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正道有理のジャンクBOX

― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

レーニン「なにをなすべきか?」学習ノート (第一回)

理論と学習

    目次  
 序 レーニン組織論の形成過程(末尾年表参照)
  1)「なにから始めるべきか」でレーニンが提起した三つの問題
  2)「われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙」
  3)『なにをなすべきか?』の意義
   ・プロレタリアートの組織性 ・「生きた人々」の意味
 第一章  教条主義と「批判の自由」   
  1)自然発生的高揚の始まり   2)「批判の自由」の新しい擁護者たち
  3)ロシアにおける批判   4)理論闘争の意義についてのエンゲルスの所論
 第二章 大衆の自然発生性と社会民主主義者の意識性
  1)然発生的高揚の始まり  2)自然発生性への拝跪 『ラボーチャヤ・ムィスリ』
   ・いわゆる「外部注入論」について
  3)「自己解放団」と『ラボーチェエ・デーロ』
 第三章 組合主義的政治と社会民主主義的政治
  1)政治的扇動、および経済主義者がそれをせばめたこと
   ・「政治的扇動」の意味はなにか
  2)マルトィノフがプレハーノフを深めた話
  3)政治的暴露と「革命的積極性をそだてること」
   ・「労働過程」論と人間の意識=認識の形成についての考察
  4) 済主義とテロリズムには何か共通点があるか
  5)民主主義のための先進闘士としての労働者階級
  6)もう一度「中傷者」、もういちど「瞞着者」(略)
 第四章 経済主義者の手工業性と革命家の組織
  1)手工業性とはなにか?   2)手工業性と経済主義
  3)労働者の組織と革命家の組織
   ・労働者の組織と革命家の組織との区別と関連 
   ・専制下のロシアにおける労働者組織の建設
  4)組織活動の規模
   ・専門化と分散化、集中化と分業論に関する考察
  5)「陰謀」組織と「民主主義」  6)地方的活動と全国的活動
   ・全国的政治新聞の必要性 ・全国的政治新聞の性格とそのための組織条件
 第五章 全国的政治新聞の「計画」
  1)だれが論文「なにから始めるべきか?」に感情を害したか? (略)
  2)新聞は集団的組織者になることができるか
  3)われわれにはどのような型の組織が必要か

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【序】「なにをなすべきか?」の背景と意義
 
1)「なにから始めるべきか」でレーニンが提起した三つの問題

 1800年代末のロシアでは、地方の社会主義者がそれぞればらばらにサークル的な活動を始めており、そのもとでプロレタリアートの自然発生的・組合主義的な闘いが急速に高揚を見せ始めていた。そして、地方の社会主義者のサークルはそうした労働
者階級に対する経済主義的宣伝・扇動、狭い枠の中での組織化ということに全精力を費やしていた。レーニンの「なにをなすべきか?」はそうしたサークル的、手工業運動の在り方に対し、単一の全国党組織への統合の必要性、経済主義的宣伝を専制政府打倒のための政治宣伝・扇動に置き換える必要があること、その為の集団的組織者としての役割を担うのが「全国的政治新聞」でなければならないと提起したのである。
   
 レーニンが序文で述べているように、当初は「なにからはじめるべきか」で提起した内容の具体化として
  ①政治的扇動の性格と主要な内容の問題
  ②われわれの組織上の諸任務の問題
  ③さまざまな方面から同時に全国的な戦闘組織を建設してゆく計画の問題というように組織建設上の極めて実践的な問題を提起する計画だった。

 だが、レーニンのこの計画に対する『経済主義者」との見解の相違は予想以上に根深かった。経済主義者との論争に決着をつけない限り、全国的な革命党の統一的建設を一歩も前に進めることはできないと考えたレーニンは、①と②について「意見が相違しているすべてについて」解説しながら「系統的に話し合う」試みをおこなった、と述べている(注)。

 しかし、意見の相違は想像以上に大きく、深刻なものだった。経済主義者との対話が成功しないことを知ったレーニンが、当初の非論争的な方法で行うつもりだった経済主義者に対する批判を論争的な方法に置き換え、論駁し尽くすものとして著したのが「なにをなすべきか?」である。

 本著作では、この①に対応する課題が第3章、②に対応する課題が第4章、③に対する課題が第5章として書かれており、また経済主義者の特質が理論闘争の軽視にあることを指摘し、この点にこそ科学としてのマルクス主義を否定し、卑俗化する根拠があることを明確にする為に第2章が当てられている。


 (注)『経済主義者の擁護者たちとの対話』(1901.5)
「この傾向はつぎのことを特徴としている。すなわち、原則的な点では、マルクス主義を卑俗化し、日和見主義の最新の一変種である今日の「批判」にたいして無力であること。
政治的な点では、政治的扇動と政治闘争をせばめ、あるいはこれを些末な事柄にとりかえようとつとめ、社会民主主義派は一般民主主義運動の指導権を自分の手に握ることなしには専制を転覆できないということを理解しないこと。戦術的な点では確固さをまったく欠いていること…。組織的な点では、運動の大衆的性格は、準備闘争であろうと、どのような思いがけない爆発であろうと、また最後に最終の決定的攻撃であろうと、そのどれをも指導する能力のある、強固な、中央集権化された、革命家の組織をつくりだすというわれわれの義務を…理解しないこ


2)「われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙」


  「なにをなすべきか?」の中でもそれぞれの課題について基本的な回答はあたえられているが、より実践的な組織建設上の問題意識やレーニンの構想は「われわれの組織上の任務について一同志に与える手紙」(1902.9)によって知ることが出来る。
 そこに貫かれているのは、徹底した党組織の防衛=秘密性を保持しながら中央集権化された組織をどう作るかということである。

  「運動の直接の実践的指導者となりうるのは、特別な中央グループ(これを中央委員会とでも名づけよう)だけであって・・・いっさいの全党的な仕事を指揮するものである。厳重な秘密活動を行い、運動の継承性を保つ必要があるため、わが党には二つの指導的中心、中央機関紙と中央委員会があってもよいし、なければならない。

 前者は思想的に指導し、後者は直接に実践的に指導しなければならない。この両グループのあいだの行動の統一と必要な意見の一致は、単一の党綱領によって保障されるだけでなく、両グループの構成に(互いに協調をたもつ人々がはいる必要がある)によっても、また、両者の定期的、恒常的な協議の制度によっても、保障されなければならない」と述べた上で、党員の意見を述べる権利については「すべての希望者の手紙がかならず編集局に伝達されること」「・・また活動の全参加者、ありとあらゆるサークルがその決議、要望、要請を委員会へも、また中央機関紙や中央委員会へでも通報する権利を持つようにすること」とし、「もちろん、できるだけ多数のありとあらゆる活動家の個人的協議を組織するように、このうえともに努力することは必要であるが、ここでの眼目は秘密活動である」と明確に述べている。

 さらに、「秘密活動の全技術は、いっさいのものを利用し、『すべてのものにそれぞれ仕事をあたえ』それと同時に、全運動の指導権を保持すること、いうまでもなく権力によってではなく権威の力によって、精力によって、より多くの熟練、より多くの多面性、より多くの才能の力によって保持されなければならない」また「ときには組織者として全然役にたたない人間が、かけがえのない扇動家であったり、厳重な秘密活動の堅忍性にたいして無能な人間が卓越した宣伝家であったりする等々のことを忘れずに」十分な分業を実施すること、言うなれば党員の実務的能
   力・専門的能力を十分に引き出すことの出来る任務配置の問題、指導の中央集権化と党員あるいは党に同調しているサークルの党に対する責任を出来るだけ分散化すること、などが述べられている。


