正道有理のジャンクBOX

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― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

安倍政権は官僚機構の肥大化がもたらしたクーデター政権だ

 安倍政権はクーデター政権なのか?
 クーデターという言葉、歴史を考えると軍事的・暴力的な政権の掌握―憲法の停止―地方権力の掌握…といったイメージがある。
 しかし、日本の場合、軍部=自衛隊の政治への介入は厳しく制限されてきた。それに代わって官僚機構が巨大な権力と利権構造を作り上げている。これまでも、総選挙によって国会での勢力比が変わり、あるいは政党内の権力闘争の結果、財界主流=巨大資本にとって意に沿わない政権が誕生することはあった。その場合には、それを排除あるいは短命に終わらせるために、官僚機構はあらゆる方面に触手を延ばし主導権を握ってきた。小沢一郎氏の「陸山会事件」がいい例である。

  
 これまでのクーデターの歴史を見ると、大きくは政治権力の僕(しもべ)となってきた官僚機構と軍部の対立という構図が浮かんでくるる。
 では、肥大化した官僚機構の一人勝ちのような日本で軍事クーデターは起こり得るだろうか。これまで官僚機構の暴走に歯止めを掛けるのが政治と国会(民主主義のといってもいい)の役割であり、それを規定するのが憲法の枠組みでもあった。安倍政権はその留め金を外すことによって事実上のクーデターを行ったのである。

 革命が支配階級(ブルジョアジー)と被支配階級(プロレタリアート)の対立を体制の転覆―プロレタリアートによる国家権力の奪取という形で行うのに対し、クーデターは支配階級内部(権力内)における支配のあり方、政策の違いをめぐる対立を突破するために、政権トップを強制的・暴力的に入れ替えようとするものである。
 一般には政治基盤の弱いものが軍事機構を掌握することによって、非合法的手段を用いて行われると思われてきた。

  Wikipediaには次のように書かれている。

  「中央集権化が著しい体制の下では中央政権のトップが入れ替わると地方勢力もそれに従う傾向が強いが、一方封建制など地方分権の強い体制では、中央政権のトップが入れ替わったとしても必ずしも地方勢力がそれに従うとは限らず、クーデターの効果も限定的なものになったり、地方勢力の反撃によってクーデターが失敗に追い込まれることもしばしば見られる」

  「近世に入ってからは多くの国で中央集権化が進んだためクーデターが容易になったが、近代に工業化が進み大衆が豊かになり社会構造が複雑化すると、地方政府、政党、官僚、警察、企業、労働組合、宗教団体、圧力団体、報道機関、その他コミュニティーといった多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難になり、一般に、先進工業社会ではクーデターが稀になってきている」


中央集権化が著しい現代において、かつ地方自治体、労働組合、宗教団体、報道機関等すべてを官僚機構と警察権力、資本の利益誘導によって支配されている中で、国家意思=グローバル資本の意思を露骨に代弁する政治集団が(選挙によって)合法的に中央政権のトップを入れ替えた場合、形の上では民主主義の体裁をとりながら結果としてクーデターと同じことが起こるのではないだろうか。

 ※新自由主義が世界を席捲しはじめて以降、日本を始めとした先進資本主義諸国の経済政策をめぐっては、国家独占資本主義政策に引き戻そうとする(これをリベラルといっていいのかどうか判らないが)力と、より全面的な市場原理に基づく弱肉強食の政策に突き進もうとする勢力の対立を内在化させてきた。

 高度に発展した資本主義社会において「多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難」だからクーデターが稀になったのではなく、むしろ地方行政、官僚、労働組合などすべてが巨大なブルジョア的利権によって直接・間接的に買収され、中央政権を積極的に支持し、あるいは抵抗しない状態が作られている場合、非合法的=軍事的な形をとらずにクーデターと同じ結果が引き起こされるということではないだろうか。