大衆の自然発生的な力を計画的、系統的にまとめあげ、配置して決戦に役立つ兵力をも組織できるのは全国的政治新聞の事業以外ないということなのだ。

 では、最後に革命党建設にとって中央委員会の組織化という問題は避けられない課題であるが、それについては全国的政治新聞の役割との関係で、レーニンはどのように捉えていたのであろうか。

「現在のように、完全な分散の支配している時期には、中央委員会を選出するだけでは統合の問題をかいけつできないばかりか、もし、迅速で完全な一斉検挙があらたにやってくるなら・・党の創設という偉大な思想の信用を失墜させる恐れがある。だから、必要なことは、復刊された共同の機関紙に対する支持を、すべての委員会とその他すべての組織に要請することから始めることであり、そういう機関紙は現実にすべての委員会の間に事実上の結びつきを打ちたて、現実に運動全体の指導者グループを訓練してゆくであろう。ところで、もろもろの委員会によってつくりだされたそういうグループを・・中央委員会に変えることは、それらの委員会と党にとって全くたやすいことであろう」(p233)

 この章の最後はレーニンの次の言葉で結ばれている。

 「私はやはり、主張する。そのような事実的結びつきをつくり出す仕事は、ただ共同の新聞にもとづいてのみ開始することができ、共同の新聞は、もっとも多種多様な活動の成果を総括し、そうすることによって人々を駆りたてて、すべての道がローマに通じるといわれるように、みな革命に通じている数多くの道々のすべてにそって倦むことなく前進させる、唯一の規則的な全国的事業だからである」

                                      (了)

 自分なりに学習したものをまとめたもので、不十分な点や理解の誤りもあるかもしれません。御意見や批判は歓迎です

 

レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート(第四回)

【四】経済主義者の手工業性と革命家の組織

第四章は、ロシア社会民主労働党の党組織はどうあるべきかについて述べている。

「およそ、どのような団体でも、その組織の性格は、この団体の活動の内容によっておのずから、また不可避的に決まるものである」

経済主義者たちの主張は政治活動の狭さのみならず、組織活動の狭さにも表れる。レーニンは経済主義と組織活動における「手工業性」の不可分の結びつきを明らかにすることによって、全国的に統合された民主集中的な党組織の建設を呼びかけている。

 

冒頭で革命家の組織の性格について二つの規定が与えられている。

①「政治的反対や抗議や憤激のありとあらゆるあらわれを結びつけて、一つの総反攻にする全国的で中央集権的な組織」

②「職業革命家からなりたち、全人民の真の政治的指導者たちに率いられる組織」

前者は政治的な任務との関係を、後者はその組織の内部的な性格、構成を示すものといえる。そして、『ラボーチェエ・デーロ』は「雇い主と政府とにたいする経済闘争」のためには、こうした組織などは全然必要ないと述べている、という形で経済主義者を批判している。

1)手工業性とはなにか?

 レーニンはここで、1890年代ロシアの革命的インテリゲンチャが、労働者と連絡をつけサークルを組織していった時代を描写している。青年達は全く無防備な形で、しかし精力的献身的に労働者大衆の中に入り込み組織化を展開した。彼らは労働者や社会の教養ある人々と一定の結びつきをつくり出し、宣伝や扇動に移り、他のサークルや革命家グループと連絡をとりあい、リーフレットや地方新聞を発行し、デモンストレーションに打って出ようとする。すると、たちまち「根こそぎの一斉検挙」がやってきて組織と指導者を奪われてしまうのである。  こうしたサークル的闘いは「根棒で武装した百姓の群れが近代軍隊に立ち向って出征するのにたとえないわけにはいかない。しかも驚嘆するほかないのは、戦闘員が…まったく訓練を欠いていたにもかかわらず、運動がひろがり、成長し、勝利を獲得していった、その生活力である」(P151)。これは、歴史的には避けられないことで、はじめのうちは正当でさえあるが「近代軍隊をうち倒すには、それなりの強固な革命組織の建設に着手しなくてはならない」。 

2)手工業性と経済主義

「手工業性」は、革命運動の成長につきまとう、早期に克服されるべき「病気」であった。ところが、経済主義者はその克服に反対し、これを理論的にも正当化しようとしたのである。

レーニンが述べている「手工業性」とは以下の4点にまとめることができる。

①訓練の不足

②全体としての革命的活動の範囲が狭隘であること

③そして、こうした狭隘な活動によっては、すぐれた革命家の組織などつくれるはずもないということを理解できないこと

④この狭隘さを正当化して、特別の理論にまつりあげようとしていること――この点でも自然発生性のまえに拝跪している。

→(当時のロシアにおける)危機の根本原因は大衆の自然発生的高揚にたいする指導者の立ちおくれである。しかし経済主義者は大衆運動の高揚をもって、指導者が革命的積極性を発揮する必要性を免除されたかのように勘違いしてしまうのである。彼らには労働者大衆の政治意識を高めることも、全面的政治暴露の意義も何一つ理解できないだけでなく、その必要性すら感じられないのである。

→こうした「手工業性」の克服のためには、計画性と統一性のある、理論的にも政治的にも組織的にも訓練された「確固さと継承性を保障できるような革命家の組織」が必要であり、それは政治警察との闘争を抜きには語ることができない。そのためには訓練された職業革命家の組織がどうしても必要になるのであるが、これに反対し、拒絶し、それを正当化するために特別の「理論」まで作り上げてしまうところに「経済主義」の特徴と結びつきが生まれるのである。

3)労働者の組織と革命家の組織

社会民主党の政治闘争は、経済闘争よりずっと広範で複雑である。したがって、これに対応する社会民主党の組織もまた、経済闘争のための労働者の組織とは別のものである。党は労働者階級の利益を代表はするが、理論においても、活動範囲においても、また組織それ自体においても独自性をもっている

②この、労働組合的組織と政治的組織のちがいは、もともと政治的自由の国においては、自明であり、明瞭なことである。

→「ところが、ロシアでは、一見したところ専制の圧制が社会民主主義的組織と労働者団体のあいだのあらゆる差異を消しさっているかのようである。なぜなら、あらゆる労働者団体、サークルは禁止されて」いたからだ。(P167)

経済闘争そのものが政治的性格をおび、社会民主党内の経済主義者が「政治闘争という概念を『雇い主と政府に対する経済闘争』という概念と一致するものと考え」ていたため、「彼が『革命家の組織』という概念を多かれ少なかれ『労働者の組織』という概念と一致するものと考え」るだろうことは当然であった。このような「意見の相違が明らかになるやいなや、もう総じてどのような原則上の問題についても『経済主義者』と意見の一致」をみることはできなかった。(P165)

 

【労働者の組織と革命家の組織との区別と関連

①経済闘争のための労働者の組織

一般的に言って、労働組合は労働者の直接的な経済的利益を守る階級的組織である。

・職業的組織であること

   ・できるだけ広範なメンバーから構成されていること

   ・できるだけ秘密でないものでなければならない。

②職業革命家の組織、あるいは革命家の組織

・ 第一に、また主として、革命的活動を職業とする人々をふくまなければならない。

「だから私は、社会民主主義的革命家を念頭において、革命家の組織と言っている」…レーニンが革命家の組織、あるいは職業革命家という場合、これは社会民主党の党員一般について言っているのではなく、その中心となり革命のために訓練された人々によって指導される中核組織と理解すべきなのだろう。

 権力の弾圧から組織をまもりつつ、広範な人民を党のもとに結集させるということを考えるならば、高度の秘密性が要求される任務をすべての党員に等しく与えることは不可能であり、危険なことである。これはレーニン党組織論の特異性でもあり、経済主義者が「陰謀組織」といって批判した根拠でもあろう。にもかかわらず、ボリシェヴィキが他方では、広範な労働者大衆と結びつき、多くの労働者党員・革命家を結集していたのは事実である。

 つけ加えれば、本質的に非合法である革命運動において職業的革命家が中心となり党を指導し、階級闘争の先頭にたつべきだということは、今日においても、またどの国においても何ら変わりはない。(「職業革命家」の意味については後に詳しく検討する)

・このような組織の成員に共通な標識(共産主義者マルクス主義者?)をまえにしては、労働者とインテリゲンチャのあいだのあらゆる差異はまったく消え去れねばならず、まして両者の個々の職業の差異については言うまでもない。

・この組織は、必然的に、あまり広範なものであってはならず、またできるだけ秘密なものでなければならない。

③党と労働者組織との関係

・ いろいろな国で、それぞれの歴史的、法律的その他の条件に合わせて変化するが、できるだけ緊密であり、複雑でないもの

労働組合の組織と社会民主党の組織とが一致するというようなことは自由な国では問題にならない

つまり,レーニンは,マルクスの中では漠然とていた「政治運動」を厳密に区分けし,そのことによって労働組合運動と社会主義運動との関係についての最大の難問を正しく提起したのである。

《→それを自由な国において「党と労働組合」の関係を漠然としたものに引き戻し、混同させようというグループさえ現れている、なんということだ!》

・革命的組織は労働者の組織にあらゆる援助をあたえ、社会民主主義的労働者は労働者の組織に協力して、その中で積極的に活動しなければならない。だが、社会民主主義者だけが「職業」組合の一員となることができるような条件を要求することは、決してわれわれの利益にならない。それは大衆にたいするわれわれの影響範囲をせばめることになるからだ。

・労働者の組織が広範であればあるほど、経済闘争のために役立つだけでなく、政治的扇動と革命的組織のために極めて重要な補助者としての役割を果たす。

 

専制下のロシアで労働者の組織をどう作るのか

成員が広範なことが必要なのに、また厳格な秘密活動も必要だというこの矛盾をどうやって調和させたらよいか? 職業組合をできるだけ秘密でないようにするにはどうしたらよいか?」

(前半部分は他の国においても言える普遍的な課題を含んでおり、後半は特殊ロシア的歴史的課題と言うことができる。)

そして、このロシア的特殊性において二つの道をあげているのだ。すなわち、

①職業組合を合法化する道

②秘密活動がほとんどゼロになってしまうぐらい「ルーズな」つかみどころのない組織にしてしまうこと

・職業組合を合法化する道……この決定権はツアーが握っている。そして、非社会主義的、非政治的な労働者団体の合法化はすでに始まっている。また、合法化運動はブルジョア民主主義者、挑発者らが旗を振り、労働者や自由主義インテリゲンチャにも追随者がでており、この分野を社会民主主義者が無視するわけにはいかない。

 では何をするのか。ここで、われわれが行うべきことは、この運動内の「毒麦」と闘い、「小麦」を刈り入れ、またその「刈り入れ人」たちを養成すること。

 「毒麦」とは、労働者をわなにかけるために権力が送り込んだ挑発者や、階級調停的・協調的思想を吹き込む輩を暴露すること。「小麦」とは広範な、政治的意識の低い労働者層の意識を引き上げ、政治問題に注意を向けさせること。それを労働者組織の中でおこない、労働者革命家を養成することである。

