正道有理のジャンクBOX

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

正道有理のジャンクBOX

― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

オスプレイ配備を許すな! 本土―沖縄を貫く沖縄闘争の再構築を

  オスプレイ普天間基地への配備中止を求める沖縄県民の「島ぐるみ」闘争が爆発し始めている。沖縄の県議会と市町村議会の全てはオスプレイ配備中止の決議をあげている。保守も革新も全ての政治潮流が普天間基地への配備計画の撤回を求めて統一行動を展開している。

【1】

6月17日の県民集会では、宜野湾市長が「配備を強行すれば島ぐるみ闘争になる」と撤を発し、仲井其知事も「潮目は変わった、配備はあり得ない」と言明し、両者は上京して正式に沖縄県としての配備中止の要請文を野田政権に提出した(7月1日、森本防衛相の説得活動に対して、仲井真知事をして「強行配備すれば全基地閉鎖である」と言わしめるほどに県民の怒りは強い)。
 普天間基地の県外移設という沖縄県民の最小限綱領が「期待をかけた」民主党政権によって裏切られ、逆に普天間基地固定化の布石が打たれている.現状に対する県民の怒り、民主党政権に対する県民の不信と怒りが逆巻く中で、世界一危険な普天間基地に世界一危険な爆撃機オスプレイが米軍によって配備されようとしている。
 普天間基地の県外移設を反故にした後も「基地負担の軽減」を言いつつ辺野古移転を画策してきた民主党政権は、「負担の軽減」どころか危険極まりないオスプレイ配備を県民の頭ごしで容認しているのである。同時に、その民主党政権の政治姿勢に対して本土における殆ど全ての政党・党派(新左翼も含めて)や労働組合は抗議は抗議、沖縄県民との連帯闘争を組織しえていない。沖縄と本土のこの温度差、本土の象皮痛感覚が沖縄への矛盾の集中を許してきたのではなかったのか。

 日本政府は、1996年の普天間基地返還の日米合意以来、沖縄へのオスプレイ配備計画は一貫して進められていたにもかかわらず、日本政府は沖縄県民(大きくは国民全体にも)に隠し続け、昨年6月になってようやく沖縄県に公表した。
 
 ・97.9. 2 米会計検査院 海上施設についての報告→オスプレイ36機配備と明記
 ・97.9.12 在沖海兵隊の機関紙に沖縄へのオスプレイ配備計画第一報。
 ・97.9.29 米国防総省、海上基地運用構想。辺野古新基地にオスプレイ配備を計画。

 つまり、名護市辺野古への新基地建設計画とオスプレイ配備は一体のものとして進められてきたのだ。自民党民主党もその事を承知の上で米軍との間では協議しつつ、沖縄県民に対しては「聞いていない」とウソをつき続けてきた。辺野古基地建設が進展しない中、米軍岩国基地への代替配備の計画案が岩国市の反対にあって頓挫し、結局は沖縄・普天間基地に押しつける事を政府方針としたのだ。にもかかわらず、沖縄県民にはぬけぬけと「基地負担の軽減」と言い続けてきた、まさしく伝統的な沖縄差別政策が再び民主党政権によって押し付けられようとしている。本土の労働者人民は今こそ、70年沖縄返還闘争を超える沖縄県民との連帯の闘いを組織しなければならない。

 沖縄県民の怒りは根源的であり、怒りの矛先は米軍というよりもむしろ本土に向けられている。それは民主党政権に対してであり、同時に本土の労働者人民およびその階級意識の現状に対してである。
 野田政権は自民党政権とは異なり、沖縄振興開発予算の使途自由裁量権沖縄県に認めてはいるが(これは沖縄県民に対する懐柔・買収政策である)、沖縄県民の怒りの前にはそのような懐柔策は無意味である。実際、県議選で民主党公認はたったの一人しか当選させられなかった。まさしく、沖縄県民130万はこの過程で「反ヤマト」で一体化している。そして日本階級闘争における独自の陣形を形成していると言ってもよいだろう。

