正道有理のジャンクBOX

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― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

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レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート(最終回)

 

【専門化・分散化、集中化と分業論に関する考察】

一般に「なにをなすべきか」の学習レポートや解説で、この「集中化、専門化」ということの意味についてあまり深く検討されているものは少ない。しかし、この節の表題を「組織活動の規模」とし、それを実現する方法は分散と専門化―集中化であると提起していることは興味深い。

レーニンは、1890年―1900年当時、一方で組織建設の計画に着手しつつ、他方で急速に発展を遂げるロシア資本主義についての詳細な分析をおこない、マルクスの『資本論』をも引用しながら経済学としての理論的検証もおこなっている。「いわゆる市場問題について」(1893年)や、1896年~99年までの3年をかけてまとめた労作「ロシアにおける資本主義の発展」などの著作がそれである。

その中で、資本主義の飛躍的発展と工業化が生産工程の細分化=工場内分業、大規模生産とその結果が不可避につくりだす市場との関係=社会的分業についても全面的な解明と研究を行っている。

「手労働の機械労働による交替には、なんの『不合理さ』もない。反対に、ここにこそ、人間の技術のあらゆる進歩的な働きがある。技術がより高度に発展すればするほど、人間の手労働は、ますます駆逐されて、よりいっそう複雑な機械によって取ってかわられる。……全発展は一様に分業によっておこなわれるのである。そして、これらの契機のあいだに、『本質的』な差異はない。それらのあいだに現実に存在する相違は、技術の進歩の種々の段階の差異に帰結する。資本主義的技術のより低い発展諸段階―単純協業とマニュファクチェア―はまだ生産手段のための生産手段生産を知らない.それは、高度の段階―機械制大工業―のもとでのみ発生し巨大な発展をとげる」

……「そして市場の大きさは、社会的分業の専門化の程度と、不可分にむすびついている」

「……(分業と私的所有は)交換の出現とともにはじめて発生する。その基礎には、すでに発展しつつある社会的労働の専門化と市場における生産物の譲渡とがある。たとえばアメリカ・インディアンの原始共同体の全成員が、彼らに必要なあらゆる生産物を共同でつくっていたあいだは、私的所有もまたありえなかった。ところが、共同体のなかに分業が侵入し、その成員が各個になんらかの一生産物の生産に従事するようになり、そして、その生産物を市場で売るようになったとき、そのとき商品生産者のこの物質的孤立性の表現が、私的所有の制度だったのである。」(レーニン全集第一巻「いわゆる市場問題によせて」)

 マルクスは、分業はやがて人間労働を駆逐し、人間を疎外するものであり、共産主義社会においては分業が廃絶されなければならないとしている。レーニンは、それをふまえながら、あえて分散・専門化と集中化というかたちで、組織建設に分業の手法を提起している。これは、資本主義が用意した、その条件の中からしか、あたらしい社会を生み出すことはできないという弁証法的かつ実践的な提起としてレーニン主義を学ぶ場合には興味ぶかいものがある。

 資本主義は社会主義への遺産として、かならず、一方では、古い、数世紀にわたってつくられた、職業上の、または手職のうえの分業を労働者のあいだにのこし、他方では労働組合をのこす。…やがては、これらの産業別組合を通じて、人々のあいだの分業を廃止し、あらゆる方面に発達し、あらゆる方面で訓練された人々、あらゆることができる人々の教育、訓練、養成にうつってゆくことができるし、またそうなるだろう。…だが、それも長い年月をへてはじめてそうなるのだ。…完全に成長し、成熟した共産主義のこの未来の結果を実際に予測しようとこころみることは、四才の子供に高等数学をおしえようとするのと同じである。  われわれは、空想的な人的資材や、とくにわれわれがつくりだした人的資材をつかって社会主義をつくりだすのではなくて、資本主義がわれわれに遺産としてのこしたものから社会主義をつくりはじめることができる(また、そうしなければならぬ)。…だが、この任務を別な方法ではたそうとすることは、すべて不まじめなものであり、とくにとりあげる値うちはない。(『共産主義における「左翼」小児病』第6章)