 「今日われわれのなすべきことは、室内の植木鉢のなかで小麦をそだてることではない。われわれは毒麦を抜きとり、それによって小麦の種子が発芽できるように土壌をきよめ」それができる「刈り入れ人」を養成しなければならない。(P171)

 

 「だから、合法化によってはわれわれは、なるべく秘密でない、できるだけ広範な労働組合組織をつくりだす問題を解決できないのである。…しかし、部分的な可能性でもひらいてくれるなら、われわれは大喜びするだろう」「…あとに残るのは秘密の労働組合的組織《→つまり②の「ルーズな労働組合的組織》だけである」(P172)

 

・レーニンは労働者の組織と革命家の組織(つまり労働組合と党)を区別し、非合法という条件のもとで、まず革命家の組織から着手すべきこと、革命家の組織がしっかりとしたものとしてつくりあげられさえすれば、《むしろ》労働組合は「ルーズ」な形のほうがその機能を果たすであろうと述べている。

「もしわれわれが強固な革命家の組織をしっかりうちたてることからはじめるなら、運動全体に確固さを保障し、社会民主主義的な目的をも、本来の組合主義的な目的をも、両方とも実現することができるであろう。もしこれに反してわれわれが、大衆に最も『近づきやすい』と称する(そのじつ、憲兵にとってもっとも近づきやすく、そして革命家を警察にもっとも近づきやすくするところの)広範な労働者組織からはじめるなら、手工業性を脱却することもできないで、我々自身がちりちりばらばらになり、いつも壊滅状態になる……」。

 

→今日、自由主義諸国のほとんどの国で労働組合の権利が認められている。にもかかわらず、労働組合社会主義的綱領を掲げたのは、コミンテルンの指導下でつくられた赤色労働組合以外にはほとんどなかった。しかも、この政治組織と労働組合を一体化させようという誤った試みは当然のこととして失敗に終わった。そして今日、ほとんどの労働組合は例外なく「労働条件と労働者の社会的地位の向上」という、それ自体ブルジョア民主主義の枠内での活動を目的として掲げている。

レーニンは労働組合の合法化が切り開く可能性について否定しなかったし、ブルジョア民主主義的権利をも積極的に利用するべきであると主張している。

しかし、同時に、労働組合の合法化にいささかの幻想も抱かなかった。確かに、ロシアの圧制という特殊歴史的条件のもとではあったが、それでは合法化された国々において社会主義運動が前進しただろうか。それどころか、経済主義と労働組合主義が革命運動の足かせとなり、妨害物にさえなってこなかっただろうか

レーニンは次のように述べ、早くから合法化されたイギリスの労働組合が「経済主義」「労働組合主義」に陥ったおかげで、マルクスの当初の期待にも反して、労働者階級を革命的政治闘争からそらしてしまったこと批判しつつ、革命のための政治闘争と経済主義的政治闘争を区別することの必要性を述べているのである。

「徹底的な学者である(そして『徹底的な』日和見主義者である)ウェッブ夫妻の著作〔『イギリス労働組合の理論と実践』〕を一読すれば、イギリスの労働組合がすでにとっくの昔から『経済闘争そのものに政治性をあたえる』任務を自覚して、それを実現しており、とつくの昔からストライキの自由のため、協同組合運動や労働組合運動にたいするありとあらゆる法律上の障害をとりのぞくため、婦人や児童の保護の法律を発布させるため、衛生法や工場法の制定によって労働条件を改善する、等々のためにたたかっていることがわかるであろう」

このことを考えるなら、ここで述べられている党と労働組合の関係が特殊非合法時代のロシアにおける戦術であり、労働組合が合法化されている現代のわれわれにとっては考察の対象ではない、と考えるのは誤りだろう。

初期のレーニンには労働組合論がなかった、労働組合を重視したのはずっと後からだったなどと、レーニンの労働組合論の変遷を批判する論もあるが、労働者組織の中に党の影響力が広く深く浸透し、実質的に労働組合の意思を代表するようになれば、おのずと労働組合組織と党との緊密さが増すのは当然であり、それでも労働組合と革命党のあいだに一線を画し、労働組合を固定した概念に閉じ込めようとすることのほうが非現実的であり、反動的である。つまり「緊密な結びつき」は、労働者のなかでの革命党の影響力の程度に応じて変化するのであり、だからこそ、革命家の組織をうちたてることから始めなければならないのである。

 

4)組織活動の規模

経済主義者は「社会は革命的活動に適した人物をきわめて少数しかうみださない」「工場で十一時間半も働く労働者は扇動家としての役割しか果たしえない」と言って、せまい経済闘争の立場から、革命家は工場の労働者の中からしか生みだされないと考え、また労働者が職業革命家へと飛躍することを否定するから革命的人材を見つけることができないのだ。

「人がいない、しかも人はたくさんいる。…人がたくさんいるというのは、労働者階級ばかりではなく、ますます多種多様な社会層が、不満を持つ人々、抗議したいと願っている人々、絶対主義との闘争に応分の援助をあたえる用意のある人々を年ごとにますます数多く生みだしてくる」という意味であり、「人がいないというのは、指導者がいず、政治的首領がいず、また、どんなにわずかな勢力でもあらゆる勢力に働く場をあたえるような、広範であると同時に統一ある、整然たる活動を組織することのできる、才能ある組織者がいない」ということだ。(p189)

 

つまり、行動に適した革命的勢力の不足という問題は、人材がいないのではなく、彼らを活用する才能を持った指導者がいないということなのだとレーニンは指摘している。

そして、その結果「革命的組織の成長と発展は、…労働運動の成長に立ち遅れているだけではなく、さらに人民のすべての層のあいだの一般民主主義的運動の成長にも立ち遅れている」

そして、専門化と集中化の問題、および労働者革命家を育てることを提起している。

<専門化と集中化>について(p190-191)。

① 「政治的扇動家だけでなく、社会民主主義的組織者も『住民のすべての階級のなかにはいって』いかなければならない」(→単に扇動の対象にするだけでなく)

② 「組織活動の幾千のこまごまとした機能を、種々さまざまな階級に属する個々の人たちに分担させること(――専門化が足りないことは、われわれの技術的欠陥だ)。

  共同事業の個々の「作業」が細かくなればなるほど、この作業を果たす能力のある(そして、大多数の場合に職業革命家になるにはまったく適していない)人物をますます多く発見できるし」、警察がこれらの局部的な働き手を一網打尽にすることは不可能である。

③ 運動の機能を細分しながらも、運動の全体性、計画性を保障し、この運動そのものは細分させず、さらにこの機能を担う人々が「自分の仕事の必要性と意義とに対する信念―そういう信念がなければ彼らは決して仕事をしないだろう―」をいだくことが必要である。そのためにも「試練を経た革命家の強固な組織」によってしっかりと秘密が守られること、それが党の力に対する信念を高める。

④    運動に引き寄せられる「外部の」分子によって、運動が軌道からそれされる危険性を避けるためには確固たる理論的基礎にたって機関紙を駆使する組織が必要である。「一言で言えば専門化は必然的に集中化を前提し、また逆に専門化によって集中化が絶対の必要になる。」

→そして、このような細分化=専門化と集中化が組織できる党であるならば、こういう(職業革命家に対する)補助者をあらいざらい矢おもてに晒したり、むやみに非合法活動の中核に引き入れたりせず、逆に彼らを特に大切にし、また学生の場合には、短期の革命家としてよりも役人になって、補助者としてより多く党に貢献できる者も数多くいることを念頭において専門化を養成するだろう。

(運動は)すでに、サークル的活動では間にあわないほどに成長しているために、「サークル的活動は、こんにちの活動にとっては狭すぎるものとなり、法外な力の浪費をもたらしている。一つの党に融合することだけが、分業と力の節約との原則を系統的に実行する可能性をあたえるであろう。そして、犠牲者の数をへらし、専制政府の圧制とその必死の迫害とに抗して多少とも堅固な防砦をつくりだすためには、これを達成しなければならないのである。」(レーニン全集第4巻「緊要な問題」)

 

 <労働者革命家を育てること>

① 党活動の面で(*)インテリゲンチャ革命家と水準を同じくする労働者革命家の養成をたすけることが、われわれの第一の、もっとも緊急な義務である。だから、「経済主義者」が、労働者への政治的扇動を「中程度の労働者」にあわせると称して否定し、労働者が革命家に進む道を断ち切っていることはきわめて反動的なのである。

 *労働者革命家とインテリゲンチャは職業・知識その他の面において、おなじ水準であるとは限らないし、それを求める必要もない。だが党活動の面においてはいかなる階級、階層の出身であれ労働者革命家とまったく対等である。

→「経済主義者」は職場の中で、ときに資本との関係では戦闘的に闘いながら、労働者に向かっては政治的扇動をせず、予め自分を職業革命家から切断する点でも日和見主義なのである。

② さらに、労働者革命家も、自分の革命家としての仕事について完全な修業をつむためには、そこにとどまることなく、やはり職業革命家になることが必要である。

 また指導者は、すべての能力のすぐれた労働者革命家をたすけて、職業的な扇動家、組織者、宣伝家、配布者などにさせるという任務を自覚的に行わなければならない。

 じっさい、運動が高揚すればするほど、労働者大衆は、才能ある扇動家だけではなく、才能ある組織者や宣伝家、実践的能力をもった革命家が生み出されてくる。

 彼が、労働運動のなかで培った経験や手腕、広範な人間関係をも利用し、ひとつの職場からひとつの地方、さらに全国へと仕事の場を与え、そのために、いっそう広い見識と専門的訓練を積む機会を組織の力で保障すること。

 このような労働者革命家をどれだけつくれるかが、この事業の規模を決定づけるのである。

 →「経済主義者」は、労働者革命家となるべき有能な労働者を、狭い労働組合活動家の位置に押しとどめることで、ますます活動の規模を狭いものにしているのである。

 では、どのようにして労働者革命家をつくるのか。レーニンはドイツの例を出して次のように述べている。

 「有能な労働者と見れば、すぐさまその能力を十分に発揮し、十分にはたらかせることのできるような条件のもとに、彼をおこうとつとめる。彼は職業的扇動家とされる。その活動舞台をひろげて、ひとつの工場からその職業全体へ、一つの地方から国全体へとおよぼしてゆくよう励まされる。彼は自分の職業についての経験と手腕を獲得し、その視野と知識をひろげる。他の地方や他の党のすぐれた政治的指導者を身近に観察する」。自分でも同じ水準に到達しようとつとめ、敵の頑強な隊列にたいして闘争をおこなうことのできる職業的修練に自分を結び付けようとする。(p197)

 「われわれが、労働者にも『インテリゲンチャ』にも共通の、この職業革命家としての修業の道へ労働者を『駆りたてる』ことが少なすぎ、労働者大衆や『中程度の労働者』にはなにが『とりつきやすい』かなどという愚論によって労働者を引きもどしている場合がおおすぎる……」(こうしたことを含めて、いろいろな点で)「組織活動の規模が狭いことは、われわれの理論やわれわれの政治的任務がせばめられていることと不可分の関係があることは、疑いをいれない。」それは、自然発生性への拝跪であり、大衆から一歩でも離れてしまうことに対する恐怖があるからだ。(p197)