 → 党員の専門的能力に応じた分業の実施とは、すなわち党への責任の分散であると同時に、個々に与えられた任務への使命感、責任感を最大限にひき出し得る形態でもある。適切な分業と専門化は、結果として党の任務全体への責任が貫徹されるということである。こうした形態をとり得るのは中央集権化した指導部と、そこでの適切な任務配置による以外にない。
 また、こうした中央集権的な実践指導と任務配置の専門化・分散化によってこそ厳格な秘密活動を維持することができるのであるが、そのためには党中央は運動のあらゆる事情や各組織が抱えている問題に熟知していることが前提となる。

 レーニンは一切の眼目を秘密活動としたうえで、定期的な組織的協議=討議に加え、可能な限り多くの活動家間での闊達な協議=討論を組織するよう求めていた。
 さらに、全ての希望者の手紙がかならず編集局や中央に伝達されること、つまりすべての党員の率直な意見、要望、要請を無条件に党中央に集中させることによって、秘密組織であるという制約のもとで、直接民主制にかわる党内民主主義を実現しようとしたのである。
    
 中央集権の組織が上意下達の官僚主義的で硬直したものに変質してしまうのは、この中央~ 細胞(党員)の対等な関係が歪められ、断たれてしまう結果だ。党員相互の討論を分派活動として禁じたり排斥する、あるいは地方組織の権限が強められ、下部の意見が却下または歪められる。いずれにしてもスターリン主義によって解体されてきたレーニン主義組織論が、あたかもそれ自身の中にスターリン主義発生の根拠があるかのように吹聴され、これに屈服して他の組織形態を模索するなど、いま現在も革命諸党派の組織論上の混迷と模索が続いている現状を打開しなければならない。

 スターリン主義を克服せんとした筈の反スタ党派が停滞、衰退、破綻を突きつけられる中、レーニン主義組織論の原点に立ち返って、その理解のしかたそのものを再検証することが必要であるように思われる。


 3)『なにをなすべきか?』の意義


 レーニンは、論集「12年間」(1907.11)の序文の中で『なにをなすべきか?』の意義について次のように述べている。

①この小冊子は、もはや論壇の諸潮流の中の右翼にたいする批判ではなく、社会民主党内の右翼にたいする批判にあてられている。(社会民主党内に生み出された「経済主義」との)意見の不一致の原因とイスクラ派の戦術、および組織活動の性格とを系統
的に叙述している。

②1901年と1902年のイスクラ派の戦術、イスクラ派の組織政策の総括である。まさに「総括」であって、それ以上でもなければ以下でもない。
 →1901年から02年当時の世界共産主義運動の流れ、ロシアの歴史的、政治的条件の中でイスクラ派がとった戦術とその総括であるということ(従って、それぞれの国の歴史的、政治的条件を考慮せずにそのまま当てはめるのではなく、普遍性と特殊性をしっかり読み取ること)

③『イスクラ』は、職業革命家の組織をつくりだすためにたたかった。・・当時優勢だった経済主義うち負かし、1903年には最終的にこの組織を創立した。

④わが党のこの最大の団結、堅固さおよび安定性を一体だれが実現し、これに生命をあたえたか? なによりも『イスクラ』の参加のもとにつくられた職業革命家の組織がそれをなしとげたのである。

⑤『なにをなすべきか?』は「真に革命的な、自然発生的に闘争にたちあがる階級」と結びついてはじめて、この闘争のなかでまもられる組織が意味をもつことを、くりかえし強調しているのである。だがプロレタリアートが、階級へ結合する最大の能力を
 客観的にもっているとしても、この能力は、生きた人々によってしか実現されないし、特定の組織形態でしか実現されない。そしてイスクラ組織のほかには他のどんな組織も……このような社会民主労働党を創立することはできなかった…。


 プロレタリアートの組織性】
 「プロレタリアートの組織性」とは資本主義的生産がもつ歴史的、経済的条件に規定され主体的には自らの労働力を資本に売る以外には生産手段を持たず、したがってより高く労働力を売るために自然発生的に団結する能力をもった階級であること、客観的には資本主義的生産そのものが、その担い手である労働者に組織的である(協業と分業)ことを求め、そのために訓練するということである。

 そのことは、他方では不断にブルジョアイデオロギーに晒され、自らの利益のためではなく資本の利益のためにのみ組織的であるように(そうすることが労働者自身にとっての利益でもあるかのような幻想すら与えて)、またそうしなければ生きられないように強制されるということである。
  
 【「生きた人々」の意味】
 レーニンは労働者階級の自然発生性を軽視していたわけではない。逆に「真に革命的な、自然発生的に闘争にたちあがる階級」と結びつかなければ革命的組織は意味を持たないと言っている。そのうえで、プロレタリアートが階級に結合する能力を客観的に持っているとしても、そのままでは革命に突き進むことはできないと指摘している。

 では、そのあとの「生きた人々」とはどういう意味なのか。労働者階級は賃金奴隷として一日の一定時間、その労働力の行使を資本の処分に委ねる。労働から解放され家に帰って食事をし、家族と過ごし、体調を整え休養をとる、あるいは街に出て買い物をしたり趣味のために時間を費やす等々がつかの間の人間性をとりもどす時間だといってもよいだろう。

ところで、その私的生活そのものさえ国家によって収奪され、監視され政治的抑圧や迫害に満たされていないだろうか。労働者階級が革命に突き進むためには資本との関係で自然発生的に団結して闘うのみならず、こうした人間生活のすべての面における政治的表れを資本とその政治権力=国家を打倒すための政治闘争に集約していくことが必要なのだ。まさに「生きた人々」をとらえることのできる組織がなければ革命はできないということなのである。


 第一章  教条主義と「批判の自由」


 1)「批判の自由」とはなにか?

 「今日の国際的な社会民主主義派のなかに二つの傾向ができあがっている…」「批判の自由」の名のもとに、①『古い、教条主義的』(だとの汚名を着せられている)マルクス主義の潮流と
②この『批判的』態度をとっている『新しい』傾向

 → 「イギリスのフェビアン派も、フランスの入閣論者(=ミルラン、急進社会党から転向し後に、第12代大統領になった人物)も、ドイツのベルンシュタイン主義者もすべてこうした連中は一家族をなして」いる。

 → ベルンシュタインらの主張とは、①社会主義を科学的に基礎付け、その必然性・不可避性を唯物史観の見地から立証することを否定すること。②したがって、社会主義自由主義は原則的に対立するものであることを否定し、社会革命の党を社会改良の
党へと変質させようとするものである。③階級闘争の理論は、多数の意思にしたがって統治される厳密な民主主義社会とは相容れないと主張し、かつ「終局目標」の概念すなわちプロレタリア独裁の思想を排撃することである。


 これは「革命的社会民主主義からブルジョア社会改良主義にむかって決定的に転換せよ、という要求」であり、それは「マルクス主義のすべての基本的思想のブルジョア的批判への転換」をともなっておこなわれた。
   
 つまり、国際社会民主主義内の新しい潮流とは「…日和見主義の新しい変種以外のなにものでも」ないし、また「『批判の自由』とは、社会民主主義派内の日和見主義的傾向の自由であり、社会民主主義を民主主義的改良党に変える自由であり、社会民
主主義の中にブルジョア思想とブルジョア的要素とを植えつける自由である」


 「自由とは偉大なことばではある。しかし産業の自由という旗印のもとで最も強盗的な戦争がおこなわれてきたし、労働の自由という旗印のもとで労働者は略奪されてきた。『批判の自由』ということばの今日の使い方にも、これと同じ内面的虚偽がひそんでいる」

 「自分の手で科学を前進させたと真に確信している人なら、古い見解とならんで新しい見解を要求するのではなく古い見解を新しい見解と置き換えることを要求するはずである」(P19)