(なお、共産主義社会における分業の廃絶をめぐっては、理論的にも未解明な部分があり、それ自身としての研究が必要な分野ではある)

5)「陰謀」組織と「民主主義」

 レーニンが手工業性に反対し革命家の組織をつくることからはじめるべき、いっさいの秘密の機能をできるだけ小数の職業的革命家の手に集中することで継承性をもった革命運動をすすめうる、と主張したのに対し、手工業主義者は「人民の意志主義だ」「陰謀的だ」「反民主主義的だ」と非難した。  レーニンは「ツァーリズムに対して断固たる戦争を布告する戦闘的な中央集権的組織を考えたりすると、何でも『人民の意志主義』だと呼ばれる」とし、こうした批判が敵を利する反動的なものであることを指弾したうえで「人民の意志」派の誤謬は「専制政府との断固たる闘争」をめざしたことではなく「全然革命的理論でない理論」をよりどころとし、自らの運動を「発展しつつある資本主義の内部における階級闘争」と結びつけられなかったことにあると述べている。

 また「陰謀的」だという非難に対しても、政治闘争を陰謀にせばめることは反対してきたが、組織形態についていうなら「専制国のばあいにはこのような強固な革命組織は『陰謀的組織』とも呼べるが、それでどうだというのか」「民主主義の原則に反する」などという非難は、専制が支配するロシアにおいては「空虚で有害な遊びごと」に過ぎないと一蹴した。

 なぜなら、中央集権的な組織、機密活動の訓練をつんだ革命家の組織の必要性は、少しまじめに専制との闘いを考えるなら、必然であったからである。そして、形式上だけの「民主主義」のおしゃべりをするくらいなら、党員間の同志的信頼が保障されている組織をどう作るのかを真剣に考えることの方が、党にとって大切なのだと言っているのである。

 「われわれの運動の活動家にとっての唯一の真剣な組織原則は、つぎのものでなくてはならない。すなわち――もっとも厳格な成員の選択、職業革命家の訓練。これらの特質がそなわっているなら、『民主主義』以上のあるものが、すなわち革命家たちのあいだの完全な同志的信頼が、保障されるのである」(p208)。            

 そして、レーニンは「革命家たちのあいだの完全な同志的信頼」こそ、「われらにとって絶対に必要なものなのだ」と述べている。綱領と規約にもとづく意思の一致、そして実践的活動を通じての「同志的信頼」関係こそ必要であり、形式的な「民主主義」のおしゃべりにレーニンは大きな意義をおかなかったのである。

→「民主主義以上のあるもの」を保障する前提は、同士的信頼関係である。それがあってはじめて「不適当な成員を取り除く」ためのあらゆる手段が許されるということであり、その逆ではない。もし、同志的結束を図るという口実のもとにあらゆる手段を用いて「不適当な成員」を取り除いたのなら、それは粛清でしかない。

 いわゆる「民主主義的」手続きの制限された組織においては、一にも二にも同志的信頼が築かれない中での組織問題の正しい解決はありえないということである。

→レーニンを批判する人はこの「中央集権制」が、ロシア専制下の特殊なものであったとしても、それがスターリン主義的な一党独裁の根拠をなしてきたかのように主張する。たしかに、非合法下と合法下では、党組織のあり方は異なってくるし、日本のような合法下の党の「民主的あり方」は、当然違ってくるだろう。形式上は日本では、レーニンが指摘するドイツのように「完全な公開性と選挙制と全般的統制」が実現されるならば、「自然陶汰」によってより民主的な党の運営が保障されるはずである。

 しかし、法律上、合法化されているからといって、階級対立が解消されているという事を意味するわけではない。革命党の存在がますます資本主義的支配を脅かすようになれば、権力がいつでも時期を得て容易に一網打尽にすることを狙っており、「合法」であるがゆえに日常的な組織実態把握、情報収集(もろもろの口実をもうけた、これまた「合法的」に行う捜索をも含めた)を周到に進めているのである。