 

(以下第五回に続く)

相模原障がい者殺傷事件 未だに見解を述べない安倍政権

相模原市障がい者施設で起きた殺傷事件について、安倍晋三首相は26日の党役員会で、「多数の方が亡くなり、重軽傷を負われた。真相を究明しなければならず、政府として全力を挙げたい」と述べた。

また、菅義偉官房長官は記者会見で、事件に関し「現在のところ、警察から事件の被疑者とイスラム過激派との関連を示す情報は把握していない」と語った。

言うにこと欠いて、重度障がい者が選別的に襲撃された事への憤りを示すのではなく、「イスラム過激派のテロではなさそうだ」ということでホッとしている心情を吐露したのだ。

  

28日に政府はこの事件をうけて関係閣僚会議を開いた。

安倍晋三首相は会議で「事件を徹底的に究明し、再発防止、安全確保に全力を尽くしていかなければならない」と強調。その上で、「施設の安全確保の強化、措置入院後のフォローアップなど必要な対策を早急に検討し、できることから速やかに実行に移してほしい」と指示した。

安倍首相からは、いずれも多くの人命が失われた事への一般的な追悼だけしか伝わってこない。

27日に犯行現場となった「津久井やまゆり園」を視察した塩崎恭久厚労相措置入院に関し、「警察との連携を視野に、行政ややまゆり園との連携が適切だったか検証していく。入院の原因は大麻だったということで、大麻(中毒)へのフォローアップを十分に考えていかなくてはいけない」と述べ、措置入院のあり方を問題にしたうえで、植松容疑者の犯行があたかも薬物によるものであるかのよう言っている。

ここには2つの問題がある。

第一は、植松容疑者をして障がい者の殺害を実行に至らしめた、その価値観について一切言及しようとしないことである。事前に衆議院議長公邸を訪れ、犯行計画書を届けた人間には、それを正当化するべき積極的な理由=価値観が存在したことは明らかだ。

措置入院」をさせれば考えを変え、思い止まるとでも思ったのか。

また、退院の判断が甘かったとか言っているが、そもそも彼自身の考え方が自傷他傷の危険性を持っていたとしても、予防拘禁としての「措置入院」が医療行為ではないこと、したがって精神科医には退院の時期の判断など出来るはずもないことだった。

その判断ができるとすれば、それは警察権力だけだろう。

したがって第二には、「措置入院の在り方」の検討とは措置入院を警察主導で行うことを意味し、やがては危険な思想の持ち主(政府に都合の悪い人物)=精神異常者として「公共への危険を排除する」という名目で「措置入院」(実質的な予防拘禁)させることが当たり前といった世論誘導に道を開こうとしているのだ。

 

この事件は、重度障がい者を社会的に抹殺することが国家のためだという、とんでもない優生学的思考を根拠として計画的に行われた犯行であり、このような考え方を放置すればヘイトクライム、すなわち白色テロに道を開くものである(すでにそのような性格を有している)。仮に、植村被告が薬物使用者であり、妄想に囚われ、自分の計画に酔っていた部分があったにせよ、決して一般の通り魔殺人や精神異常者、あるいは社会的怨恨や不満を晴らすためにやったというような事件ではない。

であればこそ「障がい者を排除すること=正義」として正当化するような価値観とそれを生み出す社会的背景・土壌こそが問題にされなければならない。

卑しくも、安倍晋三が一国の首相であるならば、「イスラム国」のテロに対して宣言したように「いかなるテロにも屈せず」ヘイトクライムから障がい者を守るために政府は万全の措置をとると言うべきではないのか。

各国の首脳がただちにメッセージを発しているときに、公式な政府見解もコメントも出していないのは、この事件の本質を見ようとしないか敢えて隠そうとしているからだとしか思えない。

 

このような価値観を社会に蔓延させたのは安倍政権とその取り巻きによる排外主義、差別主義、国家主義イデオロギーの拡散である。

事実、この事件の後には安倍政権の応援団とおぼしき者たちが、ネット上で植松容疑者に同調するような書き込みをしているが、彼らの多くはこの間ヘイトな発言を繰り返してきた人たちである。

 

★ネットで広がる「植松容疑者の主張はわかる」の声

http://lite-ra.com/2016/07/post-2459.html

自民党ネットサポーターズクラブ会員を称する者のブログが、事件後「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」なるタイトルの文章を公開。

 

新しい歴史教科書をつくる会藤岡信勝さんが相模原殺傷事件でも人種差別デマ「植松聖容疑者は在日」

  http://matome.naver.jp/odai/2146963651880379101

 新都知事・小池百合子を応援した「つくる会」の藤岡は、あろう事か自分たちが煽ってきた排外主義の恐ろしい結末におののいたのか。障がい者差別抹殺に手を染めたのが在日であるかのような許し難いデマを流すことで自らの責任を逃れようとしている。

 

★安倍自民党政権ヘイトスピーチ社会を作っている。・・・

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/e5999b735d9c65ca0561f0cae7318e2a

 

精神障害者ら7.9万人、受給減額・停止も 年金新指針で ―医師団体推計

                                                                 2015/12/12 21:43 日経新聞

 

安倍政権下における差別的、排外主義的イデオロギーの拡大、弱者切捨ての政策は、本質的には自民党日本会議の人権に対する考え方、憲法観にかかわる問題である。

本来、憲法上すべての人が等しく保障されるべき基本的人権について、彼らは国家=公益の下に置き、国家的利益に貢献できないものは排除し切り捨ててもかまわない、という公益論を前面に押し出そうとしている(この考え方は自民党改憲草案の基礎になっているものでもある)。

従って、安倍政権が戦争と改憲への衝動を強め、その前提として戦後憲法の下で培われた国民の価値観を作り変えるために、右翼的市民運動、SNS、メディア戦略を駆使して、排外主義、差別主義、社会的弱者排撃のイデオロギーを振りまいているのである。

こうした攻撃は、新自由主義の下での格差の拡大と民営化・規制緩和によって、本来社会全体の力で護られなければならない託児、老人介護、障がい者施設、医療現場等々に極限的な矛盾を集中させている。とりわけ、そこで働く労働者には低賃金と劣悪な労働条件、慢性的な人員不足。更にいつ失業するかも分からない不安が襲い掛かっている。そうしたストレスに追い詰められ、他人を蹴落とし、貶め、差別することで自分の居場所を見つけようとする者が現れたとき、自己を正当化するための論理が排外主義的、ヘイト的なイデオロギーに他ならないのである。

レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート (第三回)

【三】組合主義的政治と社会民主主義的政治

『ラボーチェエ・デーロ』第10号の論文でマルトィノフは「……『イスクラ』は、……事実上、わが国の諸制度、主として政治上の制度をばくろする革命的反政府派の機関紙である。……他方われわれは、プロレタリア闘争と緊密な有機的結びつきをたもって、労働者の事業のため活動しているし、また将来も活動するであろう」といって両者の意見の違いを定式化した。

 

冒頭、レーニンはこの文章を引用し、この定式化こそ、「『ラボーチェエ・デーロ』との意見の相違を包括しているだけではけっしてなく、政治闘争の問題についてのわれわれと『経済主義者』とのあいだの意見の相違の全体をおしなべて包括している」「『経済主義者』は絶対的に『政治』を否定するのではなく、社会民主主義的な政治の見方から組合主義的な政治の見方へ、たえずまよいこんでいくにすぎない」(84~85P)と指摘している。

→この定式化はこの章で何度も引用されるので、あらかじめ、次の点を押さえておきたい。

 ここで「経済主義者」が言っている<革命的反政府派>とは、学生やゼムストヴォ議員などの「反政府諸層」を指導する「階級的見地をはずれ」た人々のことであり、それに比して自分たちは「労働者との結びつき」を保ち「労働者の事業のために活動して」いるのだから自分たちこそが、主流派(階級的)なのだと言いたいということだ。

 こうした経済主義が主流となっている現状に対して、社会民主主義者の政治的任務は何なのか、そしてプロレタリアートの階級性とは一体何なのか、レーニンはこの章でそれを提起しているのである。

 

1)政治的扇動、および経済主義者がそれをせばめたこと

当時のロシアでは、労働者の経済闘争が広範にひろまり、経済的暴露が「もっともおくれた労働者のあいだにさえ、『活字にしたい』という真の熱情が、略奪と抑圧のうえに築かれた現代の全社会制度との戦争の、この萌芽的な形態への高貴な熱情」を呼び起こしていた。

「一言でいえば、経済的(工場内の状態の)暴露は経済闘争の重要なテコであったし、いまでもそうである」(P86)

それは、「階級意識のめざめの出発点」と言えるものであった。当時のロシア社会民主主義者の圧倒的多数は、もっぱら工場内の状態を暴露するこの仕事にのみ没頭していた。しかし、この仕事は、それ自体ではまだ組合主義的な活動に過ぎない。

「実質上、この暴露は、その当の職業の労働者と彼らの雇主との関係をとらえただけで、それによってなしとげられたのは、労働力の売手が、この『商品』をより有利な条件で売ることを、また純商業取引の基盤のうえで買手とたたかうことを、まなびとったことだけであった」

「こういう暴露は、(革命家の組織がそれを一定のやり方で利用するときには)社会民主主義的活動の端初とも、構成部分ともなることのできるものであったが、しかしまた、『純職業的な』闘争と非社会民主主義的な労働運動とに導くものともなりえた」

「…社会民主主義派は、ひとりその当該の企業家集団にたいしてではなしに現代社会のすべての階級にたいして、組織された政治的暴力としての国家にたいして、労働者階級を代表するのである。これからして明らかなことは、社会民主主義者は、経済闘争にとどまることができないばかりか、経済的暴露の組織が彼らの主要な活動であるような状態を許すこともできないということである。われわれは、労働者階級の政治的教育に、その政治的意織を発達させることに、積極的にとりかからなければならない」(P88)

レーニンはこのように社会民主主義者の任務を明確に定義している。

 

【政治的扇動について】

ロシアの階級闘争に、アジテーションという手法が持ち込まれたのは、1894年であった。この年に、のちのブント創設に関わったア・クレメールという人が執筆し、マルトフが校訂した『煽動について』という小冊子が持ち込まれた。それ以前は、宣伝による社会主義思想の普及ということが社会主義者の中心的活動であった。

当時、ナロードニキがテロルによる専制の打倒を目指していたことに比して、社会主義者によるマルクス主義の宣伝はある種、穏健な活動とみられていたようである。

しかし、宣伝活動という性格(=社会主義理論を全面的、体系的に広めようとする)からして、主に知識人を中心にしたサークル的なものとなり、労働者に接近して思想を広めようという試みは行われたが、ほとんどは無視され、まれに知的な金属労働者のあいだで教養として受け入れられる程度に止まっていたようである。

そうした状況を一変させたのが、この『煽動について』という小冊子の登場でした。

「自分たちの乞食のような生活や途方もなく苦しい労働や、無権利状態について、余すところなく語る新しい種類のリーフレット…」(P85) はこうして作られるようになり、ロシアの革命的インテリゲンチャナロードニキができなかった労働者との結合を初めて実現したのです。 

 彼らは工場内の暴露に熱中し、労働者もこれに応えて通信をよせてきました。

「一言で言えば、経済的暴露(工場内の状態の暴露)は経済闘争の重要なテコであったし、いまでもそうである。そして、労働者の自己防衛を必然的に生みだす資本主義が存在している限り、それは引き続いてこの意義を保つであろう」(P86)

ここで、なされた転換の重要な点は、労働者自身が日々搾取と収奪に苦しむその現場の実態を暴露し、労働者の憤激を組織することが社会主義者の手によって開始されたことである。

経済闘争の分野において画期的成功をもたらし、インテリゲンチャも労働者革命家もきわめてすぐれた手腕を磨き上げたこのアジテーション扇動という手法を政治闘争の分野に全面的に適用しようというのがレーニンの主張であった。

労働者階級が革命をとおして自らを支配階級へと高めるためには、労働者階級の政治的積極性を育てなければならない。これが、一貫したレーニンの考えです。

では、この政治的教育はいったいどういうものでなければならないか?