 → 日和見主義の特徴は、彼らがマルクス主義の理論を真っ向から否定、あるいは論駁をせず、部分的にこっそりとすり替えて、なにか新しい革命的な見解を見出したかのように吹聴し、社会科学として確立されたマルクス主義の体系的理論を歪曲・破壊することにある。
   
 2)「批判の自由」の新しい擁護者たち


 「批判の自由」を『ラボーチェエ・デーロ』が政治的要求として提出した。
 これは「国際社会民主主義派内の日和見主義的傾向全体の弁護を引き受けるということ」であり「ロシア社会民主主義派内の日和見主義の自由を要求しているということである」

 ・『ラボーチェエ・デーロ』の主張
 「今日の社会主義運動のなかには階級利害の衝突というようなものはない。この運動全体が、…ベルンシュタイン主義者までも含めて…すべて、プロレタリアートの階級利害の基盤に、政治的および経済的解放をめざすプロレタリアート階級闘争の基盤に立っている」
 ・レーニンは、国際社会民主主義内の日和見主義的潮流がフランス、ドイツでどのように現れたかを明らかにし、つぎにロシアにおける社会民主主義派内の日和見主義、その代弁者である『ラボーチェエ・デーロ』が、自分たちの見解として真っ向から押し
出さないやり方、自分の論拠を明らかにしないやり方で日和見主義を擁護していることを暴露している。

 →ドイツの「猿まね」、ロシアにおける『ラボーチェエ・デーロ』の「かくれんぼう遊び」とは、このように隠然と日和見主義を持ち込み、あるいは自分の見解をかくして日和見主義を擁護することをさしている。
 ・世界の共産主義運動の中で「それぞれの条件や歴史性に照応し形態を変えて登場してくる日和見主義」は、常にマルクス主義を語りつつ、それを正面から理論的に否定するのではなく、部分的にすりかえ「新理論」のように見せかけるという点で共通して
いる。


 3)ロシアにおける批判


  ロシアの事情と特徴
 → 革命的マルクス主義と「『合法マルクス主義』の蜜月」
 「たとえ信頼できない人々とでも、一時的同盟を結ぶことをおそれるのは、自分で自分を信頼しない人々だけがやれることである。それにこのような同盟をむすばずにやっていける政党は、ただの一つもないであろう」

 レーニンは「合法マルクス主義」が権力に許容されたインテリゲンチャの運動ではあるが、非合法下のロシアにおいて、マルクス主義理論を普及するのに一定の役割を果たしたことを評価しつつ、このような「同盟をむすぶための不可欠の条件」は、それ(マルクス主義の理論)によって「働者階級とブルジョアジーの利益とが敵対的なものであることを労働者階級に明らかにする完全な可能性をもっている」ことだと述べている。

  → ところが典型的には『クレード』の主張として顕在化した、ロシアにおける社会民主主義運動は、合法的批判(「合法マルクス主義者」が権力に許容されたベルンシュタイン主義に転向し、階級対立は緩和していると説く潮流)と非合法的経済主義との潮流が結びつき蜜月を形成している。

 「社会革命やプロレタリアートの独裁などの思想を不条理な考えであると宣言し、労働運動と階級闘争を狭い組合主義と小さい斬進的改良のための『現実主義的』闘争とに帰着させること」によって、この(同盟を結ぶための条件)可能性は否定された「これは、ブルジョア民主主義者が社会主義の自主権を、したがってまたその生存権を否定した」に等しいのだと批判している。
   
(補1)ロシア資本主義がツアー専制によるボナパルティズム的支配のもとに成立してきたという特殊歴史性に規定され、はじめのうちは専制の打倒という点でブルジョアインテリゲンチャとの同盟関係を形成できたが、資本の成長とともに次第にプロレタリアートブルジョアジーとの対立が顕在化してきたと言うことであり、歴史の必然なのかもしれない。それはレーニンの組織論、革命論の形成過程とも密接に関係していると思われる。


(補2)革命党の任務は労働者階級を宣伝・扇動を通して教育し、ブルジョアジーによるイデオロギーのくびきから切り離し、階級意識を高めていくことであり、その可能性と条件がある限り、政府に反対し抵抗するあらゆる勢力と同盟を結ぶことは可    能だし、しなければならない。レーニンは一貫してこうした立場を主張しているのである。
       
 「ボルシェビズムの歴史全体を通じて、十月革命の前にも後にも、迂回政策や協調政策、ブルジョア政党をはじめとする他の政党との妥協の例がいっぱいある……」と述べて、多くの例を引きながら、「しかも同時に、ブルジョア自由主義に対し、また労働運動内部のブルジョア自由主義の影響の最も小さな現れに対しても、きわめて容赦ない、思想的な、政治的な闘争を行う術を知っており、それを中止しなかった」                (『共産主義における「左翼」小児病』)


 レーニンとボルシェビキは専制と闘うあらゆる勢力との同盟=統一戦線を重視したし、そのために闘いの方向性がそらされるという危険性が常にはらんでいることも自覚していた。だからこそ党が自分自身を見失わないための理論闘争が重要であることを強調し、党内での理論上の曖昧さ、不一致を克服するために闘ったのである。
 逆説的に言えば、理論闘争を軽視するものは広範な勢力との統一戦線を恐れ、偏狭な独善的組織へと自分を追い込んでいく以外ない。
 
 4)理論闘争の意義についてのエンゲルスの所論

 『ラボーチェエ・デーロ』の「教条主義、空論主義」「思想の硬直化」等々の批判は「理論的思考の発展にたいする無頓着と無力を隠すもの」「悪名高い批判の自由なるものが、ある理論を別な理論と置きかえることではなく、いっさいの、まとまりのある、考え抜かれた理論からの自由を意味し、折衷主義と無原則性を意味する」(→すなわち原則の否定)。
 レーニンは、こうした理論的思考への無頓着や無原則性があらわれる原因が、①マルクス主義の広範な普及にともなって理論水準がある程度低下したこと  ②運動が実践的意義を持ち、また実践的成功をおさめるようになって理論的素養の乏しい人々、それどころか全然そういう素養のない人々までが大ぜい運動に参加してきたという点を指摘しつつ、『ラボーチェエ・デーロ』の主張は「マルクスの名において理論の意義を弱めよう」とするものだと断罪し、その例として「『現実の運動の一歩一歩は1ダースの綱領よりも重要である』というマルクスの金言を勝ち誇ったようにもちだして」いることを例にあげ、この的外れで無頓着な引用(※注)に見られるものこそは理論の軽視に他ならないと喝破している。
  

 ※注→このマルクスの言葉というのは、ゴータ綱領がアイゼナッハ派に譲歩し折衷主義的になってしまったことを総括して、マルクスエンゲルスが「綱領よりも重い教訓を得た」という意味で言ったもので「もし、是非とも提携しなければならないのなら運動の実際的目的を満たすために協定をむすぶがよい。けれども、原則の取引を許してはならない。理論上の『譲歩』をしてはならない」といっているのであり、原則を曖昧にしたまま運動の拡がりのみ目的にすることを戒めているのだ。


 次に、レーニンはエンゲルスの『ドイツ農民戦争』の序文を引用し、理論活動は労働運動の勝利のために必要であるとともに、それは労働運動の指導者にとっての義務でもあることを確認している。
 
 「エンゲルスは、社会民主党の大きな闘争の形態として、二つのもの(政治闘争と経済闘争)をみとめるのではなく、――わが国ではこうするのがふつうであるが――理論闘争をこの二つと同列において三つの形態をみとめている」
 労働者階級が潜在的に革命的能力を持っているにもかかわらず、それを自覚し得ないのはなぜなのか。イギリスやフランス、スペインその他の労働者階級がすばらしい戦闘性、組織性を発揮しながらも後退を余儀なくされ、異質なものになってしまったのはなぜか。それを理論活動に秀でたドイツの革命党建設と対比しながら考察し、革命党、とりわけその指導者の義務として理論的研究が重要なのだということを述べている。レーニンはマルクスエンゲルスの問題意識を実践的に継承・発展させるものとして前衛党組織論を確立し、そうすることによってはじめてロシア革命の基礎がつくられたのである。
   