 【2】

 形式的には、米軍のオスプレイ配備問題は安保条約で言う事前協議の対象ではない。だから米軍は、その配備計画を日本政府と協議することは必要とされない。
 したがって、オスプレイの配備中止を実現するための王道は、論理的には安保条約の破棄すなわち、地位協定の破棄、米軍基地の撤去、米軍の退去にある。まさに安保条約の破棄だけが、沖縄県民が本土復帰闘争の過程で思い描いた基地のない平和な沖縄を沖縄県民の手に取り戻すことであり、それによってオスプレイ配備問題も自動的に消滅する。
 しかし、それは戦後日米同盟関係に依拠することで生き延びてきた日帝支配階級=資本家階級にとっての生命線を絶つに等しい問題である。安保粉砕・沖縄奪還の闘いは、今日なお日帝支配階級による階級支配(=ブルジョア独裁)の打倒=日本プロレタリア革命の実現と分かちがたく結びついているのである。

 【3】

 ところで、米帝沖縄県民の反対を押し切ってオスプレイ普天間基地に配備すると言うことは、その基地が日常的に沖縄県民の敵意の重包囲下に置かれて孤立し、更には日本全土に散在する米軍基地に伝播して基地撤去の闘いが全国的に爆発する可能性をも意味している。米軍は、敵意の中で孤立する基地の無力性を直近のイラク・中東侵略戦争で痛いほど体験している。ここが基地問題における戦略的弱点なのである。
 そうであるならば、たとえ安保条約が基地の自由使用を米軍に保障しているとしても、全島が一丸となってオスプレイ配備阻止・基地撤去を掲げ、米軍基地と対峙している沖縄県民の闘いに本土の労働者階級と人民大衆が合流するならば、沖縄―本土を貫く日本階級闘争の新しい局面をひらくことができよう。そして、その過程で安保条約と労働者人民とりわけ沖縄県民との関係が非和解的であることが鮮明になるだろう。オスプレイが訓練飛行の先々で地域住民・労働者人民の怨嗟に晒され、米軍基地が包囲され、その機能がマヒするような事態になれば米軍に一定の譲歩を強制することができるかもしれない。かつての反戦米兵のように、オスプレイ搭乗員の中に搭乗拒否者を生み出すような闘いが必要なのだ。

 【4】

 米軍はオスプレイ配備反対闘争の爆発が、現在推進中の米軍再編計画に対する巨大な妨害物であると見ていることは間違いない。この反対闘争を日本政府が沈静化できないとすれば、日米同盟関係は決定的にきしむことになる。米帝は沖縄の基地問題を明確に日米争闘戦における日帝の戦略的な弱点として位置づけている。だからオスプレイ普天間基地への配備計画を断念することはあり得ない。また、野田政権が沖縄県民(自国民)の怒りを受け入れ、仮にもオスプレイ配備拒否を米帝に意志表示するような事があれば、それは事実上日米同盟の解消を日帝の側から通告するに等しい。日帝支配階級は絶対にそのような「無謀」な事はできない。配備計画受け入れ以外に選択肢がないのだ。民主党政権日帝支配階級の階級意志を第一義に据えている政権である以上、結局は沖縄県民(自国民)と日米同盟を天秤にかけ、そして日米同盟を選択して沖縄県民の意志を踏みにじることになる。だが、受け入れの容認は沖縄県民との全面対決を永続化させる事にならざるを得ない。もはや沖縄県民には、これまでのようなゴマカシと慰撫政策は通用しないからだ。
 沖縄闘争はどこまでも日米同盟と日帝支配階級のアキレス腱であり、日本階級闘争にとっては安保粉砕、沖縄奪還・基地撤去―日帝打倒の戦略的な環である。今それはオスプレイ配備をめぐって再び階級闘争の前面に浮上している。