 レーニンは「労働者階級は専制にたいして敵対的な関係にあるという思想を宣伝するだけ」でも、また「労働者にたいする政治的抑圧を説明するだけ」でも足りない。さらに、「この抑圧の一つ一つの具体的な現れをとらえて扇動することが必要なのだ」「この抑圧は、種々さまざまな社会階級にのしかかっており、職業的といわず、一般市民的といわず、個人的といわず、家庭的といわず、宗教的といわず、学問的、等々といわず、種々さまざまな生活と活動の分野に現れているのだから、専制の全面的な政治的暴露を組織する」ことなしに、社会民主主義者は労働者の政治的意識を発達させるという自分の任務を果たしえないと、暴露・扇動による組織化を経済闘争のみならず、政治闘争にも全面的に適用すべきであると述べている。(P89)

 

これに対して、『ラボーチェエ・デーロ』は「いま社会民主主義者の当面する任務は、どうやって経済闘争そのものにできるだけ政治性をあたえるか、ということである」「経済闘争は、大衆を積極的な政治闘争に、引きいれるために、もっとも広範に適用しうる手段である」等々と一貫して政治的扇動は経済的扇動のあとに従わなければならないという日和見主義的な段階論をとり、あらかじめ政治的扇動の規模をせばめるのである。

 レーニンはこう反論する。「経済闘争が-般に、大衆を政治闘争に引きいれるために『もともと広範に適用しうる手段』であるというのは、正しいであろうか? まったくまちがっている。警察の圧制や専制の乱暴のありとあらゆる現れも、このような『引きいれ』のために『広範に適用しうる』手段である点ですこしもおとるものでなく、けっして経済闘争と関連のある現れだけがそういう手段なのではない」(P90)

「労働者が…日常生活で無権利や専横や暴行に苦しめられる場合の総数のなかでは、まさに職業的闘争で警察の圧制をこうむる場合(の方)がほんの一小部分を占めるにすぎないことは、疑いがない」(P91)

「経済闘争はできるだけ広範に行われなければならないし、それはつねに政治的扇動に利用されなければならない、しかし、経済闘争をもって、大衆を積極的な政治闘争に引きいれるためにもっとも広範に適用しうる手段とみる『必要はまったくない』」(P92)

 

経済闘争とは労働力販売の有利な条件を獲得するため、労働条件と労働者の生活状態を改善するために、労働者が雇い主に対して行う集団的=組織的闘争であり、必然的に職業的闘争である。したがって「経済闘争そのものに政治性をあたえる」ということは、この同じ職業的要求、同じ職業別の労働条件改善の実現を、「立法上、行政上の諸施策」によってかちとるべくつとめることである。これはまさしくすべての労働組合が現にやっており、つねにやってきたことである。結局、彼らはもっぱら経済的な改良だけを(それどころか、もっぱら工場内の状態の改良だけを)問題にする。時として政府から譲歩が得られるとしても、それがもっぱら経済的分野に限られた諸施策であることを知っている。

「経済主義者」はつねに、社会民主主義的政治を組合主義的政治に低めようとする指向性を持っているのである。

 

「革命的社会民主主義派が『経済的』扇動を利用するのは、政府に各種の施策を実施せよという要求を提出するためだけでなく、また(そして第一に)この政府が専制政府であることをやめよ、という要求を提出するためである。そればかりではない。革命的社会民主主義派は、この要求を、たんに経済闘争を基礎として提出するだけではなく、およそあらゆる社会=政治生活の現れを基盤として提出することをも、自分の義務と考えている」

「革命的社会民主主義派は、改良のための闘争を、全体にたいする部分として、自由と社会主義とのための闘争に従属させる」(P96)

 

2)マルトィノフがプレハーノフを深めた話

この節は、次に政治的扇動について本格的に検討する前に、経済主義者が「宣伝と扇動」の差異をどのように理解し、その活動がどのような性格をもっているのかについて前提的に確認している部分である。

→まず、プレハーノフの定式(それまでの国際労働運動のすべての指導者もこの立場だった)

「宣伝家はひとりまたは数人の人間に多くの思想をあたえるが、扇動家は、ただ一つの、または数個の思想をあたえるにすぎない。そのかわりに、扇動家はそれらを多数の人々にあたえる」

→ マルトィノフの定式

「宣伝という言葉を、個々の人間にとって理解しやすい形態でなされるか広範な大衆にとって理解しやすい形態でなされるかにかかわりなく、現制度全体または部分的現れを革命的に解明するという意味に解したい。また、扇動という言葉を、厳密な意味では(……)大衆にある具体的行動を呼びかけるという意味、社会生活へのプロレタリアートの直接の革命的闘争をうながすことと解したい」

 

マルトィノフは宣伝とは社会的事象や制度全体、または一部分の表れを革命的に語ることであり、扇動とは大衆に直接行動を呼びかけることだと言っている。しかし、「一定の具体的行動を呼びかけること」は宣伝においても扇動においてもなされることである。

マルトィノフが、わざわざプレハーノフを「深めた」根拠は、ただ一点『イスクラ』が、「一定の目に見える成果を約束する」「立法上および行政上の諸施策の具体的要求を政府に提出する任務をかげに」押しやり、「現行諸制度の全面的な政治的暴露を組織する」ことしかやっていない、と言って社会民主党の任務を否定せんがためなのだ。

より深遠なマルトィノフの新しい定式化によってプレハーノフは「深められた」とレーニンは揶揄し、改めて宣伝と扇動について説明している。

(実は今日においても、この宣伝と扇動という言葉の意味があいまいにされ、ともすればマルトィノフ的な理解をしている現実がある。これはレーニン組織論の理解にとっても、大衆の信頼をかちとる上でも致命的ともいえる問題なのだ)

 

→レーニンによる定式化

「宣伝家は、『多くの思想』 ― しかもそれらすべての思想全体をいっぺんにわがものとできる人は(比較的にいって)少数でしかないような 多くの思想をあたえなければならない

「扇動家は、同じ問題を論じるにしても、自分の聴き手全部にもっともよく知られた、もっともいちじるしい実例…だれでも知っている事実を利用して、ただ一つの思想、富の増加と貧困の増大との矛盾がばかげたものである(等々)の思想を『大衆に』あたえることに全力をつくし、大衆のなかにこのようなはなはだしい不公平に対する不満と債激(=人間的怒り、これこそ人間解放の原動力であり自然発生的なエネルギーである)をかきたてることにつとめが、他方、この矛盾の完全な説明は、宣伝家にまかせるであろう」(P103)

 

3) 政治的暴露と「革命的積極性をそだてること」

 マルトィノフは「労働者大衆の積極性をたかめる」ことは、経済闘争のなかで『もっとも広範に適用されるべき』ものであると宣言し、経済主義者の全部がそのまえにはいつくばっている。

「実際には、『労働者大衆の穣極性をたかめる』ことは、われわれが『経済を基盤とする政治的扇動』にとどまらないばあいに、はじめてなしとげられることである」

そして、こうした「政治的扇動の必要な拡大がなされるための基本的条件の一つは、全面的な政治的暴露を組織することである。このような暴寿による以外には、大衆の政治的意識と革命的横極性とを培養することはできない。だから、この種の活動は、全国際社会民主主義派のもっとも重要な機能の一つをなすものである」(P106)

このようにレーニンは、ドイツの党の強さの根拠は、ほかならぬ政治的暴露カンパニアを弱めなかったことにあると述べ、次のように述べている。

「もし労働者が、専横と抑圧、暴力と濫用行為のありとあらゆる事例――この事例がどの階級に関係するものであれ―― に反応する習慣を、しかも、ほかのどの見地からでもなくまさに社会民主主義的な見地から反応する習慣を得ていないなら、労働者階級の意織は真に政治的な意識ではありえない」

「もし労働者が、具体的な、しかもぜひとも焦眉の(切実な)政治的事実や事件にもとづいて、他のそれぞれの社会階級の知的・精神的・政治的生活のいっさいの現れを観察することを学びとらないなら――また住民のすべての階級、層、集団の活動と生活のすべての側面の唯物論的分析と唯物論的評価を、実地に応用することを学びとらないなら、労働者大衆の意識は真に階級的な意識ではありえない」(P106~107)

つまり労働者階級が、社会に起こっているすべてのことを正しく認識する能力とマルクス主義理論を実地に適用する能力を養成するためには全面的政治暴露が必要だと言っている。

したがって「労働者階級の注意や観察力や意織をもっぱら、でないまでも主として、この階級自身にむけさせるような人は、社会民主主義者ではない

 

【「労働過程」論と人間の意識=認識の形成についての考察】

→ここでレーニンが提起している扇動の意味を、労働者の認識はどのように形成されるのかという意識形成論として検討することは、どのような煽動が求められているのかを考えるうえでも極めて重要と思われる。

  

レーニンは、先に引用したように「労働者階級は専制にたいして敵対的な関係にあるという思想を宣伝するだけ」でも、また「労働者にたいする政治的抑圧を説明するだけ」でも足りない。さらに、「この抑圧の一つ一つの具体的な現れをとらえて」扇動するときにのみ事の真実をつかむことができる、これが労働者、労働者階級の認識のしかただと言っている。

では、なぜ労働者は「説明をするだけでは足りない」のか。反対に具体的事柄の暴露とこれに基づく扇動ならなぜ理解できるのか。問題の核心はここにある。レーニンは次のように言う。

「労働者階級の自己認識は、現代社会のすべての階級の相互関係についての、完全に明瞭な理解――単に理論的な理解だけでなく、さらに…理論的な理解よりも、むしろ、というほうが正しくさえある…政治生活の経験に基づいて作り出された理解――と、不可分に結びついているからである」(P107)