 (ドイツの労働者がヨーロッパの他の国々の労働者と比べて理論的感覚をもっていたこと、イギリスの労働組合やフランスの経済闘争の先例に学ぶことができるという利点を生かすことで)「労働運動が生まれていらい、ここにはじめて闘争は、その三つの側面――理論的側面、政治的側面、実際的・経済的側面(資本家に対する反抗)にわたって、調和と関連をもちつつ、計画的に行われている」ここにドイツの運動の強さと不敗の力がある。そうであれば、なおさら「指導者の義務は、あらゆる理論的問題についてますます自分の理解をふかめ、古い世界観につきものの伝来の空文句の影響をますます脱却し、そして社会主義が科学となったからには、また科学としてとりあつかわなければならないこと、すなわち研究しなければならないことをたえず心にとめておくことで
  あろう」<エンゲルスの『ドイツ農民戦争』序文> P45)

  
 第一章でレーニンが提起していることは、
  ①指導者が理論活動の義務(研究)を果たし
  ②そこで獲得された理解を党派闘争と労働者階級の理論的感覚を形成するために適用しなければならない、ということ。
  → 革命的理論なしには革命的運動もありえない」
                                <第二回に続く>


  【レーニンと組織論形成過程】

1895年 10月 「闘争同盟」メンバー一斉検挙
1895年 末~96年夏 レーニンは獄中で『社会民主党綱領草案と解説』を執筆
1898年   ロシア社会民主労働党第一回大会)
1899年   ドイツ社会民主党ベルンシュタインが公然とプロ独に反対する改良運動を提案。ロシアの「経済主義者」グループが『青年組のクレード(信条)』を発表
1899年 8~9月 レーニン「クレード」に対し『ロシア社会民主主義者の抗議』 『われわれの綱領』『われわれの当面の任務』を執筆し反論
1900年 1月 シベリア流刑を終え、1899.7月に出国したレーニンはジュネーブでプレハーノフらと合流
  12月 「イスクラ」創刊号発刊。経済主義者との闘争開始
1901年 5月 『なにから始めるべきか』(「イスクラ」第4号) 『経済主義者の擁護者たちとの対話』
1902年 2月 『なにをなすべきか?』執筆
  9月 『われわれの組織上の任務について一同志にあたえる手紙』 (→1904.01にジュネーブで小冊子として再刊)
1903年 8月 (ロシア社会民主党第二回大会)
1904年 1月 『一歩前進、二歩後退』(第二回大会の総括と分析)
1905年   血の日曜日」~1905年革命 /(ロシア社会民主党第三回大会)中央機関を中央委員会に一本化(編集局との並立を廃止)、中央委員の選出に選挙制を適用
1906年   (ロシア社会民主党第四回大会)/中央委員会が編集局を任命するという組織原則を打ち出す。各級レベルでの選挙実施を原則化するよう提案

引越し準備中

開店休業状態のウェブリブログから引越しを始めました…
 ど素人が、どんだけ頑張っても納得のいくデザインなんてできないと悟ったことが今日の収穫。

尖閣・竹島は『日本の固有領土』論のウソを暴く

民族排外主義
 政府は「尖閣諸島竹島は日本固有の領土」(だから「中国、韓国の領有権主張は日本の主権を侵害するものだ」)と言い、殆どすべての勢力も我こそが国益を代表していると言わんばかりに国益主義・排外主義を煽っている。そしてこの『日本の固有領土』論は、恐るべきことではあるが、現行の様々な社会機構を媒介にして、また学校教育の場を経由して多くの国民に吹き込まれているということである。
 
では、この『日本の固有領土』論は正しいのか。否である。歴史に照らして考えれば完全なウソである。しかしそれだけではない。
 ここにあるのは、明治維新を契機にして後発帝国主義として東アジアに登場した番犬帝国主義日帝が積み重ねてきたアジア侵略の歴史を居直る論理である。それは自らの強盗行為を正当化する論理そのものである。そしてまた、それはヤルターポツダム宣言で敗戦帝国主義日帝に強制された領土問題における規制と、更には51年の片面講和一日本の独立を規定したサンフランシスコ講和条約における領土問題の規制をも突き破る論理である。
 
そして、現在の日本にとってそれは、東アジア貿易圏の再分割をめぐる帝国主義間争闘戦の重圧の下で、またその争闘戦の場そのものでもあり、かつその争闘戦に引きずり込まれていて、国家としての工業生産力を高めている中国・韓国との競合関係を前提として、アジア侵略に番犬帝国主義としての総力をあげて突進し始めた日本の支配層にとって、自国内で深化する階級矛盾・社会矛盾とそれに基礎づけられた民衆の闘いの爆発を予防するために、それら矛盾を対外対抗一排外主義の方向に組織し、もって挙国一致の侵略体制を築くために、自国の労働者階級と人民大衆を支配階級の侵略意志の下に結集し、動員する政策としても必要とされる侵略の論理である。

 最近になって、安倍政権は南沙諸島をめぐる中国の実効支配強化の動きに対しても、露骨な軍事介入の意思を露わにしている。これまで、国会質疑などで南沙諸島をめぐる政府の認識を述べる際、外務省の政府委員は「これは日本がコメントする立場にはない問題」と必ず前置きをしたうえで客観的事実を述べるにとどまってきた。つまり、南沙諸島はかつて日帝が支配し、敗戦の結果としてそのすべてを放棄した地域であり日本がこの地域に介入する事は認められないという立場を守ってきたのだ。しかし、安保法案を何としても成立させようとする安倍政権は、敢えて中国との対立、民族排外主義を煽ることに躍起になっているのである。

   (一)「領土領有」の国際法上の意味

 まず確認すべきことは、領土の領有とは、国家が領有意志をもって統治をし国際的にもそれが認知される事である。仮にある国の個人や有志が、無主地を私的に所有し開拓したからと言って、国家として国際的に領有を宣言し認知されない限り領土とは見なされない。
 さて、領土取得の形態は国際法的には①譲渡、割譲、②征服、③先占、④添付(地形の変化により海岸線が変更される等)、⑤時効(自国の領土ではないが長い期間、実質的統治が行われ領有国も黙認したような場合)、等が挙げられる。
しかし、尖閣諸島竹島の場合、厳密には、上記の何れにも該当しない。強いて言えば侵略戦争によって①②などとして獲得した領土を敗戦の結果として無条件で返還することになった訳であるから、領有権があるのは日清・日露戦争以前の日本固有の領土③だけになる。①④は別として、②征服は国連憲章上で適法とされていない。領土の一部を武力で征服するのは略奪に他ならないからだ。そして、現実にはこのような事が平穏には起こり得ない。イスラエルパレスチナの関係を見ても明らかなように、これは戦争に発展し、宣戦から始まり講和に至るまで決着がつかない。

 そこで持ちだされるのが「日本固有の領土」論であり、明治政府の時代から既に先占していたことを論証しようとする空しい努力である。また、竹島の領有を主張する人の中には、「GHQ占領下で日本は反撃出来なかった」(GHQが支配していなければ武力に訴えても領有していたものを)等と言う者がいる。日本自らが招いた戦争の結果なのだという事を認めようとしない人達ほど再び戦争をやりたがっているのである。

