正道有理のジャンクBOX

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― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

レーニン「なにをなすべきか?」学習ノート (第一回)

    目次  
 序 レーニン組織論の形成過程(末尾年表参照)
  1)「なにから始めるべきか」でレーニンが提起した三つの問題
  2)「われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙」
  3)『なにをなすべきか?』の意義
   ・プロレタリアートの組織性 ・「生きた人々」の意味
 第一章  教条主義と「批判の自由」   
  1)自然発生的高揚の始まり   2)「批判の自由」の新しい擁護者たち
  3)ロシアにおける批判   4)理論闘争の意義についてのエンゲルスの  所論
 第二章 大衆の自然発生性と社会民主主義者の意識性
  1)然発生的高揚の始まり  2)自然発生性への拝跪 『ラボーチャヤ・ムィスリ』
   ・いわゆる「外部注入論」について
  3)「自己解放団」と『ラボーチェエ・デーロ』
 第三章 組合主義的政治と社会民主主義的政治
  1)政治的扇動、および経済主義者がそれをせばめたこと
   ・「政治的扇動」の意味はなにか
  2)マルトィノフがプレハーノフを深めた話
  3)政治的暴露と「革命的積極性をそだてること」
   ・「労働過程」論と人間の意識=認識の形成についての考察
  4) 済主義とテロリズムには何か共通点があるか
  5)民主主義のための先進闘士としての労働者階級
  6)もう一度「中傷者」、もういちど「瞞着者」(略)
 第四章 経済主義者の手工業性と革命家の組織
  1)手工業性とはなにか?   2)手工業性と経済主義
  3)労働者の組織と革命家の組織
   ・労働者の組織と革命家の組織との区別と関連 
   ・専制下のロシアにおける労働者組織の建設
  4)組織活動の規模
   ・専門化と分散化、集中化と分業論に関する考察
  5)「陰謀」組織と「民主主義」  6)地方的活動と全国的活動
   ・全国的政治新聞の必要性 ・全国的政治新聞の性格とそのための組織条件
 第五章 全国的政治新聞の「計画」
  1)だれが論文「なにから始めるべきか?」に感情を害したか? (略)
  2)新聞は集団的組織者になることができるか
  3)われわれにはどのような型の組織が必要か

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

【序】「なにをなすべきか?」の背景と意義
 
1)「なにから始めるべきか」でレーニンが提起した三つの問題

 1800年代末のロシアでは、地方の社会主義者がそれぞればらばらにサークル的な活動を始めており、そのもとでプロレタリアートの自然発生的・組合主義的な闘いが急速に高揚を見せ始めていた。そして、地方の社会主義者のサークルはそうした労働
者階級に対する経済主義的宣伝・扇動、狭い枠の中での組織化ということに全精力を費やしていた。レーニンの「なにをなすべきか?」はそうしたサークル的、手工業運動の在り方に対し、単一の全国党組織への統合の必要性、経済主義的宣伝を専制政府打倒のための政治宣伝・扇動に置き換える必要があること、その為の集団的組織者としての役割を担うのが「全国的政治新聞」でなければならないと提起したのである。
   
 レーニンが序文で述べているように、当初は「なにからはじめるべきか」で提起した内容の具体化として
  ①政治的扇動の性格と主要な内容の問題
  ②われわれの組織上の諸任務の問題
  ③さまざまな方面から同時に全国的な戦闘組織を建設してゆく計画の問題というように組織建設上の極めて実践的な問題を提起する計画だった。

 だが、レーニンのこの計画に対する『経済主義者」との見解の相違は予想以上に根深かった。経済主義者との論争に決着をつけない限り、全国的な革命党の統一的建設を一歩も前に進めることはできないと考えたレーニンは、①と②について「意見が相違しているすべてについて」解説しながら「系統的に話し合う」試みをおこなった、と述べている(注)。

 しかし、意見の相違は想像以上に大きく、深刻なものだった。経済主義者との対話が成功しないことを知ったレーニンが、当初の非論争的な方法で行うつもりだった経済主義者に対する批判を論争的な方法に置き換え、論駁し尽くすものとして著したのが「なにをなすべきか?」である。