 レーニンはそうしたプロセスに従えば労働者階級は(労働者だけの問題に限らず、あらゆる階級や階層の)現代社会で起こっているすべての政治的問題とその相互関係について「明瞭な理解」ができる能力をもった階級であることを認めるとともに、ここから、さらにすべての社会問題を唯物論的に分析したり、評価できるような訓練が必要だと言っている(ここが「経済主義者」と違うところ)。

「われわれがそういう暴露を組織するなら、どんなに遅れた労働者でも、学生や異宗派、百姓や著作家を罵倒し、これに暴行を加えているのは、労働者自身をその生活の一歩ごとにあのようにひどく抑圧し、押し潰している、まさにその同じ暗黒の勢力であることを理解するか、でなければ感じるだろう。だが、それを感じた以上、労働者は自分でもこれに反応したいという願望、しかも押さえ切れない願望をいだくであろう」(P109)

つまり、労働者は社会のあらゆる問題を、自分たちの具体的な経験に即して理解するときに世界をも理解できる階級だと言っているのである。インテリゲンチャが「明瞭な理解」をする場合には、宣伝や学習は極めて有効な手段にちがいない。しかし、労働者の認識にとっては、それ以上に扇動が特別に重要な意味をもっているということなのである。

それはなぜなのか?。レーニンの組織戦術にとって、これはこれで重要な問題を提起している。

それを解明するためにも、人間の認識(意識)はどのように形成されるのかを押さえておくことが重要である。

資本論第一篇第5章では商品の二面的性格である使用価値と価値のうち、使用価値という側面について、また第7章では剰余価値を導くものとして「労働過程」について述べている。

① 人間は自己の欲求を満たし生命を維持するために、自然素材に働きかけ使用価値を生産する。労働とは合目的的な人間労働と労働対象、それと労働手段という三つの契機をもってする「労働過程」である。この「人間と自然との物質代謝」はどのような社会においても変わらない自然的必然である

 

② 資本論においては価値法則を導く視点から労働過程を論じているのであるが、それにもかかわらず、以下のような重要な示唆を与えていることに留意しなければならない。

「労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し,規制し,管理する一過程である。……人間は,この運動によって自分の外部の自然に働きかけて、それを変化させることにより、同時に自分自身の自然を変化させる

「彼は自然的なものの形態変化を生じさせるだけではない。同時に彼は自然的なもののうちに、彼の目的――彼が知っており、彼の行動の仕方を法則として規定し、彼が自分の意思をそれに従属させなければならない彼の目的――を実現する。この従属は……労働の全期間にわたって労働する諸器官の緊張のほかに注意力として現れる合目的的な意思が必要とされる」

 

③「クモは織布者の作業に似た作業を行うし、ミツバチはその臘の小屋の建築によって多くの人間建築師を赤面させる。しかしもっとも拙劣な建築師でももっとも優れたミツバチより卓越している点は、建築師は小屋を臘で建築する以前に自分の頭の中でそれを建築していることである。労働過程の終わりには、そのはじめに労働者の表象のなかにすでに現存していた、したがって観念的にすでに現存していた結果がでてくる」(資本論第一部)。 

  <人間は物質的活動、その経験の中で既に知っている方法と法則に基づいて、予め目的とする生産物の完成形態を観念的に脳裏に描き、そこから逆規定して、労働の各段階に適合する諸器官――彼の肉体にそなわる自然力,腕と脚の機能やそれを制御する神経系統に緊張と刺激を与える。同時に、自然素材の形態や性質、生産方法や方式、手順といった経験とその反省、感覚を頭脳に取り込み対象化する。また、それまで知り得た知識と比較し、修正を加え、豊富化する。つまりこれが労働過程に対応した意識の生産ということである>

 

④ 『資本論』では、「単純で、抽象的な契機」としての「労働過程」、いうなれば物質的性格に論点が絞られており、労働者の内面的、観念的な意識の形成や自己と他者との間、つまり協働によって形成される意識の問題についての論述はない。論点が散漫になるのを避け、価値法則に絞るねらいがあったのかもしれない。

   とはいえ、人間が人間として定立して以後の労働過程が、現実には全く誰の協力もなしに孤立的に行われてきたと考えることはできない。したがって端緒的な労働過程といえども、他の労働者との社会関係が考察されなければならない。意識の発現であり他者との交通形態でもある言語とともに、そうした労働過程を通じた他人との協働における意識の生産、すなわち類的存在としての自分以外の人間を認識し、そうすることで自分自身を対象化する、まさに自然素材に対する対象化、内在化と同じような意識の形成が人間対人間の関係においても行われてきたと考えられる。

 

⑤ 資本が生産手段を占有し、労働力を市場で商品として買い、生産過程では、労働過程が作り出した使用価値を投入し消費する。これが資本による商品生産の決定的な前提条件である。ところが労働力商品は、一般の生産物商品とは異なり、特殊な性格をもつ。労働力商品の使用価値をなす労働が、価値を形成するというだけではない。  第一に、生産物の価値のように、その再生産に要する労働時間によって規定されるのではない。労働力の価値を決定するのは必要生活手段の価値であり、その質と量は、歴史的・文化的条件に依存する。第二に、労働力は生産過程で支出されてはじめて価値および剰余価値を生むが、そのために労働過程は資本によって管理される。第三に、労働力の再生産には資本は介入しえない。そして第四に、このように、生産手段と労働過程が資本によって管理されつつも、労働者が労働過程の中で作られる意識――物質的素材と協働の中で形成される社会的・人間的関係を対象化し、その経験の蓄積を通して普遍性、法則性を認識、再認識するという内面的プロセス、労働者自身の脳の中に刻み込まれた知識や意識は労働者自身の属性であり、資本によっても決して支配されることはない

   労働者が「労働過程」における自然素材および、この過程でとり結ぶ社会関係の対象化、内在化=意識の形成、その経験の中から本質的、法則的なものを掴みとる能力は人間としての彼の属性であり誰も奪い去ることはできない。 

(にもかかわらず、ブルジョアジーは労働者階級が取り結ぶ社会関係を切断し、彼の人間性そのものを破壊する。資本主義のもとではこの矛盾を解決し得ない)

   ところで、人間は自分がある目的のために活動(労働)する場合、予め頭脳の中で観念的なイメージを描き、それが全面的、具体的、合目的的であればある程、自分の行動の結果に対して確信を深めるのである。

その意味で扇動そのものは労働者階級だから有効ということでも、レーニンの専売特許でもない。ブルジョアジーはブルジョア的利益を満たすことができると確信させる扇動があれば、どれほど無慈悲で非人間的な手段であろうとためらうことがないのはわれわれが知っている通りである。

    レーニンは、労働者階級にとって全面的で、全社会的な政治的関係の生き生きとした暴露が必要なこと(にもかかわらず、これまでやられてこなかった)を強調しているのである。それがあれば労働者階級は自然発生的な経済闘争だけにとらわれることなく、自らの進むべき道をイメージする能力をどの階級にもまして身につけているからである。

  

4)経済主義とテロリズムには何か共通点があるか

 ここでは何が問題になっていたのか。

当時のロシアの革命運動が「経済主義」に占領されてしまったがゆえに、党が「革命的活動を労働運動に結び付けて渾然一体化する能力」を形成し得ない、あるいはその可能性を絶たれてしまった。その結果としてテロリズムが発生したということである。

そして、これについてレーニンは経済主義とテロリズムは、どちらも「自然発生性の前に拝跪する」という点で共通の根をもっていると指摘している。

「『経済主義者』は『純労働運動』の自然発生性の前に拝跪するし、テロリストは革命的活動を労働運動に結び付けて渾然一体化する能力をもたないインテリゲンチャの最も熱烈な憤激の自然発生性の前に拝跪する」(P115)。

(どのような状況が自然発生性への拝跪をうみだすのか)

経済主義  →①労働運動の停滞期。

       ②労働運動の高揚への革命党の立ち遅れ

テロリズム →①労働運動の高揚、「経済主義者」との結合。②政治的憤       

        激の高まり  

両者の共通点は、革命運動において「革命的活動と労働運動とを結びつける能力」をもった党がつくり出せないという問題である。

「問題はこうなのだ。労働者大衆はロシアの生活の醜悪事によって大いに興奮しているのだが、…人民の興奮の水滴と潮流をことごとく寄せ集め、集中する能力が、われわれにないのである。そういう水滴と潮流は、われわれの想像たり考えているよりもはるかに大量に…したたりおちている。それらはまさに単一の巨大な流れに結合されなければならない」(これは全く実現可能な任務であるのに)「テロルの呼びかけも、経済闘争そのものに政治性をあたえよという呼びかけも、ロシアの革命家の最も緊急な義務――全面的な政治的扇動の遂行を組織すること――を回避する別々の形式」なのである。(P119)

 

→逆の言い方をすれば「全面的な政治的扇動の組織化」がいかにハードルの高いものであるのか、ということであり、その意識性からの逃避、すなわち日和見主義ということなのである。

 

【われわれはテロル一般を否定する訳ではいない】

 「われわれはけっして原則上テロルを拒否しなかったし、また拒否することはできない。…

  テロルは戦闘の一定の瞬間には…また一定の諸事情のもとでは、まったく有用な…軍事行動の一つ」である。ただし、それは「闘争の全体系と密接に結びつき、それに適合させられた野戦軍の作戦の一つ」として提出されなければ、「時宜に適さない、目的にかなわないものであって、もっとも活動的な闘士たちを彼らのほんとうの、運動全体の利益にとってもっとも重要な任務からそらせる」ものである。(→「なにからはじめるべきか」)

  

5)民主主義のための先進闘士としての労働者階級

「もっとも広範な政治的扇動をおこなうことと、したがってまた全面的な政治的暴露を組織することが、いやしくも社会民主主義的な活動にとって絶対に必要な、最も緊急に必要な任務」

である理由

①「労働者階級が政治的知識と政治的教育を必要としている」という理由だけではあまりに狭く、あらゆる社会民主党の一般民主主義的任務を無視することになる。

 

②労働者に政治的知識をもたらすためには、社会民主主義者は、住民のすべての階級の中にはいってゆかなければならない。

→「階級的・政治的意識は、外部からしか、つまり経済闘争の外部から、労働者と雇い主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない。

この知識を汲みとってくることができる唯一の分野は、すべての階級および層と国家および政府との関係の分野、すべての階級の相互関係の分野である」 (P120)

 

③「社会民主主義者の理想像は、労働組合の書記ではなくて、どこで行われたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴力と資本主義的搾取とについてのひとつの絵図にまとめ上げることができ、一つひとつの瑣事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人の前で叙述し、プロレタリアートの解放闘争の歴史的意義を万人に説明する事のできる人民の護民官でなければならない」(P122)

 

→「プロレタリアートの政治的意識を全面的に発達させる必要を、ただ口先だけで主張しているだけでないなら、住民のすべての階級のなかに入っていかなければならない」

では「住民のすべての階級のなかに入っていく」とは

・どのようにやるのか? 