   (二)米戦略のもとで未解決にされた日本の戦後処理

 ところで、竹島をめぐっては、1952年の李承晩ライン設定、その後の日本漁船への銃撃、拿捕、拘束等が頻発する中、日本国内でも抗議運動が展開された。にも拘わらずなぜアメリカはこれを実質的に無視し続けたのか。 それは連合国・アメリカとの関係に於てはあくまで敗戦帝国主義だという厳然たる事実と、他方ではその関係は維持しつつ、アジアを「共産主義」から防衛するという戦略下に日本を組み込む狙いがあったからに他ならない。それは天皇制の存続を認めた事でも明らかなように、一般的な敗戦国に対する占領政策とは違う形をとって「番犬帝国主義」日本の復活が行われた。ここに日本が戦後賠償の問題、国境線や領海線の問題等々が曖昧なまま残されてきた根拠がある。言うなれば、日本の戦後処理はアジアとの関係においては未だ終わっていないのだ。

 ドイツに於ては第二次世界大戦に敗北すると同時に東西に分割され、文字通り東西冷戦の渦中に叩き込まれた。そうした事から平和条約の締結がないまま40年以上を経過し、ベルリンの壁崩壊と同時期、1990年の最終規定条約締結をもって国家としての戦後処理が完了する。

 日本は1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾、同年9月2日、降伏文書(休戦協定)調印、1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効 ―ここで領土や賠償問題の扱いが謳われているが、連合国との片面講和ゆえに、尖閣諸島をめぐってはポツダム宣言との関係で一貫性に欠け、竹島問題ではラスク書簡が交わされたとはいえ、一度は草案に明記された「日本の竹島領有」は外されたままとなった。そして、賠償問題は事後処理扱いとなった。以後、日本は日米安保同盟にのみ依拠し、対外的な国家としての意志決定の殆ど全てをアメリカに委ねてきた。従って、戦争責任も曖昧にされ、一方で戦後処理も曖昧なままになってきた。その結果、国内政治支配が危機に陥ると決まってナショナリズムを煽るために領土問題が持ち出されるのである(これは、中国や韓国もまた同様である)。
ちなみに、日韓基本条約(1965年)、日中平和友好条約(1972年)は戦後処理としての講和とは違い、韓国や中国を戦勝国としての地位においた賠償と和平のための交渉が行われた訳ではない。日韓併合条約が現実性を失い、更に朝鮮の南北分断体制が継続する中で日韓の和解がアメリカのアジア戦略にとっても重要であるという歴史的要請に主導されたものだった。また中国は日米共に中国経済を戦略的に重視していたのであり、日本はこの争闘戦で優位を占めるために政治的懸案を棚上げして電撃的に友好条約締結に踏み切った。それは中国にとっても必要だったからである。

 今、日本・韓国・中国が三者三様に政治的、体制的危機を抱える中で、竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚台)の問題が先鋭化している。しかし、これは民衆の為に何か利益をもたらすだろうか。これを煽っているのは、領土(領海)の領有=資源開発によって利益を得んとする一部の資本とその代弁者達である。漁民にとっても、農民や労働者にとってもお互いの民族が争うことを望んでいるわけではない。いや、寧ろナショナリズムを喧しく煽り立てる背景は、国内政治危機=支配層と人民の対立が激化し、大衆の不満が反政府運動に発展するのを防ぐためであり、民族排外主義を持ち込むことによって大衆意識の分断を図るのである。
 
まず、尖閣諸島(釣魚台列島)が日清戦争の過程で日帝が中国(当時の清朝中国)から略奪し、沖縄・石垣島(石垣村)に編入した中国領土であること、また竹島(独島)は日露戦争韓国併合の朝鮮植民地化の過程で日帝が領有化し、それを島根県に編入した李朝朝鮮の領土であることを、まずは明確にしなければならない。

   (三)尖閣諸島日清戦争で一方的に略奪した領土だ 

 尖閣諸島(釣魚台列島)は中国大陸から張り出す水深200mの大陸棚の東端に位置し、大小8個の島々で構成されている。この列島の南西には、大陸棚を同じくして台湾が位置している。しかし、この大陸棚の尖閣諸島沖縄県石垣島与那国島など南西諸島の間には、水深1000~2500mの長い海溝が沖縄本島の末尾まで大陸棚の端部に沿って東北方向に走っている。このような地理的な問題からも、沖縄諸島と一体ではない。この列島周辺の海域は、潮流や風向きの関係で昔から台湾漁民の漁場であった。列島の島々は漁民の避難場所、水の補給地、休息場所として利用された。しかし石垣島の漁民がその漁場と列島の主役ではなかった。したがってこの列島と周囲の漁場は台湾漁民にとっては生活の場であった。そのことは台湾が日帝の植民地として併合され、日帝の統治下にあったとしても変わりはない。

 これは石垣島の漁民も含め、戦前の日本政府自身も認めている。例えば、1941年、尖閣諸島周辺の漁場問題に関連して台湾台北州沖縄県の間で起こった訴訟において、1944年に日本の最高裁判所が釣魚台島が台湾の台北州に属するとの認識に基づいて、釣魚台島方面に出漁する台湾漁民は台湾台北州が発行する『台北州許可証』の携行が必要であるという判断を下している。

 佐藤政権以来の歴代自民党政権は、尖閣諸島の領有問題に関しては次のような立場に立ってきた。すなわち、「尖閣列島国際法上の無主地を、先占によって明治28年(1895年)1月14日の閣議決定により日本の国標を立てることとし、翌29年(1896年)4月1日の勅令第13号の規定により正式に日本領土(石垣村の所轄)に編入した」という立場である。これは、地球上で他国の直接統治が及んでいない土地は早いもの勝ちで自分のものにしてよいという帝国主義的国際規範であり、資本主義制度が世界を制覇していく歴史過程において、19世紀後半以降、資本主義的強国=帝国主義列強がアフリカ、中東、アジア、大洋州などで激烈に展開されていた領土略奪と併合-植民地への編入や、そのための侵略と侵略戦争を正当化するものに他ならない。帝国主義の規範からすれば国家主権が及んでいない「無主地」は先占権があるのだろうが、台湾漁民の立場に立てば断じて「無主地」ではなく、自分たちの生活の場そのものでもあるのだ。

 それはさておき、日本政府の論拠にはウソがある。仮に「無主地」を先占したのだとするならば、日本の「尖閣諸島の領有」がいつから国際的に認知されたのか。問題はこの点にあるのだ。そして、「尖閣は固有の領土」を主張する勢力は一貫してこの点を語らない(「無主地」の領有と言うならばこの点が重要であるにもかかわらずである)

  1.日清戦争下関条約での講和決定直前に一方的に閣議決定で盗取

 1894年4月に朝鮮東学党の乱を契機にして始まった日清戦争日帝の戦勝が確定的になった1895年1月14日、日本は下関条約での台湾割譲に先んじて尖閣諸島の領有を閣議決定した。下関条約(同年4月)では、日本は「台湾全島及其ノ付属諸島嶼」の割譲、賠償金2億両を清国にのませることで解決し、沖縄県に編入した。この台湾の島嶼部に尖閣諸島が含まれるか否かは、既に盗取を決定している日本が議題にする必要もなかった。一方、日本が既に閣議決定していることなど知らない清国は台湾とその島嶼部に尖閣諸島が含まれると考えるのは自然である。そして国際的には、誰も日本が尖閣諸島を「無主地」として先占する国内手続きを行った事など知らないまま、台湾は日本領として統治され、また太平洋戦争の敗北で日本がポツダム宣言を受諾、台湾はそっくり返還されることになったが、以降も尖閣諸島はアメリカの統治下に置かれてきたのであり、その間、尖閣諸島が日本領か中国(台湾)領かということは問題になりようもなかった。 つまり国際的には―少なくともアメリカを除いては―この50年間日本が一方的に閣議決定をした事実は隠されてきたのであり、したがって日本領だという認識はそもそもなかったのである。