 本著作では、この①に対応する課題が第3章、②に対応する課題が第4章、③に対する課題が第5章として書かれており、また経済主義者の特質が理論闘争の軽視にあることを指摘し、この点にこそ科学としてのマルクス主義を否定し、卑俗化する根拠があることを明確にする為に第2章が当てられている。


 (注)『経済主義者の擁護者たちとの対話』(1901.5)
「この傾向はつぎのことを特徴としている。すなわち、原則的な点では、マルクス主義を卑俗化し、日和見主義の最新の一変種である今日の「批判」にたいして無力であること。
政治的な点では、政治的扇動と政治闘争をせばめ、あるいはこれを些末な事柄にとりかえようとつとめ、社会民主主義派は一般民主主義運動の指導権を自分の手に握ることなしには専制を転覆できないということを理解しないこと。戦術的な点では確固さをまったく欠いていること…。組織的な点では、運動の大衆的性格は、準備闘争であろうと、どのような思いがけない爆発であろうと、また最後に最終の決定的攻撃であろうと、そのどれをも指導する能力のある、強固な、中央集権化された、革命家の組織をつくりだすというわれわれの義務を…理解しないこ


2)「われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙」


  「なにをなすべきか?」の中でもそれぞれの課題について基本的な回答はあたえられているが、より実践的な組織建設上の問題意識やレーニンの構想は「われわれの組織上の任務について一同志に与える手紙」(1902.9)によって知ることが出来る。
 そこに貫かれているのは、徹底した党組織の防衛=秘密性を保持しながら中央集権化された組織をどう作るかということである。

  「運動の直接の実践的指導者となりうるのは、特別な中央グループ(これを中央委員会とでも名づけよう)だけであって・・・いっさいの全党的な仕事を指揮するものである。厳重な秘密活動を行い、運動の継承性を保つ必要があるため、わが党には二つの指導的中心、中央機関紙と中央委員会があってもよいし、なければならない。

 前者は思想的に指導し、後者は直接に実践的に指導しなければならない。この両グループのあいだの行動の統一と必要な意見の一致は、単一の党綱領によって保障されるだけでなく、両グループの構成に(互いに協調をたもつ人々がはいる必要がある)によっても、また、両者の定期的、恒常的な協議の制度によっても、保障されなければならない」と述べた上で、党員の意見を述べる権利については「すべての希望者の手紙がかならず編集局に伝達されること」「・・また活動の全参加者、ありとあらゆるサークルがその決議、要望、要請を委員会へも、また中央機関紙や中央委員会へでも通報する権利を持つようにすること」とし、「もちろん、できるだけ多数のありとあらゆる活動家の個人的協議を組織するように、このうえともに努力することは必要であるが、ここでの眼目は秘密活動である」と明確に述べている。

 さらに、「秘密活動の全技術は、いっさいのものを利用し、『すべてのものにそれぞれ仕事をあたえ』それと同時に、全運動の指導権を保持すること、いうまでもなく権力によってではなく権威の力によって、精力によって、より多くの熟練、より多くの多面性、より多くの才能の力によって保持されなければならない」また「ときには組織者として全然役にたたない人間が、かけがえのない扇動家であったり、厳重な秘密活動の堅忍性にたいして無能な人間が卓越した宣伝家であったりする等々のことを忘れずに」十分な分業を実施すること、言うなれば党員の実務的能
   力・専門的能力を十分に引き出すことの出来る任務配置の問題、指導の中央集権化と党員あるいは党に同調しているサークルの党に対する責任を出来るだけ分散化すること、などが述べられている。


 → 党員の専門的能力に応じた分業の実施とは、すなわち党への責任の分散であると同時に、個々に与えられた任務への使命感、責任感を最大限にひき出し得る形態でもある。適切な分業と専門化は、結果として党の任務全体への責任が貫徹されるということである。こうした形態をとり得るのは中央集権化した指導部と、そこでの適切な任務配置による以外にない。
 また、こうした中央集権的な実践指導と任務配置の専門化・分散化によってこそ厳格な秘密活動を維持することができるのであるが、そのためには党中央は運動のあらゆる事情や各組織が抱えている問題に熟知していることが前提となる。