①「理論家としても、宣伝家としても、組織者としてもそうしなければならない」

 レーニンは、社会民主主義者の理論活動は、それぞれの階級の社会的・政治的地位のあらゆる特殊性の研究を目標としなければならない。この点で労働者の(工場)生活の特殊性についての研究に比べて、他の諸階級・諸階層の研究は立ち遅れていることを指摘し、党の理論活動のバランスの悪さを反省し、この領域での『訓練不足』の克服が必要だ、と述べている。

②「全人民にむかって一般民主主義的任務を説き、これを強調する義務があること――しかも自分の社会主義的信念を一瞬もつつみかくすことなく――を、実際に忘れるもの」「あらゆる一般民主主義的問題を提起し、激化し、解決する点でだれよりも先んじなければならない自分の義務を実践において忘れるものは社会民主主義者ではない

・人手はあるのか? ……いたるところに運動に参加したか、参加を希望しながらも、社会民主党に心をひかれながらも、余儀なく何もせずに日々をおくっている人がいる。

「われわれにこういう勢力の全部を働かせ、全員に適当な仕事を与える能力がない」ことが政治上、組織上の欠陥だ。(P131)

 そして、「労働者に真の、全面的な、生きた政治的知識を供給するためには、いたるところに、あらゆる社会層のなかに、わが国の国家機構の内面的ばねを知る便宜のあらゆる部署に『仲間』が、社会民主主義者がいること」は宣伝と扇動の部面だけでなく、それ以上に組織の部面でも必要だ。

・基盤はあるのか? ……社会民主主義者が、「もっとも焦眉の一般民主主義的な必要の表明者」であったならば、住民階級のなかで無権利や専横に不満をいだいており「これを容易に受け入れることのできる人々やグループ」が一つも存在しないはずがない。

・階級的見地から逸脱することにはならないのか?……「これらの全人民的暴露を組織する者がわれわれ社会民主主義者である点に、つまり、扇動によって提起されるいっさいの問題が、一貫した社会民主主義的精神にたって解明される点に、すなわち、この全面的な政治的扇動をおこなう者が、全人民の名による政府に対する攻撃をも、プロレタリアートの政治的独自性を守りながらおこなわれるプロレタリアートの革命的教育をも、労働者階級の経済闘争の指導をも、つぎつぎにプロレタリアートの新しい層をたちあがらせてわれわれの陣地に引き入れるような、労働者階級とその搾取者との自然発生的な衝突の利用をも、不可分の一体に結び付ける党である点に、わが運動の階級性が現れる。」(P135)

  

→「プロレタリアートが最も緊要に必要としている事柄(政治的扇動と政治的暴露とによる全面的な政治教育)と、一般民主主義的運動が必要としている事柄との結びつき、いやそれ以上だ、この一致を理解しないことこそ『経済主義』の最大の特徴の一つ」である。(P136)

 

6)もう一度「中傷者」、もういちど「瞞着者」 (略) 

レーニン「なにをなすべきか?」学習ノート (第二回)

 第二章 大衆の自然発生性と社会民主主義者の意識性

 レーニンの問題意識の多くは「大衆の自然発生性」と「社会民主主義者(共産主義者)の意識性」をどのようにして結合するのかという点にあった。
 レーニンは当時のロシアにおける運動の強みが大衆の(主として工業プロレタリアートの)覚醒にあり、弱みが革命的指導者の意識性と創意性の不足にあることを冒頭で明らかにし、この章のテーマを「革命的指導者の意識性と相違性」ということに絞って問題を提起しているのである。

 

 → 『ラボーチェエ・デーロ』は「自然発生的要素と意識的・『計画的』要素の相対的意義についての評価の相違」あるいは「自然発生的要素の意義の軽視」と批判しているが、レーニンによれば「自然発生的要素」とは、本質上、意識性の萌芽形態であり、労働者階級が自らを圧迫している資本・雇い人に抵抗して自然発生的に結合する能力、すなわち組織的能力を意味しており、それと社会民主主義者の「意識性」つまり革命理論が結びつく以外にはブルジョア社会の転覆はできないのである。どちらを重視するかとか、どちらが上に立つかというような問題のたて方そのものがナンセンスなのだ。

 諸党派、諸潮流の党派性が労働運動と党との関係における「理論上・政治上の意見の相違の全核心」(P48)として表れている事をみれば、この問題の重要性は明らかである
 「だからこそ、意識性と自然発生性との関係という問題はきわめて大きな一般的関心をひ
 くのであって、この問題について非常にくわしく論じなければならない」と強調している。

 1)自然発生的高揚の始まり

 1890年代、労働者のストライキがロシア全土に広がった。1860年代~70年代のストライキに比して90年代のストライキ運動は、明確な要求を提出したり、時期を考慮したりとはるかに多くの意識性のひらめきを示していた。

 「…一揆が抑圧された人々の単なる蜂起でしかなかったのにたいして、組織的なストライキはすでに階級闘争の芽生えをあらわしていた。だが、あくまでも芽生えにすぎない。それ自体としてみれば、これらのストライキは、組合主義的闘争であって、まだ社会民主主義的闘争ではなかった。それらは、労働者と雇主との敵対のめざめを表示すものではあったが、しかし労働者は、自分たちの利害が今日の政治的・社会的体制全体と和解し得ないように対立しているという意識、すなわち社会民主主義的意識を持っていなかったし、また持っているはずもなかった。こういう意味で、90年代のストライキは『一揆』に比べれば非常な進歩であったにもかかわらず、やはり純然たる自然発生的な運動の範囲をでなかった」(P45)                             

  → 労働者階級以外の他の階級も自然発生的に決起し、闘争同盟のような組織を作ることは歴史的経験から明らかであるが、みずから恒常的に組織をつくるのはブルジョアジーへの隷属を余儀なくされている労働者階級が共同労働の経験をとおしてつくりあげる独特の能である。そして、この能力はブルジョアジーとの闘いとして形成され発達し、みずからの権利と労働条件を守るために団結することで、ますますその力を高めていくのである。

 ところで、社会民主主義的(共産主義的)意識というのは、労働者階級的利害が「今日の政治・社会体制全体と和解しえないように対立していると言う意識」であり、「この意識は外部からしかもたらしえないものだった。

 労働者階級が、まったく自分の力だけでは組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇主と闘争をおこない、政府から労働者に必要なあれこれの法律の発布をかちとるなどのことが必要だという確信しかつくりあげられないことは、すべての国の歴史の立証するところである」(P49)


  → 労働者は個別資本あるいは資本家の団体、またはその政府に対して労働条件の改善や権利の向上、さらには労働者保護のための制度の確立等々を要求し、産業別統一闘争やゼネストなどを打ち抜くことによって資本の譲歩をかちとることはできるかもしれない。しかし、どのような戦闘的な労働組合、激しい闘いも資本に雇われ続ける社会関係、生産体制を前提にするものであり、事実としても雇用と雇用の継続を要求するのであって、賃労働と資本の関係を解消するために闘うわけではない


 <資本を打ち倒し賃労働を廃絶し、資本家の政府に代わって労働者階級みずからを支配階級へと組織するという>革命闘争への意識は労働組合の経済闘争からは独自の理論をもって形成される以外ないのである。被支配階級としての労働者階級が、みずからを支配階級へと成長・飛躍させ、ブルジョア支配を打ち倒していくという意識、つまり「社会民主主義的(共産主義的)意識は外部から持ち込むほかはなかった」(P50)

 「社会主義の学説は、有産階級の教養ある代表者であるインテリゲンチャによって仕上げられ、哲学・歴史学・経済学上の諸理論のうちから成長してきたものである。近代の科学的社会主義の創始者であるマルクスエンゲルス自身も、その社会的地位からすればブルジョアインテリゲンチャに属していた」(P50)


 ここでレーニンは、1890年代中ごろのロシアにおいてはどうであったかを検討している。
 このころのロシアの社会民主主義者たちは経済的扇動に従事しながらも、そういう経済的扇動を自分たちの唯一の任務と考えなかったばかりか、反対に最初から一般にロシア社会民主党の最も広範な歴史的諸任務、とりわけ専制の打倒を提起することが重要と考えていた。
 このように「1895~98年に活動していた社会民主主義者の一部(おそらくはその大多数さえも)が、「自然発生的」運動がはじまったばかりのその当時でも、もっとも広範な綱領と戦闘的戦術とを提出することが可能であると、まったく正当にも考えていたということを確認することが極めて重要である。

 ロシアにおいても、「社会民主主義の理論的学説は労働運動の自然発生的成長とはまったく独立に生まれてきた。それは革命的社会主義インテリゲンチャのあいだでの思想の発展の自然の、不可避的な結果として生まれてきたのである」。そして、90年代のなかごろにはそれが「労働解放」団の…綱領になって…、ロシアの革命的青年の大多数を味方にしていた。まさに、当時の社会民主主義者たちは、(「経済主義者」がいうように「条件がなかった」どころか)ストライキ闘争を専制にたいする革命運動にむすびつけ、抑圧のもとにさらされている人々を社会民主党のもとに獲得するために新聞の発行も試みられていた。


 しかし、残念ながらこうした企画は権力の弾圧によって実現できなかった。それは当時の社会民主主義者に革命的経験と訓練が不足してからであり、(革命の事業では)この経験から学び、実践的教訓を引き出すためには、あれこれの欠陥や意義を完全に理解する(意識する)ことが必要である。
 「経済主義者」たちは、欠陥を美徳にまつりあげ(→ 革命党の訓練不足という欠陥を直視せず、専制の打倒という任務方針が誤りであり、経済的扇動に重心を置くべきだという)
 自分たちの自然発生性への屈従と拝跪を理論的に基礎づけようとさえしている。

 2)自然発生性への拝跪 『ラボーチャヤ・ムィスリ』(注)

  1897年の初めに「労働者階級解放闘争同盟」の「老人組」と「青年組」が「労働基金組合規約」をめぐって鋭く意見を対立させ、激しい論戦が行われた。これがのちのロシア社会民主党の二つの潮流の対立へと発展していく。
 ここでレーニンが取り上げた『ラボーチャヤ・ムィスリ』の社説は「労働運動がこのような根強さを得たのは、労働者が自分の運命を指導者たちの手からもぎとって、ついに自分の手にそれをとりあげつつあるたまもの」だとか「政治はつねに従順に経済のあとに従う」と主張している。

 事実は社会民主主義者、「闘争同盟」の組織者が憲兵の弾圧によって「労働者の手からもぎとられた」のであり、「経済主義」の主張は「前進するよう、革命的組織を固めるよう、政治活動を拡大するようによびかけようとはしないで、後退するよう、組合主義的闘争だけをやるよう」よびかけるものだったが、これが当時の青年大衆に大きな影響をおよぼしていた。

  (注)『ラボーチャヤ・ムィスリ』=1897年から1902年に出された「経済主義者」の機関誌。              レーニンは国際日和見主義のロシアにおける変種と批判していた。