  2. 50年後にアメリカの権威をかりて公表

 1968年、国連エカフェ(アジア極東経済委員会)の調査団によって尖閣列島周辺の大陸棚に中近東油田規模の石油が埋蔵する可能性が発見された。
 そして1970.9.17 琉球政府声明「尖閣列島の領土権について」が発表され、佐藤政権は『尖閣列島は日本のものである』とはじめて国際的に宣言したのである。 
 琉球政府の声明が領有の根拠とするのは、1953年12月25日 琉球米民政府布告第27号でこの地がアメリカと琉球政府の管轄地と記されている事。更に、同布告の説明を引用し「日本はこの地を無主地として国内的手続きを完了」と50年前にこっそり行った閣議決定をアメリカの権威を借りて公表したのだ

 愛知外相は「尖開聞題で領有権についてどの国とも話し合う筋合いはない」とその略奪意志を発表した。これを契機にして、以後、世界の各地では在外中国人の激しい抗議行動が展開された。また当時進められていた沖縄返還協定の締結に伴う「北緯29度以南の琉球列島を含む「南西諸島」」(注‥米国務省の表現)の日本への施政権返還という政治状況の中で、1971年12月30日、中国政府・外交部は、『釣魚島…などの諸島は、台湾と同様、大昔からの中国の領土である。これはなにびとも変えることのできない歴史的事実である』という正式声明を発表した。かくして、日中間には、釣魚台問題が新たな政治的対立課題として浮上したのである

 しかし、尖閣諸島の領有権問題をめぐり日中両国が激しく対立している中で、1972年9月の日中国交正常化交渉の過程においては、時の田中首相と鄧小平との間で『この間題を当面は棚上げ』し、『将来世代』の協議に委ねることが確認され、それをもって日中国交正常化が実現した。

 尖閣列島は「日本固有の領土」論の中では、よく中国自身が教科書等で沖縄県の一部としての記述があるなどの傍証が引き合いに出されるが、少なくとも下関条約(1895年)からポツダム宣言までの間は、島嶼部を含む台湾そのものが日本の領有になっていたのであるから、この間の教科書にそう書かれていたからといって、それは当然のことなのである。また、尖閣諸島という呼称は、もともとはイギリス海軍の海図がルーツであり、これをもって日本の領有と言う根拠にはならない。そんなことを言う者は東シナ海が中国の海だというようなものである。

アベノミクスとは1%の巨大資本の利益の為に、民衆を奴隷の道に叩き込む新自由主義政策だ

政治
 安倍首相はトップセールスと称して、この2年の間に7兆円にも及ぶ海外経済支援をばら撒き続けてきた。ここには日本の上位企業・多国籍資本とそのグループの経営陣が同行した。一方では金融緩和によって紙幣を大量に吐き出し、それを世界に撒き散らす。これとセットで鉄道・港湾・道路等のインフラの整備、原発輸出、防衛協力と言う名の武器技術の開発・輸出等の協定が結ばれ、或いは詰めの協議が行われてきた。

 国内における復興支援、汚染水・原発事故処理を放置し、中小零細企業の倒産、非正規化と失業による貧困層の増大を尻目に一握りの大資本が空前の利益を上げる、徹底した弱者切捨ての政策こそがアベノミクスの本質である。まさに新自由主義そのものである。
 金融緩和によって大量の国債が日銀の直接引き受けとして発行され、海外の投資家の手に流れている。国債とはいうなれば人民が将来に亘って払うべき税金を当て込んだものでしかない。いまや、それは1000兆円を超えようとしている。財政規律が不安定になれば海外の信用を失うのは時間の問題である。
 景気回復の際立った見通しも材料も無い安倍政権が取るのは闇雲な消費税の10%引き上げであり、一度、政府が人民の生活を無視した税の引き上げに踏み切れば、それはパンドラの箱のように15%、20%と堰を切ったような増税攻撃にならない保障は無い。軽減税率は何の歯止めにならないばかりか、更なる増税の逃げ口上にすらされるに違いない。
 
 国内における格差の拡大と貧困化・失業や不安定雇用の増大は鬱積した大衆の不満を爆発せずにはおかない。今日、日常的なストレスを背景としたような事件が多発している。これは労働者・民衆の中に組織された力として、自己の怒りを政治的に発現する場も方途も奪われているからに他ならない。個人的な憤怒として歪められた形でしか表現できないのだ。大衆の怒りを組織された政治的闘いに結集する能力を持った左翼的政党が存在しないことが最大の問題であり、課題である。大衆の自然発生的、経験的な憤激をつなぎ合わせる粘り強い闘いと、権力の攻撃、その意図に対する時を逸しない暴露が重要である。
 労働者階級の力が如何に弱かろうとも、権力はその嗅覚によって予防反革命的に治安弾圧法規を作り、労働者派遣法を初めとする労働法の改悪を行って階級の団結を分断しようとしている。
 注意しなければならないのは、日本共産党が主導するデモや集会もまた、大衆の怒りを引き出すのではなく議席を増やすための仕掛けでしかないという事を十分留意しなければならない。 

 さらに、秘密保護法や集団的自衛権行使容認の閣議決定は、こうした脈絡の中で一体的に把握しなければならない。
 つまり、海外に現地法人をつくり現地の労働者を収奪しながら、ODAや円借款という形でばら撒かれた資金を大資本の利権として回収する、今日における海外侵略は時として紛争国、或いは潜在的紛争国をも対象にしながらすざましい勢いで進んでいるのだ。こうした現実を背景に日帝にとっては「邦人を守る義務」が要請されているのだ。日帝は大資本の権益を守るためには、膨大な人民を塗炭の苦しみに叩き込み、殺し、迫害することをも厭わない。これは自国の民衆に対しても、他国の民衆に対しても変わらない態度なのだ。だからこそ、一握りのための利権を守るための戦争に反対するのである。

 アベノミクスはあれこれの個別政策のつなぎ合わせでも、第一の矢~第三の矢といわれるような単なる経済・財政政策ではない。巨大資本の利益をとことん貫くために、それ以外のすべてを見捨て犠牲にする政策である。

 円安によって、原材料費が高騰しても価格に転嫁できず、しかも熟練労働者を簡単に非正規に置き換えることもできない中小業者。
 輸入でまかなわれる飼料や機材・光熱費の高騰でバターも作れない畜産農家、採算の取れない低価格米を強制される米作農家…
 利益追求とぎりぎりの人員によって、24時間ケアが思うに任せず患者の治療よりも、兎も角事故を起こさない事だけを考えるのが精一杯という高度医療の現場。
 反原発、沖縄… すべてがアベノミクスという新自由主義によって切り捨てられ、破壊されようとしている。これを許していいのか。