 レーニンは一切の眼目を秘密活動としたうえで、定期的な組織的協議=討議に加え、可能な限り多くの活動家間での闊達な協議=討論を組織するよう求めていた。
 さらに、全ての希望者の手紙がかならず編集局や中央に伝達されること、つまりすべての党員の率直な意見、要望、要請を無条件に党中央に集中させることによって、秘密組織であるという制約のもとで、直接民主制にかわる党内民主主義を実現しようとしたのである。
    
 中央集権の組織が上意下達の官僚主義的で硬直したものに変質してしまうのは、この中央~ 細胞(党員)の対等な関係が歪められ、断たれてしまう結果だ。党員相互の討論を分派活動として禁じたり排斥する、あるいは地方組織の権限が強められ、下部の意見が却下または歪められる。いずれにしてもスターリン主義によって解体されてきたレーニン主義組織論が、あたかもそれ自身の中にスターリン主義発生の根拠があるかのように吹聴され、これに屈服して他の組織形態を模索するなど、いま現在も革命諸党派の組織論上の混迷と模索が続いている現状を打開しなければならない。

 スターリン主義を克服せんとした筈の反スタ党派が停滞、衰退、破綻を突きつけられる中、レーニン主義組織論の原点に立ち返って、その理解のしかたそのものを再検証することが必要であるように思われる。


 3)『なにをなすべきか?』の意義


 レーニンは、論集「12年間」(1907.11)の序文の中で『なにをなすべきか?』の意義について次のように述べている。

①この小冊子は、もはや論壇の諸潮流の中の右翼にたいする批判ではなく、社会民主党内の右翼にたいする批判にあてられている。(社会民主党内に生み出された「経済主義」との)意見の不一致の原因とイスクラ派の戦術、および組織活動の性格とを系統
的に叙述している。

②1901年と1902年のイスクラ派の戦術、イスクラ派の組織政策の総括である。まさに「総括」であって、それ以上でもなければ以下でもない。
 →1901年から02年当時の世界共産主義運動の流れ、ロシアの歴史的、政治的条件の中でイスクラ派がとった戦術とその総括であるということ(従って、それぞれの国の歴史的、政治的条件を考慮せずにそのまま当てはめるのではなく、普遍性と特殊性をしっかり読み取ること)

③『イスクラ』は、職業革命家の組織をつくりだすためにたたかった。・・当時優勢だった経済主義うち負かし、1903年には最終的にこの組織を創立した。

④わが党のこの最大の団結、堅固さおよび安定性を一体だれが実現し、これに生命をあたえたか? なによりも『イスクラ』の参加のもとにつくられた職業革命家の組織がそれをなしとげたのである。

⑤『なにをなすべきか?』は「真に革命的な、自然発生的に闘争にたちあがる階級」と結びついてはじめて、この闘争のなかでまもられる組織が意味をもつことを、くりかえし強調しているのである。だがプロレタリアートが、階級へ結合する最大の能力を
 客観的にもっているとしても、この能力は、生きた人々によってしか実現されないし、特定の組織形態でしか実現されない。そしてイスクラ組織のほかには他のどんな組織も……このような社会民主労働党を創立することはできなかった…。


 プロレタリアートの組織性】
 「プロレタリアートの組織性」とは資本主義的生産がもつ歴史的、経済的条件に規定され主体的には自らの労働力を資本に売る以外には生産手段を持たず、したがってより高く労働力を売るために自然発生的に団結する能力をもった階級であること、客観的には資本主義的生産そのものが、その担い手である労働者に組織的である(協業と分業)ことを求め、そのために訓練するということである。

 そのことは、他方では不断にブルジョアイデオロギーに晒され、自らの利益のためではなく資本の利益のためにのみ組織的であるように(そうすることが労働者自身にとっての利益でもあるかのような幻想すら与えて)、またそうしなければ生きられないように強制されるということである。
  
 【「生きた人々」の意味】
 レーニンは労働者階級の自然発生性を軽視していたわけではない。逆に「真に革命的な、自然発生的に闘争にたちあがる階級」と結びつかなければ革命的組織は意味を持たないと言っている。そのうえで、プロレタリアートが階級に結合する能力を客観的に持っているとしても、そのままでは革命に突き進むことはできないと指摘している。