つまり、革命党は本質的に非合法であるということ、たとえ合法化されていても、権力に与える情報を極力少なくするよう努めることは義務でなければならない。

6)地方的活動と全国的活動

 手工業性に対する批判の最後として、レーニンは全国的な党の活動を地方的な活動に優先させるべきこと、地方的な分散主義に陥ってはならないことを中央機関紙と地方新聞を例に出して説明している。

 1898年から1900年にかけての約2年半のあいだにロシアでは30号の地方新聞が発行されていた。

 「もしこれと同じ号数の新聞が、ばらばらの地方的諸グループによってではなしに、単一の組織によって発行されたとしたら、われわれは、莫大な労力を節約できたばかりか、さらにわれわれの活動にはかりしれないほど多くの確固さと継承性とを確保できたであろう」

【全国的政治新聞の必要性】

 「…いくらか大きな労働者の密集地には…自分自身の労働者新聞が必要である」この「経済主義者」=手工業主義者の主張に対し、レーニンは次のように反論する。

「その土地土地での工場内の状態の暴露のためには、われわれにはつねにリーフレット《=チラシ》があったし、これからもなければならない…」

「しかし、新聞の型をわれわれは高めなければならないのであって、それを工場リーフレットに低めてはならない

「われわれが必要としているのは、『こまごまとした事柄』の暴露よりも工場生活の大きな、典型的《根本的、本質的》な欠陥の暴露であり、とくに際立った実例にもとづいて……すべての労働者とすべての運動指導者との興味をよびおこす」ものでなければならない。そして全国的政治新聞の必要性について次の点をあげている。

① 真に継承性《=権力の弾圧から防衛された》のある全国的政治新聞の発行

② 労働者の知識をゆたかにし、視野を広め目覚めさせる新聞は、地方組織の単位では不可能である。

③ 手工業的な新聞でまにあっているということ自体が組織と運動の規模の小ささを示すものであり「工場生活の細々した事柄」の中におぼれきっていることである。

 

「運動が全面的暴露と全面的煽動の任務をすでに完全に制御し、その結果中央機関紙のほかにたくさんの地方機関紙が必要になる」のであれば、これは「贅沢のしるし」になるが、今はそうではない。

 「地方組織の大多数が、主として全国的機関紙のことを考え、主としてその仕事をやらなければならない。(そうならなければ、紙上での全面的な扇動が)いくらかでも真に運動に役立つことのできる新聞を、ただの一つも発行することはできないであろう。だが、そうなったときには、必要な中央機関紙と必要な地方新聞とのあいだの正常な関係《=役割分担》はひとりでにうちたてられる」

 【全国的政治新聞の性格とそのための組織条件】

 では、全国的政治新聞のはどのようなものでなければならないのか。ここでは市政や市議会に対する暴露ということを例に二つのポイントを挙げている。

①「市政の問題の解明《=あらゆる政治問題の解明と言ってもよいだろう》がわれわれの全活動の適切な見とおしにもとづいておこなわれるためには、まず最初に、この見とおしを完全につくりあげ、それを議論によるだけではなく、たくさんの実例によってしっかりと確立すること……が必要である」(→認識の方法と対応する)

② 「市政の問題をほんとうにうまく、興味ぶかく書くためには、これらの問題を十分に(知識として、あるいは本などによってではなく)知っていることが必要である。……新聞に市政や国政の問題について書くためには、練達した人の手で集められ、まとめられた、新鮮な、多方面にわたる資料をもたなければならない。……そのためには、専門の著作家と専門の通信員からなる幕僚や、いたるところに連絡をつけ、ありとあらゆる『国家機密』に割りこみ、あらゆるものの『舞台裏』にもぐりこむことのできる社会民主主義者の探訪記者の軍隊、『職務上』どこにもいて、なんでも知っていなければならない人々の軍隊が、必要である。そして、あらゆる経済的・政治的・社会的・民族的圧制とたたかう党であるわれわれは、このような、なんでも知っている人々の軍隊を見つけだし、集合させ、訓練し、動員し、進軍させることができるし、またしなければならない」