【安倍政権のバラマキ外交】
年月 対象国 単位(億円) 内訳 注釈
2013.1 ベトナム 466 円借款  
2013.4~5 サウジアラビア 2160 地域安定化、民主化支援 ロシア、サウジアラビア訪問。出光 興産、コスモ石油、JX日鉱日石エネルギーなどの石油元売大手、伊藤忠商事住友商事、丸紅、三菱商事など商社やゼネコンが同行、安倍首相はサウジアラ ビアで中東・北アフリカ諸国に対する地域安定化支援および民主化支援として、総額2160億円の支援をおこなうと表明
トルコ・アラブ首長国連邦   原子力協定 経団連会長など118企業・団体から383人が同行(IHI、大林組大成建設東芝電力システム社、東洋エンジニアリング日揮、日立GEニュークリアエナジー、日立製作所、日立造 船、三菱電機三菱マテリアルと、日本原子力学会原子力村)の賛助会員が11社)、トルコ、アラブ首長国連邦原子力協定で合意
2013.5 ミャンマー 2000 円借款の返済免除 1月に発表した返済免除額とあわせ、およそ5000億円。
  910 ODA 43企業・団体、117人。名古屋大学などの大学、NEC、日立製作所三井住友銀行三菱東京UFJグループ、住友商事、丸紅、三菱商事、IHI、東芝三菱重工伊藤忠鹿島建設前田建設大成建設日揮などが同行。
 ミャンマー外資導入と雇用創出のモデルと位置づけているティラワ経済特区に日本企業が独占的に参入、4月に三菱商事、丸紅、住友商事が合弁でエム・エム・エス・ティー有限責任事業組合を設立。現地政府を迂回させる形で日本政府がODAや円借款で資金を提供し、その港湾整備や道路整備、開発利権を日本の商社、ゼネコンが受注
2013.8 中東 59 シリア難民の支援(追加) 中東のバーレーンクウェートカタール。92企業・団体、210人が同行。
2013.9 国連総会 3000 資金提供 女性の保健医療や紛争下での権利保護
2013.11 ラオス 90 円借款 国際ターミナル拡張支援
2013.12 ASEAN首脳会議(東京) 2兆円/5年 ODA 災害に強い道路や堤防の整備に3000億円、1000人規模の人材育成、鉄道・空港などの大型インフラ整備、巡視船の供与
ミャンマー 632 円借款  
ベトナム 1000 円借款  
2014.1 モザンビーク 700 ODA  
インド 2000 円借款 地下鉄建設等
2014.3 ウクライナ 1500 ODA G'7の支援に同調、うち3億5000万円はチェルノブイリ支援。
ベトナム 1200 円借款  
2014.5 バングラデシュ 6000 ODA  
アフリカ 3.2兆円/5年 政府支援 岸田外相が日本が世界銀行国連と共催するアフリカ開発会議に出席
2014.7 パプアニューギニア 200億円/3年 ODA 首脳会談。①液化天然ガスの安定供給確認 ②集団的自衛権行使容認を閣議決定への理解求め、見返りにインフラ開発支援を約束
中南米5カ国     メキシコ、トリニダード・トバゴ、コロンビア、チリ、ブラジル歴訪。約100の企業・団体が同行。メキシコでは経団連が「日メキシコ経済協議会」を開催、日本の自動車メーカーなどが進出を計画している製造工場や部品工場の建設事業をPR
キルギス 120 円借款 岸田外相、民主化と市場開放支援
2014.9 インド 3兆5000億円/5年 官民投融資 日印共同声明。①インドに進出する日系企業の倍増 ②日印安全保障協力の強化 ③日本からの原発関連輸出を可能とする原子力協定の早期妥結に向け交渉を加速させること
スリランカ 137 円借款 首脳会談、海洋安全保障分野での連携強化。
気候変動サミット 17400 供与 途上国の災害対策援助
国連本部 43 追加支援 エボラ出血熱ハイレベル会合
  55 中東支援 イスラム国」の脅威に対する秩序安定

安倍政権は官僚機構の肥大化がもたらしたクーデター政権だ

政治
 安倍政権はクーデター政権なのか?
 クーデターという言葉、歴史を考えると軍事的・暴力的な政権の掌握―憲法の停止―地方権力の掌握…といったイメージがある。
 しかし、日本の場合、軍部=自衛隊の政治への介入は厳しく制限されてきた。それに代わって官僚機構が巨大な権力と利権構造を作り上げている。これまでも、総選挙によって国会での勢力比が変わり、あるいは政党内の権力闘争の結果、財界主流=巨大資本にとって意に沿わない政権が誕生することはあった。その場合には、それを排除あるいは短命に終わらせるために、官僚機構はあらゆる方面に触手を延ばし主導権を握ってきた。小沢一郎氏の「陸山会事件」がいい例である。

 これまでのクーデターの歴史を見ると、大きくは政治権力の僕(しもべ)となってきた官僚機構と軍部の対立という構図が浮かんでくるる。
 では、肥大化した官僚機構の一人勝ちのような日本で軍事クーデターは起こり得るだろうか。これまで官僚機構の暴走に歯止めを掛けるのが政治と国会(民主主義のといってもいい)の役割であり、それを規定するのが憲法の枠組みでもあった。安倍政権はその留め金を外すことによって事実上のクーデターを行ったのである。

 革命が支配階級(ブルジョアジー)と被支配階級(プロレタリアート)の対立を体制の転覆―プロレタリアートによる国家権力の奪取という形で行うのに対し、クーデターは支配階級内部(権力内)における支配のあり方、政策の違いをめぐる対立を突破するために、政権トップを強制的・暴力的に入れ替えようとするものである。
 一般には政治基盤の弱いものが軍事機構を掌握することによって、非合法的手段を用いて行われると思われてきた。

  Wikipediaには次のように書かれている。

  「中央集権化が著しい体制の下では中央政権のトップが入れ替わると地方勢力もそれに従う傾向が強いが、一方封建制など地方分権の強い体制では、中央政権のトップが入れ替わったとしても必ずしも地方勢力がそれに従うとは限らず、クーデターの効果も限定的なものになったり、地方勢力の反撃によってクーデターが失敗に追い込まれることもしばしば見られる」

  「近世に入ってからは多くの国で中央集権化が進んだためクーデターが容易になったが、近代に工業化が進み大衆が豊かになり社会構造が複雑化すると、地方政府、政党、官僚、警察、企業、労働組合、宗教団体、圧力団体、報道機関、その他コミュニティーといった多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難になり、一般に、先進工業社会ではクーデターが稀になってきている」


中央集権化が著しい現代において、かつ地方自治体、労働組合、宗教団体、報道機関等すべてを官僚機構と警察権力、資本の利益誘導によって支配されている中で、国家意思=グローバル資本の意思を露骨に代弁する政治集団が(選挙によって)合法的に中央政権のトップを入れ替えた場合、形の上では民主主義の体裁をとりながら結果としてクーデターと同じことが起こるのではないだろうか。

 ※新自由主義が世界を席捲しはじめて以降、日本を始めとした先進資本主義諸国の経済政策をめぐっては、国家独占資本主義政策に引き戻そうとする(これをリベラルといっていいのかどうか判らないが)力と、より全面的な市場原理に基づく弱肉強食の政策に突き進もうとする勢力の対立を内在化させてきた。

 高度に発展した資本主義社会において「多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難」だからクーデターが稀になったのではなく、むしろ地方行政、官僚、労働組合などすべてが巨大なブルジョア的利権によって直接・間接的に買収され、中央政権を積極的に支持し、あるいは抵抗しない状態が作られている場合、非合法的=軍事的な形をとらずにクーデターと同じ結果が引き起こされるということではないだろうか。

ヒロシマ・ナガサキの被爆者、被曝二世が強いられた歴史を繰り返すな

反核・反原発
一瞬にして20万人以上の広島市民の命を奪った原爆では、飛散した放射性物質が黒い雨となって降り注いだほか上昇気流にのって拡散し、残留放射能の影響は少なかったとされる。にも拘わらず、30万とも50万とも言われる二次被曝者や被曝二世が遺伝性障害の不安に苛まれ、謂れ無き就職や結婚の差別に苦しんできた。
 原爆の放射能による晩発性障害の実態は、GHQの報道管制と政府マスコミの追随により正確な知識や情報が奪われ、差別や偏見を産んできた。福島ではヒロシマの少なくとも30倍以上の放射性物質が飛散し、やがて晩発性障害が大きな問題になることは疑いない。ヒロシマの被爆者、被曝二世が強いられてきた歴史を繰り返してはならない。

 広島、長崎に投下された原爆を当初日本政府は「新型爆弾」と言ってごまかした。原爆の開発を進めていた政府は原爆投下が何を意味するか充分知りながら被曝者を放置し抹殺しようとしたのだ。
 この姿勢は今も全く変わっていない。命と予算を天秤にかけ、政治の都合で許容線量を引き上げる。
 