 では、そのあとの「生きた人々」とはどういう意味なのか。労働者階級は賃金奴隷として一日の一定時間、その労働力の行使を資本の処分に委ねる。労働から解放され家に帰って食事をし、家族と過ごし、体調を整え休養をとる、あるいは街に出て買い物をしたり趣味のために時間を費やす等々がつかの間の人間性をとりもどす時間だといってもよいだろう。

ところで、その私的生活そのものさえ国家によって収奪され、監視され政治的抑圧や迫害に満たされていないだろうか。労働者階級が革命に突き進むためには資本との関係で自然発生的に団結して闘うのみならず、こうした人間生活のすべての面における政治的表れを資本とその政治権力=国家を打倒すための政治闘争に集約していくことが必要なのだ。まさに「生きた人々」をとらえることのできる組織がなければ革命はできないということなのである。


 第一章  教条主義と「批判の自由」


 1)「批判の自由」とはなにか?

 「今日の国際的な社会民主主義派のなかに二つの傾向ができあがっている…」「批判の自由」の名のもとに、①『古い、教条主義的』(だとの汚名を着せられている)マルクス主義の潮流と
②この『批判的』態度をとっている『新しい』傾向

 → 「イギリスのフェビアン派も、フランスの入閣論者(=ミルラン、急進社会党から転向し後に、第12代大統領になった人物)も、ドイツのベルンシュタイン主義者もすべてこうした連中は一家族をなして」いる。

 → ベルンシュタインらの主張とは、①社会主義を科学的に基礎付け、その必然性・不可避性を唯物史観の見地から立証することを否定すること。②したがって、社会主義自由主義は原則的に対立するものであることを否定し、社会革命の党を社会改良の
党へと変質させようとするものである。③階級闘争の理論は、多数の意思にしたがって統治される厳密な民主主義社会とは相容れないと主張し、かつ「終局目標」の概念すなわちプロレタリア独裁の思想を排撃することである。


 これは「革命的社会民主主義からブルジョア社会改良主義にむかって決定的に転換せよ、という要求」であり、それは「マルクス主義のすべての基本的思想のブルジョア的批判への転換」をともなっておこなわれた。
   
 つまり、国際社会民主主義内の新しい潮流とは「…日和見主義の新しい変種以外のなにものでも」ないし、また「『批判の自由』とは、社会民主主義派内の日和見主義的傾向の自由であり、社会民主主義を民主主義的改良党に変える自由であり、社会民
主主義の中にブルジョア思想とブルジョア的要素とを植えつける自由である」


 「自由とは偉大なことばではある。しかし産業の自由という旗印のもとで最も強盗的な戦争がおこなわれてきたし、労働の自由という旗印のもとで労働者は略奪されてきた。『批判の自由』ということばの今日の使い方にも、これと同じ内面的虚偽がひそんでいる」

 「自分の手で科学を前進させたと真に確信している人なら、古い見解とならんで新しい見解を要求するのではなく古い見解を新しい見解と置き換えることを要求するはずである」(P19)


 → 日和見主義の特徴は、彼らがマルクス主義の理論を真っ向から否定、あるいは論駁をせず、部分的にこっそりとすり替えて、なにか新しい革命的な見解を見出したかのように吹聴し、社会科学として確立されたマルクス主義の体系的理論を歪曲・破壊することにある。
   
 2)「批判の自由」の新しい擁護者たち


 「批判の自由」を『ラボーチェエ・デーロ』が政治的要求として提出した。
 これは「国際社会民主主義派内の日和見主義的傾向全体の弁護を引き受けるということ」であり「ロシア社会民主主義派内の日和見主義の自由を要求しているということである」

 ・『ラボーチェエ・デーロ』の主張
 「今日の社会主義運動のなかには階級利害の衝突というようなものはない。この運動全体が、…ベルンシュタイン主義者までも含めて…すべて、プロレタリアートの階級利害の基盤に、政治的および経済的解放をめざすプロレタリアート階級闘争の基盤に立っている」
 ・レーニンは、国際社会民主主義内の日和見主義的潮流がフランス、ドイツでどのように現れたかを明らかにし、つぎにロシアにおける社会民主主義派内の日和見主義、その代弁者である『ラボーチェエ・デーロ』が、自分たちの見解として真っ向から押し
出さないやり方、自分の論拠を明らかにしないやり方で日和見主義を擁護していることを暴露している。

