正道有理のジャンクBOX

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正道有理のジャンクBOX

― 他の動物より人間が優れているとすれば、蓄積された知識や経験から自分の行為がもたらす成果や結末を予測し得ることである ―

野田の大飯再稼働会見は全原発の再稼働宣言であり、国民への挑戦だ

野田は会見冒頭、大飯原発の再稼働が「国論を二分している問題」と自覚した上で「国民生活を守る」「唯一絶対の判断基軸」と断じている。
 これは、全ての原発を再稼働するという宣言に他ならない。なぜなら、国論を二分しているのは大飯原発に限ったことではなく、原発の存続そのものについてだからであり、原発の再稼働が国民生活を守るというなら、全ての原発がそうだという事になるからだ。

<一>

 国民生活を守ることの第一として、「福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされ」たと言っている。しかし、これまで日本および世界の原発事故を見れば明らかなように、原発事故が地震津波で起こるとは限らない。むしろ、日本は地震津波の危険性がある分だけ他の国よりリスクが大きいと言うべきだろう。そもそも「1年以上の時間をかけ、IAEA原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果」だと言っているが、これらの議論は、<システムが正常に機能していて電源だけが喪失した場合、しかも正常な手順によって非常電源を確保できた場合の安全>という意味しか持っていない。システムが誤作動し、作業者が誤操作を行った場合はどうなるのか。多くの事故は大抵そのように複合的に進行するのだ。だから、結局は「安全基準にこれで絶対というものはございません」と言う他はない。ならば、万一事故が起きた時に国民の生命と健康をどう守るのか、を具体的に示すべきではないか。「国民生活を守る」と言いながら、事実は国民の生命を脅かしているのだ。

 さらに重大なことは、「大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります」と言っていることだ。大飯同様の判断とは、<再稼働を前提にした何がしかの議論を重ねる>という意味以上にどんないみがあるのか。言うなれば、今回の大飯原発再稼働宣言は全原発の再稼働を宣言したということであり、断じて見過ごすことはできない。

<二>

 「国民生活を守ることの第2の意味」として言っていることは、初めから終わりまで脅迫じみた言葉の羅列だ。

 「仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱
 「夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります

野田は震災直後に東電が行った「計画停電」で医療施設や緊急性を要する設備などを一律に停電させたことに対し、それを批判するのではなく当然の措置と言わんばかりに容認した上で、それを逆手にとって脅迫しているのだ。原発再稼働の為に時間をかけて論議したというなら、節電対策やエネルギー転換の為にどれだけの議論をし、どのような手をうってきたのか。まず、それを明らかにしなければならない。突発的な停電というが、送電系統を分離するなど、技術的な対応で「命の危険」は避けられる筈だ。こんなところで命の危険を言いながら、原発事故がもたらした命の危険や環境の破壊について何も語らないことの中に野田の本性が明確に示されている。
 そして、野田は夏場だけではなく「エネルギー安全保障」の点からも原発は必要と言っている。夏場が大変だと言うのは口実だとあけすけに認めているのだ。しかし、「エネルギー安全保障」と言うなら、使用済み核燃料の再処理が輸送上の安全から思うように進まない現状をどう考えるのか。核燃サイクルが、原発に輪をかけて危険な、未完の技術であることをどう考えているのか。すべての濃縮ウランを輸入に頼り、使用済み燃料の処理には展望もなく、これらの諸経費をすべて国の負担として丸投げした上で「安価な電力」と言い張る理由がどこにあるのか。

福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません

 福島に責任をとろうとしない政府に「人々の暮らしを守る」事ができるのか。他で事故が起きれば、結局同じように切り捨てていくだけではないか。
 そして、最後に再び「国論を二分している状況」で結論を出したんだ、と開き直っている。国民の半数以上が反対している事を十分承知の上で、今後も原発推進で行くという宣言であり、国民への挑戦状と言わざるを得ない。