 原爆投下直後、アメリカは陸軍医師団を調査目的で派遣し、1947年ABCCという原爆傷害調査機関が作られ、翌年には日本の厚生省も参画した。これは放射能による晩発性障害を調査研究する事を目的としたもので、被曝者の治療要求は一切拒絶された。被曝者をモルモットのように利用したのだ。

   内部被曝による放射線障害は原爆使用者側にはその経験から既定の事実であった。にも拘わらず、アメリカが被曝者に厳しい緘口令まで敷いて原爆被害の実相を世界に対して隠蔽したのは…、低線量放射線による内部被曝の恐怖を『知っていたが故の隠蔽』だったに違いない」(内部被曝の恐怖・肥田舜太郎

広島・長崎の被曝者は政府による被曝者「抹殺」の攻撃に、被曝医療と援護法を求めて闘った。総評傘下の被曝二世は労組内に連絡会を組織し労働者の中に運動を拡大した。
 この間、政府が原爆や被曝についての正しい情報を隠し続けた為に謂れなき偏見や差別とも闘わねばならなかった。
 原爆被曝者の命の叫びと闘いで「原爆医療法」が施行されたのは1957年、十数年に亘り被曝者は放置され、その間多くの被曝者が、自分が被曝者であることを隠し、晩発性障害とそれに対する差別や偏見との闘いを余儀なくされたのだ。
 被爆者援護法制定は更にずっと後の1994年、実に原爆投下から40数年後の事だ。

米国が全ての資料を持ち帰ったとは言え、厚労省放射能がもたらす事態を十分に知りながら、敢えて「原発=核の平和利用」として核政策を保護、推進するのは「核の軍事利用」に道を開いておくために他ならない。
 従って、それは日本政府だけではない。国際原子力機関をはじめ、核(兵器)を容認するすべての国、勢力が人工放射性核種による放射線障害の真実を隠蔽するために、科学者とマスコミを手なずけ動員しているのだ。

放射線被曝】
急性放射線傷害は短い間にある一定の量の放射線を浴びると皮膚など体の組織が破壊され傷害が現れる。この時の放射線量がしきい値あるいは被曝許容量とされる。内部被曝ではガンや白血病の発生のような晩発性障害と後世代に現れる遺伝障害がある。
 晩発性障害や遺伝障害にはしきい値はない。これらは細胞の中のDNA分子に放射線があたり分子中の電子をはね飛ばしたり周辺物質をイオン化する等によりDNAを破壊する。変異した遺伝情報をもつ細胞が分裂することで体組織に障害をもたらす。
 破壊され変異したDNAををもつ細胞分裂が骨髄で起きれば白血病などに、生殖細胞で起きれば後世代の遺伝障害となる。細胞中の分子が破壊されるのは放射線量の大きさではない。一発の放射線でも命中する事はあるからだ。少ない放射線でも長い期間曝されれば確立は高くなる。
 結論として内部被曝を考えた場合、許容放射線量なるものはない。また「食べた場合でも大半は排泄される」論も嘘。20mSvは論外で1mSvだって確率的には障害が起こりうるが、それを承知の上での我慢量の基準でしかないのだ。日本は今完全に世界の流れに逆行している。


放射能の基準値】
急性放射能障害を起こす線量(被曝許容量)にはしきい値があるが、晩発性障害を起こす可能性がある低線量被曝にしきい値はない。この数値以下なら安全という根拠は無いのだ。世界の諸機関が定める基準値も基本的に「我慢量」(武谷三男)=忍受限度量であり安全の基準ではない。
 厚労省の統計によれば1998年の癌死亡者は全国で28万4千人で、これは全死亡者数の3割強(3人に1人)に当たると言う。特に40~64歳の人の癌による死亡割合が高いそうだ。癌死亡者は更に増え続けている。何かと癌の原因にされるタバコの喫煙率は年々下がっているのに、癌の発症者が増え続けているのは単に医療の進歩とか早期検診の普及だけから説明できるのだろうか。
 1960年代は世界で核実験が行われ、日本でも放射線量が上がっていた。その当時産まれ、あるいは成長期にあった世代に癌死亡者が多いのは、放射能と無縁なのか。そう疑いたくなるが、しかし根拠はない。4~50年先には癌死亡者が数倍になるかもしれない。その際、蓋然的要因として放射能汚染を挙げる事はできても、詳細な地域ごとの汚染データや摂取食材が明確で無い限り、数値的根拠は示すことはできない。
 (それはタバコでも同じであるが、がん患者に「タバコを吸っていますか」と聞く医者がいても、放射能に汚染された食材を摂取していますかと聞く医者はいない)
 かくして基準値は蓋然性が認められた際の補償対象者を絞り込む目安となる。このように基準値=許容限度量がそれ以下なら安全という根拠ではなく「この数値以上で障害が起きたら保障しますよ」という基準でしかない以上、被害者側にとって可能な限り低い方が安全性を高める、逆に加害者側のそれは利益や補償費用から見た忍受限度量となる。


【大規模原発事故を想定した災害評価1】
1955年「大規模原発における大事故の理論的可能性と結果」(ブルックヘブン報告)、1975年のラスムッセン報告、そして日本でも1960年に科学技術庁原子力産業会議に諮問し作らせた報告がある。いずれも原発推進の立場から災害規模や損失額を試算している。
 これらの報告では事故の確率は一基10万年~10億年に一度だとしている。だが、それから50年足らずで既に3回も大事故が起きたのだ。一方で各々の報告は一旦大事故があった場合、どれ程恐ろしい事態になるかも同時に明らかにしている。一体誰がこれらの報告を真剣に吟味したのか。



集団的自衛権を認めれば戦争は必至だ

政治
民主党岡田克也最高顧問は集団的自衛権をめぐる国会質問で、閣議決定の前に国会で十分な議論が必要だと政府を追及した。それ自身は間違いではない。しかし、考えてみよ。日本版NSCと秘密保護法を成立させた時から、こうなることは目に見えていた筈だ。
 日本国家としての最高意思決定が、閣議決定や国会審議に優越するものとして位置づけられた機関、それが日本版NSCなのだ。果たして、「集団的自衛権憲法解釈を変更する」という決定が日本版NSCで行われたかどうかは知る由もない。なにせ、ここでの決定はいつ、どのような論議が行われたかは一切秘密なのだから。
 そして、閣議決定もその追認に過ぎない。国会審議は関連法案を通すための手続きでしかないのだ。

 日本版NSCがどの程度機能しており、どのような意思決定をしているかは定かではないが、少なくとも安倍政権がこの法案を提出した時点で、それまでの閣議や国会を超越した集権的な権能をもった機関の創設を考えていたことは明らかであり、立憲政治の否定、国会の空洞化も極めて意図的に行われているのだ。
 戦前においては、中国への軍隊の進駐=侵略をはじめ、その後の日本の進路を決定付ける重要な方針が五相会議で秘密裏に決められた。わが国会議員たちは、それと同じような権限を安倍晋三に与えてしまったのだ。

 ところで、集団的自衛権を認めてしまった時、どのような事態がそうていできるだろうか。尖閣諸島などをめぐる中国との軍事的緊張を一気に高めるに違いない。偶発を装った衝突も起こりうる。現在、アメリカは日中双方に慎重な対応を求めているが、実際に衝突が起こってしまった時、重大な選択を迫られるだろう。その際、日米同盟を維持する限り、最終的には日本に同調せざるをえない。日本がアメリカを巻き込んで中国と交戦する事態になれば、ロシア、EUを含む第三次世界大戦への道に直結する。
 安倍政権が進もうとしている道は極めて危険なものだ。戦争が予定調和的に行われることは少ない。既成事実が先行し、そのもとに社会全体を暴力的にたたき込んでいくのである。