 →ドイツの「猿まね」、ロシアにおける『ラボーチェエ・デーロ』の「かくれんぼう遊び」とは、このように隠然と日和見主義を持ち込み、あるいは自分の見解をかくして日和見主義を擁護することをさしている。
 ・世界の共産主義運動の中で「それぞれの条件や歴史性に照応し形態を変えて登場してくる日和見主義」は、常にマルクス主義を語りつつ、それを正面から理論的に否定するのではなく、部分的にすりかえ「新理論」のように見せかけるという点で共通して
いる。


 3)ロシアにおける批判


  ロシアの事情と特徴
 → 革命的マルクス主義と「『合法マルクス主義』の蜜月」
 「たとえ信頼できない人々とでも、一時的同盟を結ぶことをおそれるのは、自分で自分を信頼しない人々だけがやれることである。それにこのような同盟をむすばずにやっていける政党は、ただの一つもないであろう」

 レーニンは「合法マルクス主義」が権力に許容されたインテリゲンチャの運動ではあるが、非合法下のロシアにおいて、マルクス主義理論を普及するのに一定の役割を果たしたことを評価しつつ、このような「同盟をむすぶための不可欠の条件」は、それ(マルクス主義の理論)によって「働者階級とブルジョアジーの利益とが敵対的なものであることを労働者階級に明らかにする完全な可能性をもっている」ことだと述べている。

  → ところが典型的には『クレード』の主張として顕在化した、ロシアにおける社会民主主義運動は、合法的批判(「合法マルクス主義者」が権力に許容されたベルンシュタイン主義に転向し、階級対立は緩和していると説く潮流)と非合法的経済主義との潮流が結びつき蜜月を形成している。

 「社会革命やプロレタリアートの独裁などの思想を不条理な考えであると宣言し、労働運動と階級闘争を狭い組合主義と小さい斬進的改良のための『現実主義的』闘争とに帰着させること」によって、この(同盟を結ぶための条件)可能性は否定された「これは、ブルジョア民主主義者が社会主義の自主権を、したがってまたその生存権を否定した」に等しいのだと批判している。
   
(補1)ロシア資本主義がツアー専制によるボナパルティズム的支配のもとに成立してきたという特殊歴史性に規定され、はじめのうちは専制の打倒という点でブルジョアインテリゲンチャとの同盟関係を形成できたが、資本の成長とともに次第にプロレタリアートブルジョアジーとの対立が顕在化してきたと言うことであり、歴史の必然なのかもしれない。それはレーニンの組織論、革命論の形成過程とも密接に関係していると思われる。


(補2)革命党の任務は労働者階級を宣伝・扇動を通して教育し、ブルジョアジーによるイデオロギーのくびきから切り離し、階級意識を高めていくことであり、その可能性と条件がある限り、政府に反対し抵抗するあらゆる勢力と同盟を結ぶことは可    能だし、しなければならない。レーニンは一貫してこうした立場を主張しているのである。
       
 「ボルシェビズムの歴史全体を通じて、十月革命の前にも後にも、迂回政策や協調政策、ブルジョア政党をはじめとする他の政党との妥協の例がいっぱいある……」と述べて、多くの例を引きながら、「しかも同時に、ブルジョア自由主義に対し、また労働運動内部のブルジョア自由主義の影響の最も小さな現れに対しても、きわめて容赦ない、思想的な、政治的な闘争を行う術を知っており、それを中止しなかった」                (『共産主義における「左翼」小児病』)


 レーニンとボルシェビキは専制と闘うあらゆる勢力との同盟=統一戦線を重視したし、そのために闘いの方向性がそらされるという危険性が常にはらんでいることも自覚していた。だからこそ党が自分自身を見失わないための理論闘争が重要であることを強調し、党内での理論上の曖昧さ、不一致を克服するために闘ったのである。
 逆説的に言えば、理論闘争を軽視するものは広範な勢力との統一戦線を恐れ、偏狭な独善的組織へと自分を追い込んでいく以外ない。
 