 レーニンはこうした状況に対しで社会民主党内に浸透しつつある経済主義(『ラボーチェエ・デーロ』)を検討・批判する視点として3つの事情についてふれ、次の節で詳しく展開している。
 第1の事情として、「意識性が自然発生性によって圧服されたのは、これまた自然発生的(外在的要因による力関係の変化の中でという意味?)におこなわれた」ことをあげ、「この圧服は二つの対立した見解が公然と闘って一方が勝った結果ではなく『老人組』の革命家が憲兵によって『もぎ取られ』、『青年組』がますます数多く舞台に登場してくることによっておこなわれた」ことを明らかにしている。(P59)


 第2の事情として、すでに「経済主義」の最初の文筆上の極めて特徴的な現象として、彼ら(注)が自分たちの立場を擁護するのに、ブルジョア的な「純組合主義者」の論拠にたよらざるをえないということがある。
  およそ労働運動の自然発生性のまえに拝跪すること、およそ「意識的要素」の役割、社会民主党の役割を軽視することは、とりもなおさず―その軽視する人がそれを望むと望まないとにはまったくかかわりなく―労働者にたいするブルジョアイデオロギーの影響を強めることを意味する。(P50)

 (注)一言でいえば「経済主義」だがレーニンは、①「純労働運動」の味方たち、②プロレタリア闘争との最も「有機的」な結びつきの礼賛者たち、③非労働者的インテリゲンチャの敵対者たちをあげている。


 第3の事情として「経済主義」という名称が新潮流の本質を十分正確に伝えるものでないことがある。『ラボーチャヤ・ムィスリ』は政治闘争を全く否定しているわけではなく、政治はつねに従順に経済のあとに従うと考えているだけである。政治闘争の否定というよりも、むしろこの闘争の自然発生性の前に、あるいは無意識性にたいして拝跪するのである。

 「組合主義は、往々考えられているように、あらゆる『政治』を排除するものではけっしてない。労組合は、つねにある種の(だが社会民主主義的ではない)政治的扇動や闘争をやってきた。」
  『ラボーチャヤ・ムィスリ』は労働運動そのもののなかから自然発生的にするが、社会主義の一般的任務と当時のロシアの諸条件とに応じた(今日で言えば、それぞれの国内的条件に応じた)特有の意味での社会民主主義的政治を自主的=意識的に作り上げることをまったくやらなかったのである。


 → レーニンは前節において「社会民主主義的意識は外部からもちこむほかはなかった」と述べているが、前述の3つの事情のうちの第2の事情の中で、特にこの問題をカウツキーのオーストラリア社会民主党の新綱領草案批判を引用して展開している。(言葉の当否には議論のあるところだが)これがいわゆる「外部注入論」である。

 引用されているカウツキーの論述の主要な点を4点にまとめると次のようになる。
 ①学説としての社会主義プロレタリアート階級闘争と同じく、今日の経済関係のうちに根ざしており、またそれと同じく、資本主義の生み出す大衆の貧困と悲惨にたいする闘争のうちから成立してくる。(注)
 ②社会主義階級闘争は、並行して生まれるものであって、一方が他方から生まれるものではなく、またそれぞれ違った前提条件のもとで生まれるのである。今日の経済科学はたとえば今日の技術と同じく、その担い手はプロレタリアートではなく、ブルジョアインテリゲンチャである。近代社会主義もやはりこの層の個々の成員の頭脳の中から生まれた。
 ③まず、はじめに知能のすぐれたプロレタリアに伝えられたのであって、ついでこれらのプロレタリアが事情の許すかぎりでプロレタリアート階級闘争のなかにそれをもちこむのである。
 ④だから、社会主義的意識はプロレタリアート階級闘争のなかへ外部からもちこまれたあるものであって、この階級闘争のなかから自然発生的に生まれてきたものではない。したがって、プロレタリアートのなかに自分たちの地位と自分たちの任務とについての意識を持ち込む(=自覚を促す)ことが社会民主党の任務である。
  
 この引用の結論として、レーニンは次のようにまとめている。
 労働者大衆自身が彼らの運動の過程それ自体のあいだに独自のイデオロギーをつくりだすことが考えられない以上(注)問題はこうでしかありえない。
 ①ブルジョアイデオロギーか、社会主義イデオロギー、と。そこには中間はない。(な
   ぜなら、人類はどんな「第三の」イデオロギーもつくりださなかったし、…階級外の、あるいは超階級的なイデオロギーなど決してありえないからである)
 ②だから、およそ社会主義イデオロギーを軽視すること、およそそれから遠ざかることはブルジョアイデオロギーを強化すること意味する。
 ③労働運動の自然発生的な発展は、まさに運動をブルジョアイデオロギーに従属(屈服)させる方向にすすむ。なぜなら、自然発生的な労働運動とは組合主義であり、〔純組合主義〕であるが、組合主義とは、まさしくブルジョアジーによる労働者の思想的奴隷化を意味するからである。だから、われわれの任務、すなわち社会民主党の任務とは、自然発生性と闘争すること、ブルジョアジーの庇護のもとに入ろうとする組合主義のこの自然発生
   性的な志向から労働運動をそらして、革命的社会民主党の庇護のもとにひきいれることで
ある。(P63)

 (注)ところで、労働者階級が社会主義イデオロギーをつくりあげる仕事にまったく参加しないだろうか、そうではない。ただし、その場合にはプロレタリアとしてではなく、社会主義の理論家として社会科学の学習、理論的研究に参加する。そして彼らは労働者の中でその意識水準を高め、社会主義の思想を広めると同時に、自ら獲得した理論を実践的に検証するために極力骨をおるのである。

 また、レーニンは「自然発生的運動、最少抵抗線を進む運動がなぜブルジョアイデオロギーの支配に向かってすすむのか?」として、それはブルジョアイデオロギー社会主義イデオロギーより、その起源においてずっと古く、いっそう全面的に仕上げられていて、はかりしれないほど多くの普及手段(→ 特に今日の帝国主義国におけるその社会的=政治的経済的物質力はロシア革命当時とは比べものにならないほどである)をもっているためである」として、だからこそこれとの闘いが重要であることを訴えている。

 (社会主義者が反動的な労働組合や組織の中でも、そこに労働者が存在する限りはうまずたゆまず活動しなければならないという原理は、そうしなければ労働者階級はいっそう深くブルジョアイデオロギーのもとに隷属させられるということ、またこのことに無頓着であるということは、みずからの陣地を敵に明け渡すにひとしく、およそ革命を語ることそのものが空論でしかない)

 【いわゆる「外部注入論」の考え方】
 往々にしてレーニンが労働者の自然発生性はダメなんだ、と言っているかのように誤解され、さらには「無知な労働者に知識のあるインテリ活動家が理論を吹き込む」と言った反共イデオロギーの宣伝にさえ使われている。しかし、これはレーニン組織論の核心をなす部分であり、正確に理解することが是非とも必要である。

 ① レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中でも、「資本主義によって訓練されたプロレタリアート」と規定し、また『論集十二年間』の序文においても「客観的な経済的理由から最大の組織能力をもつプロレタリアート」と述べているように、労働者階級の自然発生的能力を客観的、歴史的なものとして積極的に評価しているのである。これはマルクスの『共産党宣言』でも明らかにされている核心的内容でもある。
 革命は、労働者階級のこの組織能力(労働者階級が自然発生的に結合し、団結していく革命的能力)と結びつくことなしには成し遂げることができない。
 しかし、プロレタリアートは資本と賃労働が本質的、非和解的に対立しているという感覚は自らの歴史的経験をとおして獲得できる(※注)が、自分自身の歴史的、経済的存立基盤である資本主義の体制そのものを転覆し、プロレタリアートの権力と置き換えなければならないという共産主義的意識(イデオロギー)は自然発生的な闘争のなかからは身につけることはできない。レーニンが強調しているのは、この関係をはっきりさせることなのである。

   ※注)「ある人には脅し道具としか見えない工場こそ、まさにプロレタリアートを結合し
     訓練し、彼らに組織を教え、彼らをその他すべての勤労・被搾取人民層の先頭に立たせた
     資本主義的協業の最高形態である。資本主義によって訓練されたプロレタリアートのイデ
     オロギーとしてのマルクス主義こそ、浮動的なインテリゲンチャに、工場が備えている搾
     取者の側面(餓死の恐怖に基づく規律)と、その組織者としての側面(技術的にも高度に
     発達した生産の諸条件によって結合された共同労働に基づく規律)との相違を教えたし、
     いまも教えている。ブルジョアインテリゲンチャには服しにくい規律と組織をプロレタ
     リアートは、ほかならぬ工場というこの『学校』のおかげで、特にやすやすとわがものに
     する」(『一歩前進、二歩後退』)

 ②「労働者階級は自然発生的に社会主義に引きつけられる」(労働運動の階級的、自然成長的発展の延長上に革命を描こうとする「経済主義者」の論拠でもある)という見方について。

 この言葉が正しいのは、「社会主義理論は、最も深く、また最も正しく労働者階級の困苦の原因を示しているので、…労働者はこの理論をきわめて容易にわがものにする、という意味である」(P67)
 ただし、現実の過程は「労働者階級は自然発生的に社会主義にひきつけられるが、それにもかかわらず」、(労働者が自然発生の前に降伏し、意識性をもたなければブルジョア社会の中で)「最も多く押し付けられてくるものは、最も普及しているブルジョアイデオロギーである」
    
 ③学説としての社会主義理論はブルジョアインテリゲンチャによって成立したものであるが、その出発点は資本主義が生み出す経済関係、その貧困と悲惨に対する労働者階級の闘い、この怒りに根拠をおいているということである。この点を否定ないし曖昧にしてプロレタリアートを解放の主体として位置づけない場合には、労働運動はたんなる救済運動、空想的社会主義でしかなくなる。
  
 ④「外部から持ち込む」という意味についてレーニンは次章の第5節で「階級的・政治的意識は、外部からしか、つまり経済闘争の外部から、労働者と雇い主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない」と誤解の生じようのない言い方で明確に述べている。

 資本主義の国家そのものを打倒するという立場にたつためには、革命のための理論が必要であり、それは労働者の運動の中から自然発生的には作られない、経済闘争の外部からしかもたらし得ない。そして、もうひとつ労働者階級の政治意識の成長を阻んでいるのは彼らの全生活を覆うブルジョアイデオロギーの洪水なのである。
 したがって、「持ち込む」の意味は、労働者をブルジョアイデオロギーの影響から遠ざけ、「自然発生的な経済闘争」に対して「意識的な政治闘争」に目を向けさせること。
 そのためには労働者階級の闘いの中だけではなく、あらゆる階級、階層の政治的現れに精通し、それを暴露できる特定の組織をつくることが必要だ、ということを提起しているのである。