 →この二つの条件を満たすような組織をつくることを前提として、第5章の全国的政治新聞について展開されるのであり、機関紙問題を第5章だけ切りとって論じたり、組織の団結形成論として語るのは、労働組合の機関誌やサークルの会報の意義を語るのとそう変わらない。

 

【五】全国的政治新聞の「計画」

 この章でレーニンは、全国的政治新聞の計画について述べている。この計画は論文「なにから始めるべきか」によって、すでに提出されていたものであり、前提的にそこで述べられていたことをまとめておきたい。

 まず、レーニンは「現在の瞬間におけるわれわれのスローガンが、『突撃せよ』ではありえず、『敵の要塞の正規の攻囲を組織せよ』であるべきだ」と言って、「経済主義者」(『ラボ-チェエ・デーロ』)が1901年秋おこなった、「『専制の砦』にたいする即刻の突撃」という呼びかけを拒否する姿勢を明確にしている。

 「わが党の直接の任務は……すべての勢力を統合して、名目のうえだけでなく実際に運動を指導する能力のある革命的組識、すなわち、つねにあらゆる抗議やあらゆる燃えあがりを支持する用意があり、それらを利用して決戦に役だつ兵力を増大させ、つよめる能力のある革命的組織をつくりあげる」こと。(二月と三月の諸事件の後ではこういう結論にたいする原則上の反論に出会うことは、少なくなったが)「現在われわれに必要なことは、問題の原則上の解決ではなくて実践上の解決である」。すなわち、a)どういう組織が、b)どういう活動のために必要であるかを、知ることだけでなく、c)すべての方面から組織の建設に着手できるような「組織計画をつくりあげること」、その活動の出発点であり、組織建設の第一歩であるとともに、これを発展・拡大するための導きの糸こそが全国的政治新聞でなければならない、と提起している。

【二月と三月の諸事件】ペテルブルグ、モスクワ、キエフ、ハリコフ、ヤロスラヴリ、トムスクワルシャワ、ペロストクその他のロシアの多くの都市を捲きこんだ1901年2月と3月の学生の戦闘的決起と労働者の行動――集会デモンストレーション、ストライキをさしている。3月4日にはペテルブルグのカザン広場で、兵籍編入に抗議する数千の学生と労働者が参加したデモが行われた。これに対してツァーリ警察とカザックが弾圧をくわえ、デモ参加者は残酷に打ちすえられ、数名が殺され、多くのものが不具にされた。この事件は「イスクラ」第3号(1901年4月)にくわしく報道された。『ラボーチェエ・デーロ』の「突撃の呼びかけ」というのはこの年の秋に出されたものである。

 さらに、「新聞は、集団的宣伝者および集団的扇動者であるだけでなく、また集団的組織者でもある。この最後の点では、新聞は建築中の建物のまわりに組まれる足場にたとえることができる」とも提起している。

 これは先に引用したa)~c)とも対応したものであり、この章で展開される内容は「全国的政治新聞」をとおした組織建設論そのものである。その要点は次のようにまとめることもできるだろう。

a) 「集団的宣伝者、集団的扇動者」として、あらゆる事象についての共通の認識、評価、判断能力を獲得する=理論的同質性を養うこと

b)「集団的組織者」として全国に散在している社会民主主義的な諸委員会、諸サークルの実際的な結びつきをつくり出すこと

c)革命党にとって不可欠な、あらゆる情勢の変化に対応できる「柔軟性」とそのための戦闘組織をあらかじめ準備すること

 また、a)およびb)は第2節、c)は第3節で展開されているが、多くの部分が「なにから始めるべきか」で述べられた内容をさらに詳しく述べたものである。

 

1)だれが論文「なにから始めるべきか?」に感情を害したか? 