 4)理論闘争の意義についてのエンゲルスの所論

 『ラボーチェエ・デーロ』の「教条主義、空論主義」「思想の硬直化」等々の批判は「理論的思考の発展にたいする無頓着と無力を隠すもの」「悪名高い批判の自由なるものが、ある理論を別な理論と置きかえることではなく、いっさいの、まとまりのある、考え抜かれた理論からの自由を意味し、折衷主義と無原則性を意味する」(→すなわち原則の否定)。
 レーニンは、こうした理論的思考への無頓着や無原則性があらわれる原因が、①マルクス主義の広範な普及にともなって理論水準がある程度低下したこと  ②運動が実践的意義を持ち、また実践的成功をおさめるようになって理論的素養の乏しい人々、それどころか全然そういう素養のない人々までが大ぜい運動に参加してきたという点を指摘しつつ、『ラボーチェエ・デーロ』の主張は「マルクスの名において理論の意義を弱めよう」とするものだと断罪し、その例として「『現実の運動の一歩一歩は1ダースの綱領よりも重要である』というマルクスの金言を勝ち誇ったようにもちだして」いることを例にあげ、この的外れで無頓着な引用(※注)に見られるものこそは理論の軽視に他ならないと喝破している。
  

 ※注→このマルクスの言葉というのは、ゴータ綱領がアイゼナッハ派に譲歩し折衷主義的になってしまったことを総括して、マルクスエンゲルスが「綱領よりも重い教訓を得た」という意味で言ったもので「もし、是非とも提携しなければならないのなら運動の実際的目的を満たすために協定をむすぶがよい。けれども、原則の取引を許してはならない。理論上の『譲歩』をしてはならない」といっているのであり、原則を曖昧にしたまま運動の拡がりのみ目的にすることを戒めているのだ。


 次に、レーニンはエンゲルスの『ドイツ農民戦争』の序文を引用し、理論活動は労働運動の勝利のために必要であるとともに、それは労働運動の指導者にとっての義務でもあることを確認している。
 
 「エンゲルスは、社会民主党の大きな闘争の形態として、二つのもの(政治闘争と経済闘争)をみとめるのではなく、――わが国ではこうするのがふつうであるが――理論闘争をこの二つと同列において三つの形態をみとめている」
 労働者階級が潜在的に革命的能力を持っているにもかかわらず、それを自覚し得ないのはなぜなのか。イギリスやフランス、スペインその他の労働者階級がすばらしい戦闘性、組織性を発揮しながらも後退を余儀なくされ、異質なものになってしまったのはなぜか。それを理論活動に秀でたドイツの革命党建設と対比しながら考察し、革命党、とりわけその指導者の義務として理論的研究が重要なのだということを述べている。レーニンはマルクスエンゲルスの問題意識を実践的に継承・発展させるものとして前衛党組織論を確立し、そうすることによってはじめてロシア革命の基礎がつくられたのである。
   
 (ドイツの労働者がヨーロッパの他の国々の労働者と比べて理論的感覚をもっていたこと、イギリスの労働組合やフランスの経済闘争の先例に学ぶことができるという利点を生かすことで)「労働運動が生まれていらい、ここにはじめて闘争は、その三つの側面――理論的側面、政治的側面、実際的・経済的側面(資本家に対する反抗)にわたって、調和と関連をもちつつ、計画的に行われている」ここにドイツの運動の強さと不敗の力がある。そうであれば、なおさら「指導者の義務は、あらゆる理論的問題についてますます自分の理解をふかめ、古い世界観につきものの伝来の空文句の影響をますます脱却し、そして社会主義が科学となったからには、また科学としてとりあつかわなければならないこと、すなわち研究しなければならないことをたえず心にとめておくことで
  あろう」<エンゲルスの『ドイツ農民戦争』序文> P45)

  
 第一章でレーニンが提起していることは、
  ①指導者が理論活動の義務(研究)を果たし
  ②そこで獲得された理解を党派闘争と労働者階級の理論的感覚を形成するために適用しなければならない、ということ。
  → 革命的理論なしには革命的運動もありえない」
                                <第二回に続く>