 ⑤「社会主義理論がプロレタリアート階級闘争と別個に成立した」ということを強調するあまり、学説としての社会主義理論を階級闘争から切り離し、労働者階級の闘いとは無縁な純粋理論として成立したかのように描き出すこと、これを階級闘争の場に持ち込むことが必要なのだ、と理解する誤りである。スターリン主義は、労働運動の自然発生的要素を蔑視し、労働者の主体性を無視し、党の路線を労働組合に「外部から持ち込み」押し付け   る、いわゆる「引き回し」を行ってきたのである。
  
 3)「自己解放団」と『ラボーチェエ・デーロ』

 ・『ラボーチャヤ・ムィスリ』(「労働者の思想」)

                  創刊号1897年10月
 ・『労働者自己解放団の檄』        1899年3月
 ・『ラボーチェエ・デーロ』創刊号     1899年4月

   『ラボーチャヤ・ムィスリ』は初めから経済主義潮流としての姿をだれよりもあざやかに示していたが、少し遅れて『労働者自己解放団の檄』も同様の結論をひきだし、経済主義の特徴を鮮明にした。ついで活動を開始した『ラボーチェエ・デーロ』は、はじめから「経済主義者」を「擁護した」だけでなく、自らもたえず「経済主義」の基本的誤謬に迷い込んでいった。この誤りの根源は、彼らの綱領のなかにある「大衆運動が『任務を規定する』」という命題に対する理解、これへの態度をめぐる対立に問題の核心があった。

 「これは二とおりの意味に理解することができる。すなわち、この運動の自然発生性の前に拝跪するという意味、つまり、社会民主党の役割を、あるがままの労働運動への単なる奉仕に帰着させるという意味(これが、『ラボーチャヤ・ムィスリ』、『自己解放団」その他の『経済主義者』の理解である)」そして、もう一つは「この大衆運動が発生する以前の時期にはそれで足りていた任務にくらべて、はるかに複雑な、あたらしい理論上、政治上、組織上の諸任務を大衆運動がわれわれに提起するという意味」にも理解することができた。
 そして、この第一の理解に傾いていた『ラボーチェエ・デーロ』は、「大衆的労働運動にたいして専制の打倒を第一の任務として提起することはできないと考えて、この任務を(大衆運動の名において)最も身近な政治的要求のための闘争という任務に低めた」(P72~73)

 →『ラボーチェエ・デーロ』第7号(ペ・クリチェフスキーの論文)の引用
 「政治闘争における『段階論』」(P74)
 「政治的要求は、その性格上、全ロシアに共通であるが、しかし、はじめは」「当該の労働者層(原文のまま!)が経済闘争から引きだした経験に合致するものでなければならない。この経験にもとづいてのみ(!)、政治的扇動に着手することができるし、また着手しなければならない」「マルクスエンゲルスの学説によれば、個々の階級の経済的利益が歴史上決定的な役割を演じるのであり、したがって、とくに自己の経済的利益のためのプロレタリアートの闘争が、プロレタリアートの階級的発展と解放闘争とによって、第一義的な意義をもたなければならない…」

 これに対して、レーニンは次のように批判している。
「経済的利益が決定的な役割を演ずるからといって、したがって経済闘争(労働組合闘争)が第一義的な意義を持つという結論には、けっしてならない。なぜなら、諸階級のもっとも本質的で、『決定的な』利益は、一般に根本的な政治的改革によってはじめて満足させることができるし、とくにプロレタリアートの基本的な経済的利益は、ブルジョアジーの独裁をプロレタリアートの独裁でおき代える政治革命によって、はじめて満足させることができるからである」(74P)

 →『ラボーチェ・デーロ』第10号の主張
 「行いうる闘争こそのぞましく、そして現瞬間に行われている闘争こそ、行いうる闘争である」「計画としての戦術はマルクス主義の基本精神とあいいれない」「戦術とは『党とともに成長する党任務の過程』」

 レーニンは、こうした主張こそが、自然発生性に拝跪する、日和見主義潮流の綱領そのものであると指弾し、「マルクス主義にたいする中傷であり、かつてナロードニキがわれわれとのたたかいにあたってえがいてみせた、まさにあの戯画に、マルクス主義を変えてしまうものである」と批判する。

 そして、「国際社会民主主義者の全歴史は、あるときは甲の、あるときは乙の政治的指導者によって提出された計画で満たされており、ある人々の政治上・組織上の見解の先見と正しさを実証し、他の人々の短見と政治的誤謬をあからさまにしている」(P76)

 「歴史がその最後の判定をくだしてから多くの年月がたったあとで、昔をかえりみ、党とともに成長する党任務の成長という格言によって自分の深遠さを示すのは、もちろんむずかしいことではない。しかし、ロシアの『批判家』や『経済主義者』が社会民主主義を組合主義に低めており、またテロリストが、古い誤りを繰り返す…混乱の時期にこのような深遠な迷論でことをすませるのは、自分自身に『貧困証明書』を発行するというもの」「多くの社会民主主義者が、ほかならぬ創意と精力に不足し、『政治的宣伝、扇動、組織の規模』に不足し、革命的活動をいっそう広範に組織するための『計画』に不足している時期に『計画としての戦術ということはマルクス主義の基本精神にあいいれない』などとかたるのは、理論的にマルクス主義を卑俗化するだけでなく、さらに実践的に党をうしろへ引きもどす」(P77)ものだと断罪している。

 また、「マルクス主義が意識的な革命的活動に正しくも巨大な意義を与えていることに心を奪われて、実践上では。発展の客観的あるいは自然発生的要素の意義の軽視におちいっている」という『イスクラ』への批判にこたえて次のように反論している。
 「もし主観的計画の立案者(=経済主義者)が客観的発展を『軽視する』とすれば、それはどういう点に現れるだろうか?この客観的発展があれこれの階級や階層や集団、あれこれの民族や民族群などを、あるいはつくりだし、あるいは強め、あるいは滅ぼし、あるいは弱めそれによってあれやこれやの国際的な政治的勢力編成や、革命的政党の立場等々を条件づけていることを…見おとす点に現れる」(つまり意義の軽視とか重視とかいう問題ではなく)指導者は具体的な「客観的発展を正しく理解する意識性」が必要なのだと言っている。

 最後に結論として、ロシア社会民主党内の「新しい潮流」の基本的誤りは、自然発生性の前に拝跪する点に、すなわち「大衆が自然発生的であればこそ、われわれ社会民主主義は多くの意識性をもつ必要があることを理解しない点にあることを確信するにいたった」「大衆の自然発生的な高揚が大きければ大きいほど、運動がひろまればひろまるほど、社会民主主義派の理論活動においても、政治活動においても、組織活動においても、多くの意識性をもつ必要が、くらべものにならないほどいっそう急速に増大する」(82P)

 そして、1890年代のロシアの革命運動は「理論」でも活動でも大衆運動の自然発生的高揚に立ち遅れてしまい、運動全体を指導する能力のある、中断のない、継承性のある組織をつくりだすことができなかった。この巨大な任務を成し遂げるためには、①対政治警察との闘いにおいて、②理論、政治、組織活動において訓練を欠いていた。と総括している。
 また、革命党の指導者の意識性、役割とは「いろいろな問題にあらかじめ理論的に解答をあたえ、そのあとで(実際の経験を通して)この解答の正しいことを組織にも、党にも大衆にも納得させる」ということであり、そうして「大衆運動を『自分の綱領』のところまで引き上げる」ことこそが社会民主主義党の役割なのだ、と言っているのである。
  経済主義に迷いこむ根源的理由は、大衆追随主義にあるということ。裏返せば意識的活動の困難さ、壁の厚さの前に圧倒され、自然発生性の前に拝跪し、その範囲での闘いこそが党の一義的任務であると信じ込むのである。大衆運動の発展が、共産主義者、革命党に突きつけている革命的役割、任務をあらかじめ推理し研究し、それに応えぬくことこそが革命党たらしめる、ということ。それ以外のことで大衆運動が問題を解決する、ということはない。
                                                                                                 (第3回に続く)

世論調査の対象から外されている若者こそ、安倍政権にノーの投票を

世論調査による世論誘導とその欺瞞を打ち破るには、若者の投票率を上げること、とりわけ安倍政権ノーの票を投ずることだ。
最近の報道各社の世論調査が、いつも同じような傾向を示していると感じる人は少なくないだろう。

 

 世論調査の方法は、多くの場合RDD(Random Digit Dialing)方式が採られている。これはコンピュータによってランダムに作り出した固定電話の番号に電話をかけて行うアンケートだ。当然、使われていない番号は飛ばし、回答してくれる人に繋がるまでこの作業を繰り返す。全体あるいは年代別で所定のサンプル数になるまで続ける。

ところで、固定電話の加入世帯が多かった時代には、こうした方法で集めたサンプルによってかなり正確に全体の傾向を推計できた。ところが、下のグラフから明らかなように20代~30代の世帯では固定電話の加入率が35%ほどになってしまっている。
サンプルの採り方にもよるだろうが、例えば20代の場合は、この年代の12%の、30代なら50%の傾向を表わすにすぎない。

更に、携帯電話・スマートホン等の普及によって、固定電話の性格も変わってきている。固定電話そのものが、一般的ツールから生活条件や職業上の理由に規定された特殊なツールに変わりつつあるということだ。これは、固定電話に加入している世帯の意識をも規定する、ひとつの条件と見てよいのではないか。

つまり、言いたい事はこうである。報道各社の選挙情勢にかかわる電話世論調査は、少なくとも若年層の意識動向を正確に反映していない。この調査が恰も正確な選挙情勢を反映しているかのような結果に終わるのは、若者の投票率の低さに助けられているからだ。
初めから世論調査の対象にもされていない若者が、大挙して安倍政権にノーの投票を叩きつけることこそ、マスコミの欺瞞、世論誘導を突き破る道だ。

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日米地位協定 ― 抜本改定なのか「運用改善」なのか

沖縄県民大会「強い感情を理解」=米

時事通信 6月21日(火)8時22分配信


【ワシントン時事】米国務省のカービー報道官は20日の記者会見で、沖縄県うるま市で起きた米軍属女性暴行・殺人事件に抗議する「沖縄県民大会」が開かれたことについて「(県民の)強い感情は理解している。私たちは彼らの懸念を深刻に受け止めている」と語った。

  
 ただ、大会決議に盛り込まれた日米地位協定の抜本改定に関しては「国防総省防衛省の間で既に(運用改善に向けた)検討を進めている」と従来の立場を強調。米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の閉鎖要求についても「(名護市辺野古への)移設を進める私たちの強固な決意は何も変わらない」と譲らなかった。

 この報道によると、「国防総省防衛省の間で既に(運用改善に向けた)検討を進めている」と語ったとの報道であるが(運用改善に向けた)があるかないかではまったく政治的な意味が変わってくる。この()内はどのような脈絡から、誰が付け加えたのか。
 もし、()のない文章にしたら、「従来の立場」とは全く逆の対応を迫られていると言うことを示すものであり、日本政府がそれを隠していると言うことになってしまうのだ。時事通信が会見の流れの中でそう判断したのか、あるいは明確にそう言ったのか(それなら、()はいらない筈だが)、もう少し丁寧な説明が必要だ。