(略)この節は、論集「12年」の中に再録された際には筆者の手ではぶかれ、脚注ではその理由について「…この節は『ラボーチェエ・デーロ』とブンド相手におこなった論戦を含んでいるだけだから」だと説明している。

 

2)  新聞は集団的組織者になることができるか

a) 単一の組織の同質性を形成すること

 論文「なにからはじめるべきか?」の要点は、「新聞は集団的組織者になることができるか」という質問を提起して、それに、できる、という解答をあたえたことにある。『イスクラ』は、「新聞を中心として、そのための仕事を通じて人があつまり、組織をつくるであろう」と考えている。

 ところが、これに対してテロリストのエリ・ナデジヂンは「いまどき、全国的新聞から糸を引く組織のことなどを論じるのは、書斎思想と書斎仕事を生むものである」(『革命の前夜』)と言って批判している。この筆者は「もっと具体的な仕事を中心としてあつまり、組織をつくるほうが、はるかに手っとりばやい」と考えている。

 それは、この「計画」のもっとも肝要な言明を見ようとしていないからだ、と批判し、「なにからはじめるべきか」で述べたこと《冒頭の引用》を再度繰り返している。

 強力な政治的組織をそだてあげるという「原則上はただしく、争う余地がなく…しかしまったく不十分で、広範な労働者大衆にばまったく理解できない真理」に引き戻されないためにはどうすべきなのか。レーニンは次のように述べている。

 「近年わが国では、知識労働者もまた『ほとんどまったく経済闘争だけ』を行ってきた。……だが、他方では、知識労働者のなかからもインテリゲンチャのなかからも政治闘争の指導者がそだってくるように、われわれが助けないかぎり、大衆もまた決してこの闘争を行うことを学びとりはしないだろう。そして、このような指導者は、ただわが国の政治生活のすべての側面、さまざまな階級がさまざまな動機で行う抗議や闘争のすべての試みを、系統的、日常的に評価することをもととしてのみ、そだてあげることができるのである……人々がこれらすべてのことについて考える習慣を身につけること、動揺や積極的闘争のありとあらゆるひらめきを総括し、一般化する……『生きた政治活動』は専ら生きた政治的扇動からはじめる以外にはなく、(それは)頻繁に規則正しく配布される全国的政治新聞なしには不可能である」(p238~239)

 このあとに、全国的政治新聞の重要な役割を「導きの糸」(*) を例に述べている

 * 導きの糸:建築技法において「導きの糸」に該当する専門用語は「水糸」と呼ばれている。レンガやブロックを積んだり、一定の高さにセメントを打つ場合に、全体の水平を確保するためには水糸はなくてはならないものである。

 「つねにあらゆる抗議やあらゆる燃えあがりを支持する用意のある革命的組織をたゆむことなく発展させ、ふかめ、拡大することができるような、そういう導きの糸」となるものが、全国的政治新聞だとして次のように解説している。

 「石工たちが、まったく前例のない大建築物のための石材をいろいろの場所に積むときに、一本の糸を引いて石を積む正しい場所を見いだすたよりにし、それによって共同作業の最終の目標を示し、こうして石工たちが、一つひとつの石材ばかりか、一つひとつの石片までも使って、まえに積まれた石とあとから積まれる石とにつなぎ合わせ、その全部が合わさって仕上がりの線をつくりあげてゆくことができるようにする」のは『紙上の』《新聞の》仕事ではないのか。そして「われわれには石もあり石工もいるが、まさに全員に見え、全員がつかむことのできる糸が欠けている」(p239)と指摘している。

 →石工とは職業革命家、あるいは指導者であり、前例のない大建築物とはツァー専制の打倒、あるいはプロレタリア革命、石材とは地方にばらばらに存在する組織、そして石を積む作業は政治的宣伝・扇動とそこでつくられる運動と考えてよいだろう。