  【レーニンと組織論形成過程】

1895年 10月 「闘争同盟」メンバー一斉検挙
1895年 末~96年夏 レーニンは獄中で『社会民主党綱領草案と解説』を執筆
1898年   ロシア社会民主労働党第一回大会)
1899年   ドイツ社会民主党のベルンシュタインが公然とプロ独に反対する改良運動を提案。ロシアの「経済主義者」グループが『青年組のクレード(信条)』を発表
1899年 8~9月 レーニン「クレード」に対し『ロシア社会民主主義者の抗議』 『われわれの綱領』『われわれの当面の任務』を執筆し反論
1900年 1月 シベリア流刑を終え、1899.7月に出国したレーニンはジュネーブでプレハーノフらと合流
  12月 「イスクラ」創刊号発刊。経済主義者との闘争開始
1901年 5月 『なにから始めるべきか』(「イスクラ」第4号) 『経済主義者の擁護者たちとの対話』
1902年 2月 『なにをなすべきか?』執筆
  9月 『われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙』 (→1904.01にジュネーブで小冊子として再刊)
1903年 8月 (ロシア社会民主党第二回大会)
1904年 1月 『一歩前進、二歩後退』(第二回大会の総括と分析)
1905年   血の日曜日」~1905年革命 /(ロシア社会民主党第三回大会)中央機関を中央委員会に一本化(編集局との並立を廃止)、中央委員の選出に選挙制を適用
1906年   (ロシア社会民主党第四回大会)/中央委員会が編集局を任命するという組織原則を打ち出す。各級レベルでの選挙実施を原則化するよう提案

引越し準備中

開店休業状態のウェブリブログから引越しを始めました…
 ど素人が、どんだけ頑張っても納得のいくデザインなんてできないと悟ったことが今日の収穫。

尖閣・竹島は『日本の固有領土』論のウソを暴く

 政府は「尖閣諸島竹島は日本固有の領土」(だから「中国、韓国の領有権主張は日本の主権を侵害するものだ」)と言い、殆どすべての勢力も我こそが国益を代表していると言わんばかりに国益主義・排外主義を煽っている。そしてこの『日本の固有領土』論は、恐るべきことではあるが、現行の様々な社会機構を媒介にして、また学校教育の場を経由して多くの国民に吹き込まれているということである。

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アベノミクスとは1%の巨大資本の利益の為に、民衆を奴隷の道に叩き込む新自由主義政策だ

 安倍首相はトップセールスと称して、この2年の間に7兆円にも及ぶ海外経済支援をばら撒き続けてきた。ここには日本の上位企業・多国籍資本とそのグループの経営陣が同行した。一方では金融緩和によって紙幣を大量に吐き出し、それを世界に撒き散らす。これとセットで鉄道・港湾・道路等のインフラの整備、原発輸出、防衛協力と言う名の武器技術の開発・輸出等の協定が結ばれ、或いは詰めの協議が行われてきた。

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安倍政権は官僚機構の肥大化がもたらしたクーデター政権だ

 安倍政権はクーデター政権なのか?
 クーデターという言葉、歴史を考えると軍事的・暴力的な政権の掌握―憲法の停止―地方権力の掌握…といったイメージがある。
 しかし、日本の場合、軍部=自衛隊の政治への介入は厳しく制限されてきた。それに代わって官僚機構が巨大な権力と利権構造を作り上げている。これまでも、総選挙によって国会での勢力比が変わり、あるいは政党内の権力闘争の結果、財界主流=巨大資本にとって意に沿わない政権が誕生することはあった。その場合には、それを排除あるいは短命に終わらせるために、官僚機構はあらゆる方面に触手を延ばし主導権を握ってきた。小沢一郎氏の「陸山会事件」がいい例である。

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一瞬にして20万人以上の広島市民の命を奪った原爆では、飛散した放射性物質が黒い雨となって降り注いだほか上昇気流にのって拡散し、残留放射能の影響は少なかったとされる。にも拘わらず、30万とも50万とも言われる二次被曝者や被曝二世が遺伝性障害の不安に苛まれ、謂れ無き就職や結婚の差別に苦しんできた。
 

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