 つまり、単一の全国組織が革命という前例のない事業を達成するために、全国の地方組織、サークルから一斉に闘いを開始しようとする場合、それぞれの末端組織は、各々違った勢力、特徴、歴史的条件に則して作業に取りかかるわけである。

 それぞれの持ち場を担当するグループは、それぞれの方法、力量を考えて作業を進めるが、最終的には水糸に届くように調整し、全体を一つの構造物として一体化させるのである。そのためには石工は、今現在積まれている石の位置から水糸に達するまでの空間(容積)を埋める、石の大きさや形、数量、その置き方等々を適切に判断する能力が問われるのである。

 レーニンは、それぞれ別々の地方、組織、グループが、国内的・国際的、政治的・経済的な諸問題を大衆に向かって宣伝・扇動する場合、それらの事柄の捉え方、認識、指針の与え方において理論的水準の一致、同質性が必要だということを言っているのである。

 そうした能力を作り出すために宣伝・扇動の手本となって、あらゆる政治的事象に対してどのように評価・反応すべきかを指し示し、全組織の指導者が同質の政治的判断能力=理論的同質性をわがものとするには、規則正しく発行される全国的政治新聞しかないと述べているのだ。

 ところが今日、革命党を自認する党派の中に全国の地方組織・産別組織に対し「一斉に同じ大きさの石を積み上げよ」と指示することが、あたかも組織の統一性を確保することと勘違いするものが現れている。どのような組織でも、論理性を軽視し、あるいは排除し、実践的目標を絶対的規範に高めてしまったときからカルトへの変質が始まるのである。

 

 b) 単一の組織の実際的な結びつきをつくりだすこと

 次にレーニンは、全国的政治新聞が「集団的組織者である」ことの意味を「建築中の建物の足場」にたとえ、次のように解説している。

 「それは建築の輪郭をしるし、各建築工のあいだの連絡を容易にし、彼らが分業を行ない、組織的な労働によってなしとげられた共同の成果を見渡すのを助けるようなものである。」(p241)

 つまり、「集団的組織者」とは単一の全国的組織の実態的結合を形成していく役割である。ここでの「集団的」というのは、分散状態にある全国の党派、潮流、グループやサークルを指している。これらの諸集団を単一の革命党へと実態的に結合するための全国的政治新聞ということである。 

 「…地方機関紙によっては、専制に対する総攻撃のため、統一闘争の指導のために、すべての革命的勢力を『集合し、組織する』ことはできないだろう」(p244)

  「人々は細分状態に締め付けられて、広い世界ではどんなことが起こっているのか、だれに学んだらよいのか、どうすれば経験を身につけられるか、広範な活動をやりたいという願望をどうして満足させたらよいのか、分からずにいるからである。このような実際の結びつきをつくりだす仕事は、共同の新聞に基づいてはじめて開始することができる」(p247)

「われわれの運動の欠陥は、思想上の点でも、実践上、組織上の点でも、なによりもその細分性にあり、圧倒的多数の社会民主主義者が純然たる地方約活動にほとんどまったく没頭しきっており、この地方的活動が彼らの視界をも、彼らの活動の規模をも、彼らの秘密活動の熟練と訓練をも、せばめているということにある」(「なにから始めるべきか」)

 ここで、建築物の足場とは、革命家の文書の配布や連絡網などの実際的結合の例として出されているのだということ。したがって、より核心的には受任者網を指しているという理解が成り立つ。レーニンは『なにから始めるべきか』や『一同志にあたえる手紙』の中で、受任者網建設という問題意識を非常に強くうち出している。

  基幹要員=カードル形成と受任者網の建設、これを定期的に発行される全国的政治新聞の規則的配布(その配布網=受任者網)を通して建設する、これこそが全国の革命的組織を糾合し、統一した政治的組織と戦闘組織を同時的に形成することなのだと述べているのである。

3) われわれにはどのような型の組織が必要か

 c)全国的政治新聞による柔軟性の確保

 「柔軟性の確保」ということの意味については、次の3点にまとめることができる。

①「革命を見落とす恐れが最も少ない」(P257)ということ。なぜなら「その綱領も、戦術も、組織活動も、一切のものの重点を全人民的な政治扇動」(p257)においており、停滞の時期にも、また燃え上がりの時期においても、常に大衆の動向を正確に把握するとともに、党の方針を大衆の反応によって検証することができる。

② いかなる時期にあっても「行うことができ、また行うことが必要であるような活動」、つまり「全ロシアにわたって、統一的で、生活のいっさいの側面を解明する、もっとも広範な大衆を対象とした政治的扇動の活動」(p259)が、階級闘争の爆発の時期であっても、逆に完全な沈滞の時期であっても必要不可欠なのだということ。

③ あらゆる事態に対応できるあらかじめの準備をもった組織ということ。これはすでに述べられているように職業革命家を中心にした秘密活動の訓練ということでもあるが、ここでは全国的政治新聞の事業を通して、その配布・連絡・大衆の動向の掌握、さらには蜂起の準備にいたるまでのすべてを秘密裏に準備することができるという意味である。

 

 「われわれの『計画としての戦術』は、今すぐ突撃を呼びかけることを拒否して・・常備軍を集合し、組織し、動員することに全力をそそぐように要求すること」(p253)

なぜなのか?「民衆がわれわれのものになっていない」(p255)からである。

 いや、民衆の闘いは沸騰点に向かっているにもかかわらず、党がこの情勢に対応する体制と準備に立ち遅れているために、職業革命家の組織である常備軍が民衆の先頭に立つことができない。これは、民衆の自然発生性にまかせるということに他ならない。  「民衆の前に、その先頭にたつ」とは「民衆の自然力的な破壊力と革命家の組織の意識的な破壊力とを近づけ、一体に融合させる」(p255)能力をもった組織を建設すること。

 それは「真実の突撃が始まるその瞬間まで遅すぎるということはない」(p254)

(→その直前になってからやっても間に合うと言っているわけではない)

「革命が何よりも第一にわれわれに要求するのは、扇動における熟達と、あらゆる抗議を支持する(社会民主主義的なやり方で支持する)能力、自然発生的運動に方向を与え、それを味方の誤りからも敵の罠からも守る能力であろう!」(p258) 

 こうした能力をもった組織、すなわち大衆の自然発生的な力を計画的、系統的にまとめあげ、配置して決戦に役立つ兵力をも組織できるのは全国的政治新聞の事業以外ないということなのだ。

 では、最後に革命党建設にとって中央委員会の組織化という問題は避けられない課題であるが、それについては全国的政治新聞の役割との関係で、レーニンはどのように捉えていたのであろうか。

「現在のように、完全な分散の支配している時期には、中央委員会を選出するだけでは統合の問題をかいけつできないばかりか、もし、迅速で完全な一斉検挙があらたにやってくるなら・・党の創設という偉大な思想の信用を失墜させる恐れがある。だから、必要なことは、復刊された共同の機関紙に対する支持を、すべての委員会とその他すべての組織に要請することから始めることであり、そういう機関紙は現実にすべての委員会の間に事実上の結びつきを打ちたて、現実に運動全体の指導者グループを訓練してゆくであろう。ところで、もろもろの委員会によってつくりだされたそういうグループを・・中央委員会に変えることは、それらの委員会と党にとって全くたやすいことであろう」(p233)

 この章の最後はレーニンの次の言葉で結ばれている。

 「私はやはり、主張する。そのような事実的結びつきをつくり出す仕事は、ただ共同の新聞にもとづいてのみ開始することができ、共同の新聞は、もっとも多種多様な活動の成果を総括し、そうすることによって人々を駆りたてて、すべての道がローマに通じるといわれるように、みな革命に通じている数多くの道々のすべてにそって倦むことなく前進させる、唯一の規則的な全国的事業だからである」

                                      (了)

 自分なりに学習したものをまとめたもので、不十分な点や理解の誤りもあるかもしれません。御意見や批判は歓迎です